2002年09月の日記

神様がくれた、ぷれぜんと。
皆さん、こんにちは。羽田です。いやー。いい季節っすね。ぽかぽか天気は温かく、でも、暑くなく。夏の季節が懐かしくも感じる今日この頃。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。えー、やっと風邪も直り快調になりました。人間の自然治癒力ってすごい。ちなみに自分は風邪を引いた時、風邪薬を飲みません。ええ、飲みません。実は風邪薬を飲むと風邪をさらにひくという特異体質のようで 笑。このまえ、薬局屋さんにいったときに、「風邪薬飲むと風邪をひくんですよー」っていったら、「じゃあこれ。」といってわたされたのが、ノドヌールスプレー。「またまたー。だまそうとしてー。笑」って冗談交じりにきいたら、そうじゃない。風邪を治すにはまず、ノドかららしい。それ以来、風邪をひいたらうがいとノドヌールを忘れないんですけれど、そんなんだったら、ひく前にやれってこと、ですかね 笑 えー、どっかでそんな声も聞こえますが、聞かないふりをしておきましょう。^^;



 さて、今日は。最近のハタの日常について語りたいと思います。
というのも。久しぶりにめげそうな事にぶつかりまして 笑 ま、めげるというか、どうしようもないというか。そんな事を皆に語っておきたいと思います。

 先日でした。路上でいつものように、活動をしていました。その時も、お客さんが来て下さっていて、そのあとにも待っていてくれたお客さんもいました。周りにも結構いつも路上で活動しているメンバーがいたんですけれども、そんななか。「とりあえずかたっぱしからいきましょうか」という声がきこえました。なんだ?と思ってみてみたら、こわそうなお兄さんたちがなんと20人弱ぐらい。平気で色紙を踏んでいって、となりのヘンプのアクセサリーを売っている人に絡み始めました。こりゃ、やばいっていうことでお客さんが警察を呼びにいってくれたのですが、そのときばかりは警察も味方でした 笑 その後は警察に事情徴収をされたのですが、警察の方は優しかった。

 路上にいると、こういうことはしょっちゅうではないものの、結構、あるものです。でも、今回みたいにこんな数で本格的にやってくることは今までありませんでした。つまり、ここでやるのなら、それなりのお金をはらってくれ、というわけです。優しくいえば。

 正直、自分はもしも。自分のことであれば、いくらでもできます。なんとでもなると思っています。でも、さすがにこういう場合、どうしようもなく、受身になるしかない。次の日もおそらく来ると思ったんですが、その様子を見にいってみたら、やはり昨日来ていた人達がちらほら。かなり本格的になっている感じがしました。

 その時、色々考えました。もしも自分が路上から、いなくなってしまったら何が残るんだろう。もしも、自分ができることをできなくなってしまったら、その場所を取り上げられてしまったら、どうしたらいいんだろう。お金をはらえばいい、という事も今までありましたが、どうもお金を払えばいいっていうわけにもいきそうもなく、後々面倒になることは避けたい。そう思ってました。でも、ついにここまで来てしまいました。

 自分は渋谷にいる事に意味がある、と先日、日記の方に載せた事がありました。それは、渋谷そのものが”病んでいる”と感じる所だからです。なんか、他の所とは違う、今の人々の混沌とした、漠然とした思考がある。いろいろな人がいろいろな理由で、いる。目的があっている人もいれば、全く目的もなく、ただ寂しくてそこにいる人もいる。渋谷が嫌いな人も、好きな人もいる。初めてきて、怖くなって帰ろうと思った、そういった人もいる。特に地方から来る人にとって、渋谷は行きにくい街だと思います。自分が最初長野から出てきたとき、すごくそう思った。人々はなんか冷たくて、どことなく、心に余裕がなさそうで。すごく変な感じを受けました。だからこそ、自分は。あそこにいよう。そう、思っていたんです。別に渋谷にこだわらなくてもいいじゃないか、と思うかもしれません。でも、少しでも、渋谷に来た人が心に温かいものや、きてよかったと思えるもの、そういうものを感じてもらいたい。そうでありたいと思うんです。でも、それは、逆に言うと、自分が自分の存在というものをそこに持っているということ、皆にその存在を支えられている、という事なんです。

 だからこそ、自分があそこからいなくならなくちゃいけない、と思ったとき、絶望的な気持ちになりました。ここ以外で、自分が活動すれば良いのか、もしそうなったらどうするのか。色々考えましたが、どうしてもいい答えがでませんでした。どちらにしても路上だけじゃなく、今後、色々な活動をしていくつもりでしたが、それはあくまで”路上”という姿を前提に置いた中で。自分が皆と会わなければ、その活動は全くの意味がないものなんです。自分がその場で人々の悩みを聞けるからこそ、その人と会い、心を汲みかわせられるからこそ、自分が活動する意味がある。その場でその人を心を少しでも軽くしてもらえればと思えばこそ、自分はそこにいる。もしも、それが出来なくなってしまったら。そう思うと、自分にとっても、身がさける思いです。

 
 普段、あまり落ち込む事はなく、こんな事も考えたりもしなかった。でも、そういう逆境に立たされる時程、大切なもの、というものがどういうものかよくわかってくるもの。だからこそ、人はそれに向かってまた歩いていけるのですが、今回、自分の場合、すぐに答えが見つかりそうもありませんでした。

 そんな中、丁度、渋谷をでて帰ろうと思ったとき、そのプラットホームで「ハタさん!?」という声を聞きました。それは、いつも路上にきてくれていたmちゃんでした。mちゃんは、まだ学生さんで、でもものすごくいろいろな事に目一杯になる程の頑張りやさんで。だから、時に一杯一杯になってしまうことが多かったらしく、そんななか路上に来てくれた人でした。
 普段、仕事上、(アドバイザーの時もそうでしたが)落ち込んだり、元気のない姿をみせることなくいる事、が自分にとって最低限の事でした。皆にとって、元気を与える人がそういう姿をみせてはいけないもの。これは心を許しているとかそういう事ではなく、そうなくば、そのアドバイザイーとしての立場をしていることはできない、という事なんですが。もちろん、その姿を見せなくても、皆に会うことで心の中で救われていた事は沢山、沢山ある 笑

 でも、その時ばかりはさすがにそういう姿をみせることができなくて、今あった事を話してました。「もしかしたら、自分があそこでできなくなるかもしれない。」そう話した時に、mちゃんはこんな事をいってくれました。
「ハタさんが前、渋谷だからこそ、いる意味があるってhpかどこかで書いているのを見たことがあるんですけれど、私、その意味が今はよくわかるんです。渋谷の町ってどこか特殊ですよね。でも、私も渋谷にいって、ハタさんに沢山救われて、ハタさんがそこにいてその人に直接言葉を書いたり、話を聞いてくれていたからこそ、うれしかったことがたくさんあったんです。きっと、私だけじゃなく、たくさんの人がそう思ってると思うんです。大変ですけれど、応援してますから、頑張ってください。」

 ”頑張ってください” 自分が普段、皆に声をかけている言葉。なかにはその人の状況によってもかけない言葉。自分はmちゃんから言われたこの言葉に、”やめないでください”という言葉を感じた。

 辞める、なんてことは考えた事もなかった。今自分がこうやっていることが当たり前だと思っていた。自分から、これをとってしまったら何も残る事はない。でも、このときばかりはこの”頑張れ”がとても心に響いた。
 そう。なんでこんなことに落ち込んでいるんだろう。なんでこんなことでめげそうになっているんだろうって。
 そういった全てのことにすくわれた気がしました。

自分は辞めちゃいけない、こんな中だからこそ、自分を捨てちゃいけない。
自分が何でこんなにも悩んで、落ち込んでいたかというと、”辞めなくちゃいけない”ということを知らず知らずのうちに、心の中で考えてしまっていたからなんだと気付きました。たとえそれがほんの少しだった、としても。

 前、路上に来てくれた人で、こんな人がいました。その日、すごくやな事が沢山あって、ありすぎて。その時初めて会ったのですが、自分の顔を見たそのときから、ずっとずっと、泣いていた人がいました。涙が溢れすぎて、声も言葉もうまく出せない。そんな人がいました。自分はそれを無理に話させるのではなく、自分が声をだせるまで、受け止めてあげよう。そう思いました。そうして、少しずつ、自分の口からその人の今日あったことを話をしてもらいました。その時は泣き顔だったのですが、最後には笑顔になってくれた。そんな時、こんな言葉を言ってくれました。「悪い事の後にはいい事がちゃんとあるんだね。全ての事がそれに至るまでが過程になるって思ったこと、始めてだった。」
 これも普段、自分が伝えている言葉。でも、その人は自分がそれを直接言わずにも、そう考えた。時に、自分でもそれを分かっていても、なかなか考えがついていかないときが、ある。今回、自分がmちゃんに会えたことは、きっと、そんな自分を励ましてくれた、自分が自分のやるべきことから、道からのエールだったんだろうなと思った。なんにせよ、自分はmちゃんに心から感謝した。涙が出る思いだった。


 人はいつもなにかに救われ、助けられる。真剣であればあるほど。もうだめなのか、そう思う時に、本当に必要である時に、必要な出会いがある。それは人だけじゃない。物や、言葉。本、映画..。その出逢いは人によってそれぞれ。でもそれは、その時その時を真剣に生き、悩み、道を見つけ出そうとその人が心から思うからこそ、わかることだと思う。そして、それはきっと、その人の意思の大きさにかかっているんだろうと思います。

 また、これからも歩いていこう。もしかしたら、その場所を変えざるをえなくなるかもしれない。もしかしたら、その活動の形を変えざるをえないかもしれない。でも、これだけは変わりません。自分が今のように、今後ともずっとずっと、「誰かの笑顔をみれる」そのためだけに活動していく事。今のように、誰かの為に、悩みを聞き、書きつづける事。少しでも、それを見てくれた人が心を温めてくれる事。それだけはどんなことがあっても、辞めません。心からそう、思います。

 いつも自分を応援してくれ、支えてくれている皆さん。本当にどうもありがとうございます。何度、皆さんに救われた事か。何度、皆さんに助けられた事か。本当に感謝しています。言葉ではなかなか伝えてられないのですが、本当に心から皆さんに頭が下がる思いです。 あはは☆変ですよね、癒し人のはずなのに 笑 でも、自分にとっては、皆さん一人一人が大切な大切な癒し人、なんですよね ^^ これからも頑張っていきますので、皆さん、これからもまた、よろしくお願いします☆ また、活動の事や、変化のあった事に関しては随時hpの方に載せていきますので。

 
 では、皆さん、風邪などひかないように気をつけてくださいね☆またお会いしましょう♪それでは、また^^
(2002.09.28)
人がそこにいる限り。
皆さん、お久しぶりです。羽田です。どうも最近、風邪を引いてしまったらしく、風邪をひかないことにかんしては結構自信があったので、ちょっとショックです。 忙しい時はどんなに忙しくても、体調は壊しにくいけれど、そのペースを崩すと弱っていくよね。受験の時とか、何かをやらなくちゃいけないときって気をはっているから風邪をひかないんだろうけど、その後によく倒れる人がいる 笑。人がいかに意思や心に左右されているのかよくわかるよねぇ^^;。

 はて、今日はBBSの方にも書きましたが、最近の悪化する世界情勢についてかたりたいと思います。たまにはちょいまじめに 笑。

 なんか、最近状況が麗しくないよね。北朝鮮との関係(明日は小泉首相が訪問するらしいですけれど)、アラブとアメリカとの開戦間近、テロによる報復行為準備のうわさ。なんでこんなにも人と人が憎しみあい、殺し会わなくてはいけないのか。とてもむずかしいものですよね。

 人にとって正しい答えって一体なんだと思いますか?僕は無いんだと思います。ある人から見ればそれが正しいと言う答えであって、でもあるひとからみればそれがエゴになる。攻める人からみれば、平和を守るため、反撃する人に対しても、自分達の平和を守るため。宗教を信仰している人たちにとってはまさにいい例であって、自分の宗教を他の宗教にあてはめることができない。人それぞれの考え方があって、今という時が存在しているんでしょうね。

 戦争と平和との調和というのは、世界の均衡によって保たれている。それは、人が平和を祈り、武力に訴えない事を大切にしたいと想う人の心から生まれている。でも、戦争もそんな人の心からうまれているのんですよね。

 戦争の所縁は人がこの世に生まれた時から始まっていたそうです。縄文時代になった頃、人々は物々交換をする事で、生計を立てていた。でも、あるとき、人に物質的な貧富の差が出るようになった。それに対して、ある人はそれを奪ってしまえばいい。そう思い、人が人を殺し、食物を奪った事から始まっているといわれています。それは、その後、沢山の時代の中で人が過ちを犯してきた事の原点。人の'欲’が生んだ戦争の根本です。
 
 同じ人の心がそこにはあるのに、何でこんなにも差があるんでしょう。それは、自分は人の痛みを知らない人が多いからなんだと思います。もしも、自分がされて嫌だという事をちゃんと知っている人がこの世に溢れていたら、きっと、こんな事は起こらないでしょう。人が人を想い、人を愛す事が人を幸せにしていくものとわかっていたら、きっと、人を傷つける事はしないでしょう。それは”自分だけが”という気持ちが多いようです。悲観的にも、楽観的にも。

 
 自分が書いている言葉の一つにこんな言葉があります。
「強い事がすべてじゃないよ。弱い心を抱ける事もまた、大切な強さになってゆくのだから。」
 
 強すぎる心とは、なにもかも完璧で万能で、弱さを知らない心のことです。
完璧である事は、弱みや欠点がないということ。失敗を知らない、知る必要がないということです。
 でも、失敗を知らずして、完璧といえるのか、万能といえるのか。

もしもこの世に万能という人がいるのなら、それは、天才ではなく、普通の凡人ではないでしょうか。なぜなら、凡人であるからこそ、うまくいかないことも、失敗する事も知っているからです。だからこそ、人の弱さ、自分の弱さ、そういう心を知っていられるんじゃないんだろうか。だからこそ、努力したり、自分の道をつかむ上で、沢山の事にぶつかって、それから素直に学べる心があるんじゃないだろうか。それは人として、大切な事、ですよね。
 結局、普通であること、というのは、万能になることでもあるんだと思います。
 
 しかし、人として、人よりも完璧でありたいが故に、もしも自分の欲ばかりを優先させてしまったら、それによって、傷ついた人がまた、憎しみを作り、人を傷つける。悲しい事だよね。こんなにも悲しんでいる人がいるのに。こんなにも幸せを願っている人達がいるのに。自分の事しか見えずに、人を傷つける事をなんとも思わないことのどこに、平和があるんだろう。

 だからこそ、もしも、そんな世界の為に、平和の為に今できることがあるとすれば、それは、自分がまず、そんな平和や人の心を大切にする事、想いを大切にできる事なんだと思います。大きいことはできないのかもしれない。でも、日々のそういった心が沢山集まれば、大きい形になってゆく。今、自分が、色々な人の悩みを聞いて、沢山の人の心を聞いているのは、もちろん自分のできるカタチだからというのもあるのですが、自分にとって大切な事が世界が、皆が平和で笑っていられるように、という願いでもある事なんです。それは結果として、自分にとってもの幸せにもなってゆくものであるから。その人がその人の出来るカタチで、皆の、周りの、自分の笑顔を守っていける事。そういう思いを胸に今を生きていこうということが大切なんだよね。その為に人を傷つけるのではなく、人と人が想い合える。そんな気持ちをもっていたい。少なくとも、自分はそう思っています。

 
 この話をしってますか?世界のおサルさんを調べた所、日本のサルが海水でお芋を洗って食べるようになったら、その全く地球の裏のチリのおサルさんたちも同時期に海水で洗って食べるようになった。この現象は学説的にも有名で、結構聞いた事がある人がいるかもしれない。これは決して、誰かがおサルさん達に洗い方を教えたわけじゃない。まさかおサルさん達がわざわざ海を渡り直接会いに行って「芋って海水で洗うとうめーんだぜ。ウキッ」とかいってたわけでも無論、ない。(そっちのほうが革命的だ 笑) あくまでつながっていないと思われる世界の中で、意識がリンクしているという事。それは人と人が思いあい、信じあう事にも同じ。そうやって見えない力で世界は繋がっているんだと思う。

 
 最近、映画館に戦争映画をよく見かけるようになりました。それは、きっと、世界的にも”戦争”というものがどういうものなのかを見直している時期でもあるんでしょう。
 この世に貧富の差があり、沢山の考え方が存在している限り、つまり、この世に人が存在している限り、争い事がなくなることはないかもしれない。人が生まれてきてこの方、戦争のなかった時期はないように、これからも戦争がおこっていくのかもしれない。でも、少なくとも、減らせるようには近づけるはず。そういうときだからこそ、まず、自分達が戦争というものがどういうものなのかをちゃんと知らなくてはいけない。そして、人と人とが憎みあうとどうなってしまうのかをよく知らなければいけない。きっとそれは自分達の今を生きる一人一人の意識の中で解決出来るものだから。

  
 自分の隣の住人の人が変なんですよ。夫婦ですんでいるらしいんですけど(最近引っ越してきたばかりの若いお二人なんですが)、おそらくアパートとかマンションに住んだ事がない人なんでしょう。ちょっとでも音をたてると壁を思い切りたたかれる。まぁ壁が薄い、というのもあるのだろうけど、随分とキレやすいお方で 笑。でも、なぜかわからないんですけれど朝になると、また壁をたたいておられる(ストレスですかね-_-;)。(だいたいそれで目がさめる)それに対して、壁をたたいて応戦する事も出来るのですが 笑、自分はそれをしません。(よほど頭にきたらわからないけれど^^;)それは、以前、すんでいたアパートで経験している事があったんです。前のアパートはとても造りがひどくて、しかも102号室でたくさんの部屋に囲まれていました。そんななかで上、と左、右、すべての部屋がうるさかった。特に上と右の部屋。一時期ノイローゼにかかりました 笑。その時はもう徹底抗戦。たたきあいの嵐でした。どっちかがやめるまでやめない。
 でも、そんなことをしても何の解決にもならない。むしろ、その状態はエスカレートしていくばかりで結局、自分がそこから引っ越すまでそれはなくなりませんでした。
 もしも、憎しみを買ってしまって、そこで自分がまた新しい憎しみを作ってしまったら、また、それに重ねて憎くなる。結局、憎しみは何も生み出さない。それがわかってから、自分自身がそれを流せるぐらい大きい心を持てることが大切なんだと思いました。今ではすっかり、そういうことにも慣れてしまって、「はいはい、ごめんね。」とかいって流せるようにはなったんだけど(大人になったなぁ 笑)、いつも、部屋を訪ねてくれる友達に言われます。
 
 「お前いつも引っ越す部屋、ついてないよなぁ。」
 グスン。そうでしょ、そうでしょー。わかってくれる??今度こそは、防音の所に住むぞ、このヤローー 笑。
 えー、そんなこんなで、皆。平和的に生きていこうね。あはは☆

 今回はこんな感じで終わりにしたいと思います。最近、やっと警察の方もほとぼりが冷めてきたらしく、取り締まりが減ってきました。今週からはまた、ちょくちょく出て行くことになると思いますので、皆またよろしくお願いしますね^^ 
 だんだん寒くなってきて、風邪を引きやすい季節になってきたけれど、皆も気をつけてね。でも、なぜか自分はこの季節が好きなんだわな。この夏から秋の寒くなる季節の移り目の風。妙にしんみりして、でも、なんだか温かい。やっぱり、長野ッ子だわー笑。

 そんなこんなで。それでは皆さん、また次回☆
(2002.09.17)
自分にないもの、自分にしかないもの。
残暑は厳しいざんしょ、とはよくいったもので。(始めからごめんなさい 笑)
暑い日はまだまだ、続きますねぇ。^^;
ハタです。路上にいても、まだまだ夏の暑さはきえない今日この頃。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。

最近、なにやら警察がどーも、きびしくてきびしくて。
どうしたものかと思っています。
警察としてはあそこにいるということが迷惑であるということ
はわかるんだけど、
自分としてはあそこにいることに意味があると思っているわけで。
警察の方の立場があることはよくわかってはいるんだけど....。
難しいなぁー 笑 
もともとは増えすぎたあそこにいる物売りやら外国人やらなんやらを
取り締まる為にきたのかもしれないけれど、その
とばっちりをうけているような気がしないのでもないような。
まぁ自分もあそこにいる一人なのでなにもいえないけれど 笑
寒くなったら、落ち着くのかなぁ。
このまえは調書をとられたし、今日は写真を取られたし。
このままいくと違った意味で有名になりそうな気がする^^;
あはは☆(笑い事じゃないか) 頑張りマス☆

さてさて。今回は書いた日記をhp上に載せようと思って
bbsをみたら。
なんと素敵なbbsが。
返事を書いていたら、
まったまた長くなってしまったので、ハナちゃんと同様に、
特別にdiaryに載せる事にしました。

どらちゃん、どうもありがとう!!
べ、別にネタ探しなんてしてないから。-_-; 笑
今回載せようと思った日記は、また次回にします。


>自分にないものを挙げていったらきりがないですよね。
人をみてうらやましがったって、ないものはないんだもの。
自分はこうだ、と受け容れるしかないんですかね。
だけど、ひらきなおって何の努力もしなかったら、全然成長しないですよね。
求めるものに対して努力することと、今ある姿を受け容れることと、
バランスをとっていくのがけっこう難しいことだな、と思いました。


自分にないもの。人にあるもの。
それはきっと、人にも自分にも言えることなんだろうな。
自分も、本当によく思いました。自分にないものを持っている人が
とても輝いて見えていて、羨ましくも、ちょっと
悔しくも思えてました。
とくにそれはね、今という時に自分を持って生きられていなかった時が
多かったです。つまり、自分で言うと大学の時、なんだろうな。
その大学の時より、自分を追及してもとめたアドバイザー、カウンセラーの
世界においても、また、そこで違った気持ちを抱きました。

自分をもって”求めるもの”があるからこそ、努力するからこそ、
そこにおいて、
自分の持っているものと、
そうでないものの
差がとても大きく見えるようになってしまった、
という気持ちです。

人は真剣であればあるほど、そこに情熱や心を抱きます。
でも、だからこそ、どこかしら自分と誰かを比べてしまう思いを
抱いてしまう事も、この”日本”という社会の中では
当然のことなのかもしれません。

その例に漏れることなく、
自分もそんな思いで入社当時、同期のアドバイザーを見ていた事がありました。
なんとなく、くやしくて、でも
そんな同期の姿を見れる事をうれしくて。
複雑な思いを抱いていました。
でも、あるとき。一人の同期からこんな事をいわれました。
「ねぇ、成功も失敗も一緒に喜び合おうよ。
そんな(複雑な気持ちで)人を意識している関係を、
タケルとはもちたくないよ」って。

「はっ」と、気付いた。
そんな顔をしてたんだ...。
とても自分が恥ずかしかった。
小っちゃい自分にとても、恥ずかしくなった。

それと同時に、
相手の心の持ち方の広さにすごく学ばされ、心からの感動すらした。

共に喜び合える事。
そう思うことは簡単でも、できなかった自分がいたのは、
どこかしら、そんな相手を認めてしまう事が怖かったからなんだと思う。
当初、自分には少なからず、アドバイザーとして
自信がない部分もあった。
でも、その時気付かされたのは、
何かをしていく事というのは、
争いあい、競い合うことがすべてではないんだな、ということだった。

共に成功を喜び合い、認め合い、そういった関係を作れるからこそ、
人は共に上へ上へ伸びていける事が出来るんだと。
そして、そういう心をもててこそ、初めて
一回り大きくなれる自分もいるんだなと感じたんだ。

人を認める事が出来るという事は、
自分を認めている、という事。

それは、自分にないものを賛辞できるからこそ、
自分にあるものを、心から大切にもしていけることなんだと思う。

自分はその同期のアドバイザーに
謝りました。それは、悪いという意味よりも、
いってくれてありがとう、という意味で。
心から、ありがたかった。

自分にないものをみて、
すごいなぁと感じ、認められる事から
自分を伸ばせたり、学ぶ事が出来たら、きっとそれは
素晴らしい。

でも、もしも、自分にないものを見すぎて、
自分を低くみてしまったり、自分にあるものが見えなくなってしまったら、
それは、きっと間違っている事なんだと思う。
その人にしかない、その人のいいものをもっていても、
それに気付ける事もなく、
きっと、そんな自分に自信を無くして
自分を見失ってしまうから。


自分は、人にすごい、すごくない、というものはあったとしても、
人は人であるかぎり、立場は同じだと思っている。
どんな人でも、そう。
その人には逆をいえば、その人が持っていないものを
自分ももっているということだから。

もしも、その人がエライ人で、または、有名な人であったとして。
でも、そんな自分の事を鼻にかけるあまり、
人を見下したりしてしまったら
そんな人はえらい人でも、すごい人でもなんでもない。
ただの思い上がり。
成長も何もしていない人なんだと、僕は思う。
本当にすごい人やエライ人というのは、
相手の立場や気持ち、その人というものを
同じ立場で、同じ目線でちゃんと見ようとする。
そして、そこからなにかを
学ぼうとする素直な心がある。
認められる器がある。
自分が心から尊敬した人や、すごいなぁと思った人は
自分よがりで物事を見たり、するのではなく、
そんな心をちゃんと持っている人たちだった。

もちろん、すぐにはできることではないのかもしれない。
自分という存在に自信があって、
自分をちゃんと持っている人でないと難しい事なのかもしれない。
でも、
人は比べられるものではない。
比べるものではなく、自分が知らず知らずのうちに
比べてしまっている事がたくさんあるものなんだ。

もしも、自分が相手に壁をつくってしまったら、
きっとその人も壁を作る。

相手に失礼のないように、
尊重して敬い、相手と話し合う事と、

自分と相手を比べてしまって、
それに対して自分を見下してしまう事は
違う。

もしも、相手がそんな自分を見下してしまうという人であるならば、
そういう人としてみるしかない。
でも、きっと、その人は後で
たくさんの失敗を繰り返すと思う。
人は一人で生きられているわけではないから。


たくさんの人がいるからこそ、
自分と誰かを比べてしまう事があるのかもしれない。
でも、そんな中だからこそ、
自分にしかない好きと言える心や、
自分にしか抱けない、何かへの想いを自信をもって
歩いていっていいのではないだろうか。
どんなに探しても、
どんなに見つけようとしても、
自分が大切に想う自分の心のそこにある気持ちや物
というのは、世界のどこにもない。
あなたのものでしかない。


人にとっての価値感が違うように、
自分の価値を決めて、みているのは
自分への見方なんだと思う。
宝物にするのも、ごみと思うのも。
全て、自分。

そんなあなただからこそ、
自分の道を見つけられたとき
誰よりも人を応援でき、
自分もより高みに登っていけると思うんだ。

と、こんな感じでした。
いかがでしたか?なにか伝えられる事があったかなぁ。
でも、こうやって、書いてくれる
皆にはいつもいつも感謝しています。
できれば、これからもこんな感じで
日記の方にもその人からの
bbsを答えてあげられたらな、と思います。
沢山の人もきっときっと、同じ思いをいだいていることでも
あるだろうし、自分も沢山の事を
学べさせてもらえるし^^

ということで、今回は、どらちゃん、
どうもありがとう☆^^v

次の日記か、その次ぐらいには
皆さんに発表できることがあると思います。
是非楽しみにしていてくださいね♪

それでは、皆さん。また次回^^ 
(2002.09.06)
巡りめく季節の中で
ごめんなさい☆前回の日記が少し後の方が切れていたので、ちゃんと新しいやつにかえました。よろしくね^^; では、引き続きお楽しみください☆☆

 今日は みなさん。羽田です。お久しぶりです。やっと昨日、実家から帰ってきました。なんかあっちのほうでは、やたら同級生が結婚をしていたりしてなかなか、面白い里帰りになりました。皆さんいかがおすごしでしょうか。毎月毎月いっているように思えるのですが、もう8月も終わろうとしていますね。なんか、月日の経つのが異常に早い気がする。でも、自分はこのこれからの季節が一番好きだったりします。夏から秋に移るこの季節はなんだか寂しくて、でも、なんだか温かくて、、郷愁感というのかな。そんな感じの季節がとても心に染みます。


 季節はいつも巡りゆいていく。
春がきて、夏が来て、秋がきて、冬が来る。これは一つの常識なんだろうけど、でも、この四季があるところは世界でも限られていて、色々な色取りを見せてくれる日本の四季が見れる自分としてはとても嬉しく思います。
 
でも、四季って、いいかえれば、始期とも、死期とも。いえるんですよね。
 あまり気付いてないかもしれないけれど、この一回の季節の巡り行く中で、たくさんの命の始まりと終わりがある。四季の巡りというのはそんな命の巡りだったりします。
 
自分が2,3日実家に帰った際、とある出逢いがありました。
今回はその出会いを綴った、あるお話です….。

 
晴れた夏の日。午前中でした。
長野県の夏はどちらかというと、からっとした暑さでクーラーとかはいらない事が多い季節です。自分はまだ起きたばかりで、寝ぼけ眼で居間に下りてきました。
その時、居間で外の庭を見ていた父がふと一言をもらしました。

「あいつ、毎年来ているんだよなぁ。」

あいつ?あいつってなんだ?
そう思いながら、外を見るとそこに一匹の大きなトンボが。
通称、長野県では“オニヤンマ”と呼ばれているトンボです。
通常のトンボよりも1回りも2回りも大きく、その姿は最近では長野県でも滅多に見られなくなったとか。昔はよく追いかけても捕まえられなかったかつての宿敵をみて、(今はなんとも思わないけれど笑)へぇと、懐かしさに関心。
でも、父からいわせれば夏になると必ず顔を出すそうで。
不思議そうーに見つめていました。

“あのオニヤンマ”という言葉に、「え?オニヤンマって冬も死なないで生きているんだっけ?」とかいってボケだか、天然だかよくわからない母はほっておいて、
なんだか心がとても温かくなるような気がした。

その時、ふと。言葉が心を横切った。
なぜオニヤンマは、毎年、生まれ、死んでゆくのに、
まるで憶えているかのように、ここを訪れてゆくのだろう?

毎年顔を出す、オニヤンマはここに来る事が初めてなんだろう。
けど、ここにいる人から見たら、また来たな、と感じる。
それは偶然なのだろうか。

ただ単に、生まれた所が近いというだけのこともあるかもしれない。
でも、自分は。
オニヤンマがここにくること。
それは、オニヤンマの心の中で、知らず知らずのうちに想いが
前のオニヤンマより伝わり、
その記憶が残っているからじゃないだろうか。
人間とはカタチが違っても、その思いが残っているんじゃないだろうか、
残してくれているんじゃないかって。
そう、思った。

そう考えると、オニヤンマだけじゃない。
毎年そこに咲く花も。鳥達も。
決して同じものじゃない。
同じ鳥とは限らない。
でも
やっぱりそこに、花が咲き、鳥が訪れる。
それが当たり前、といわれてしまったら、確かに当たり前なのかもしれない。

でも、その当たり前の中に、
なんてたくさんの奇跡がふくまれているものなんだろう。

生命ってすごいな。
そう、説明できるようで、できない命のつながりに
それを作り、支えている、この四季に
心から感動した。

「あのオニヤンマは、なんか他人みたいにおもえないんだよなぁ。
家族みたいなもんなんだよな。」
そうつぶやいた父に、またちょっと感動しながらも、
“オニヤンマは人じゃないよ。父さん。”と
冷静に心の中でつっこみをいれながら
うんうんとうなずいていた僕でした。


めぐり行く季節の中で、僕達は一体どれだけの出逢いを生んで、
どれだけの想いをそこに残せてゆけるのだろう。
その出逢いを生み、作り、残してゆくのも、また
“生命”という強くも儚いものならば、
それに気付け、行動していけるのも、また
生命という命を抱いた“あなた”でもある。
この季節の中で、出会えるものに
あなたの想いを与えてあげてください。
たくさんの心を込めて、
みてあげてください。

めぐり行く季節の中で受け継がれるのは、命のバトンだけではなく、
そんな温かい想いや心のバトンなんだと
思うから。

実際はどうであれ、そんな風に季節を見る事が出来たら。
素敵だよねぇ ^^;
でも、春の花粉症の季節だけは耐えられない。
スギさん、スギサン。
どうか来年こそはいじめませんように。

今回は、あえて短めにしてみました。このくらいが丁度いいのかな??
んー、どうなんだろう。沢山の人の意見を聞きたいなぁ。
また、皆さん、よかったら遠慮なくBBSの方にでも書き込んでください。
バカっ話でもなんでも、よろこんで^^v

あと、夏ももうちょっと。皆、頑張って夏を乗り切ろうね☆
それでは、また。。 
(2002.09.01)
もどる
バックナンバーリスト
HOME
build by HL-imgdiary Ver.1.25