| 時という風の中で生きよう。
|
もう今月も終わりますねぇ。もう6月。早いー。時が経つのは、本当に早い。“時”は時に無常にも自分たちをあざ笑うかのように、自分の心を置き去りにしていきますね。でも、ある時は、“時”が人の心を癒していく。すごく複雑になる今日この頃です。 と言う事で、今回はちょいまじめに。“時”について語りたいと思います。 時について考えた事ありますか?人は誰もが皆、生きている今という“時”の中で沢山の事を考える。与えられた今について。これから来る死について。ふとした時に、いつの間にか“生きる”ということを考えているもの。 人は若ければ若いほど。今が永遠に続くように思えて、あまり死ということを、非日常的なものとして受け止めている事が多いものですね。それは、恵まれている環境にいる自分の状況にもよりけりだけど。でも、死を考えてみると。“今”の大切さに気づくものだと僕は思います。 そんな中、自分は今までいつも、一生懸命生きてきたように思う。何をやるのにも、一生懸命。一生懸命でないと心に余裕ができないのかなぁ(笑)。だから、自分が就職するにあたり全く違うところに行くと聞いて、皆にとても驚かれました。「えっ、じゃあなんであんなに一生懸命勉強やっていたの?」ってね(笑)それは、それ。これは、これ。どうせやるなら沢山の事を学びたいし、でも、人生に対しても妥協や流される事はしたくない。今は今の自分をもって生きたかった。 だから、なんか余裕を持つという事がとても難しかった。それは、なにかやらなくちゃ、という駆りたてられる不安があったり、“もったいない”と思ってしまう自分がいた。何かを同じ時間の中でやるのだから、時間を無駄にしたくない。やるからには、頑張ろう。と言う気持ち。でも、いつのまにかそれが。“生きる”という大切さに変わっていた。
このまえある方からこんな質問を受けました。「羽田君は、自殺ということを考えた事はありますか」と。正直、その時「ない。」と答えました。それは、先にも話をした通り。いつか来る死があるのだから、その時まで頑張れる自分を大切にしたい。それは、死ぬことにもったいない、と感じる自分がいたからです。そんな勇気もないし。 でも、正直に考えてみると、あるんですよねぇ。何もかも、無気力になる時。もうどうでも良くなる時。それは生きることに一生懸命で、全てが“疲れてしまう”時に多かった。生きる事に一生懸命というのは、悩む事にも一生懸命なわけなんですよね。
この前こんな話をききました。小学生に「自殺を考えた事がありますか」という質問をしたらしいですね。そうしたら、ない、と答えた人は大半なものの、少なからず、ある、と答えた人がいたらしいです。その事実より、「自殺」という質問を小学生に投げかけるこの時代に、ショックを受けた、ということでしたが。 そうですよね。そう思いました。それと、同時に思った事がありました。それは皆、口に出さずとも多少なりとも、人生の中でそんなことを感じる事はある、または、あったということ。一生懸命な人程。頑張っている人程。自分を好きになれない人程。 「人はなぜ生きる事に苦しむのか」。 それは皆、“生きているから”、だよね。そりゃそうだ(笑)。生きる事は、いい事も悪い事も含めて、自分に沢山の業を課すものなんだもの。(なんか仏教っぽいね(笑))それが生きる事実なんだと思う。 あー、断っておきますが、自分は別に宗教とかに入っているわけではないので(笑)よく路上でもきかれるんですよね。「何か宗教をやっておられるんですか」って(ある意味、考え方が確立されているという意味らしい^^;)。そんな時、自分は「自分教」です、という(笑)。どんなジャンルであれ、日本人になじみの少ない宗教というのは悪いイメージが多かったりする。それは、宗教をしていることで洗脳的な偏った見方をしてしまうという畏怖があるんでしょうね。宗教がらみの事件も多かったりするし。でも、まぁそれはその人にとって大切なものであるなら、それはそれでいいんじゃないかぁと思いますが。どのみち、何らかの信念をもつことは(形はなんであれ)大切な事ではあるからね。それが“宗教”であれ、“自分”であれ。その人も、周りも幸せといえるものであれば、きっとそれでいいんだと思います。(もし、そういえないものはちょっと問題ありだけど(^^:)) また人は、自分の心に余裕をもてないということが多いものです。余裕を持つということは単に心に余裕を作ることをすることじゃない。今の自分を認め、そんな自分を許してあげること。一生懸命生きるあまり、そんな自分を許せなくなるんでしょうね。責任感が強い人程、認めてあげることが“負け”と捕らえてしまうことが多い。そんな中、一生懸命ということに疲れてしまうものです。 助けて、と思う事があるのなら、助けてと言う事を口に出すこと。 疲れたなら、疲れたということを認めてあげる自分。 俺は、それをその人の弱さや否とは思いません。むしろ人間らしい。そう思います。いや、そう思うようになったのかな。ちょっと昔は何をやるのにも、認めることができず、人に対しても、自分に対しても憤りを感じる事が多かった。弱い人がいたら、「なにいってるの?」と、感じていた。 でも。それは間違いだと思った。自分がどん底でどうしようもない時程、感じていた事が自分に答えを見つけてくれた。「あ、それも人間なんだ」って。強すぎる人よりも、俺は弱さも強さもちゃんと知っている人のほうが魅力的だと思うし、なによりも温かくて優しい強さを持てる人だと思う。そして、そんな人間が心から素敵だと思う。あなたらしく頑張っている、それだけで充分すぎるぐらい。俺はカッコイイと思う。 皆、与えられた時の中で沢山の事を考えるのかもしれない。それを幸せと思う人もいれば、そう思えない人もいるでしょう。 でも、時というのは、自分に可能性を与えてくれている。そう思うんだ。 生きる、という可能性。僕らはきっと、知らぬ間に生きるということを当たり前、ととり、何かを追い求める事を無駄、ととってしまうことが多い。 やるやらないは、その人次第。別にやることが偉いわけでもない。幸せとは限らない。 でも。少なくとも、もし自分の中に何かをやろうとしてみる気持ちが芽生えたなら。 俺は絶対やるべきだと思う。やってみて続かないなら、それでもいい。やる、ということが大切なんだもの。それが、生きるという“可能性”を追求することだと思う。そして、その為に。今という時間を与えられているんだ、と思う。
時間は間違いなく、今この時を生きている瞬間から減っている。それは誰もが皆同じ。何かをもって生きているのと,そうでない。その時間における価値はどれだけ違ってくるんだろう。 やる前からあきらめている事。 失敗することを恐れてしまう事。 無駄だと思ってしまう事。 結局、なんだかんだいってもなにもやらないというのはそれがその人にとっての幸せな形なのかもしれない。 でも、何かをやろう!と思っている人は今を生きる事の大切さをちゃんと知っている人だと思う。そして、やってみて少なくとも、良かったと思うことも多い事だとも思う。
人生は一度限り。誰の人生でもない。自分の人生。それをまず自分が大切にしてみることが始まり。それによって失う事も多いかもしれないけど、だからこそ、得られる事はもっと大きくもなる。 そこに、“自分”がいる からこそね。
なんか、また固くなっちゃったかぁ。まとまっていないし(笑)。読んでくれた人ありがとうね。少しでも何かを感じてもらえれば嬉しいです。せっかく持っている可能性を無くしてしまったら、自分で摘み取っちゃったらもったいないと思うから^^。何かをやろうとしている人。頑張ってみてくださいね☆ では、またね^^
(2002.05.31)
|
|