2003年12月の日記

新しきはいつも除夜の鐘が響く夜と共に
「路上で、年越し。ううーーーん。かっこいいぃ〜〜〜。」



カウントダウンを路上で過ごす。ちょっとちょっと、かっこよくない??これ?ねぇ??

なーーーんてそんなバカなことを考えて、でもかなり本気のでへでへ顔で路上に向かった去年の12/31日をふと、思い出す。
寒さもちょーど今ぐらいの寒さで、雪も降らずにまさにもってこい、なんてこったのカウントダウン日和!
よっしゃ〜〜〜、やったるで〜〜☆


....と、
意気揚々。
準備満タン。
やるきまんまんで、路上に座った、


その、ちょーーど3分後。(ほんとに)


ハタタケルに近づく人影三つ。

振り返ると、そこには無線を持った警察の方々。


ガガーピー....ガガ(無線の音)

....なにかいいたそうね、無線君。


「......」

「......」

にこっ。

警察の方、お一人が笑みを浮かべる。
思わず、笑顔で返しちゃうハタサン。
でも、心中まな板の鯉 笑。

「....や、やっぱだめですかね?」

あははは....と力なく笑うハタサンに向かって、すると警察の方はハタサンのそんな胸中を察してか、こういった。

「年越しはねぇ、去年、人があふれて渋谷で死亡者がでたくらいだからねぇ。今日はお願いだからやめてくれない?」

あははは....と優しく笑いながら言って下さった警察の方。

ううーーん。やさしひ。
でも目は笑っていなかったりもする。 泣


ああ、お願いされちゃったよ、癒し人。
ああ、やりたかったよ。カウントダウン癒し人..... 

こうやって見事にハタサンの目論見は打ち砕かれました。

はふ。

あーー、あれからもう、一年たったのねぇ。

来年の今頃は、カウントダウンのハタサンを思い浮かべては、
「あんな頃もあったべさ〜〜。」と
一人かっこよく「ふっ」と、笑みを浮べているはず..と思っていたのに、
まさかこういう結末を迎えるとはっ。


こんなことで負けるか!
さーーー、ということで、今年も差し迫ってきたカウントダウン!!


...今年は、帰るけれどね。実家に。 笑



いや〜〜〜、ついにきちゃったね。2004年。
もう、2003年も終わりですよ。

光陰矢のごとし。
時の経つ早さにはたくさんのことを考えさせられてしまう。
受け入れることも多いし、受け止めなくてはいけない事実もたくさんある。
それが人生なのかもしれないけれど、過ぎてみれば、「こんなこともあったな。」のたった一言。

その時は、必死で色々なことを考えて、悩み、迷ってきたのに、後から考えると、笑い顔になって話せてしまうのはきっと。
受け止めてきた想いの大きさを物語ることが多いからなのかもしれない。

それも人生なのかもねぇ。


...というわけで、始まってみました☆今年最後の月記。もう月記という言葉は定例になったでしょ??笑 ずいぶんとみんなの中ではよく根付いてくれているらしく、ハタサンの日記を書いているスタイル(?)を知らない人は、月記が更新されていなくて残念がってくれることがあるそうですが、そのうち、月記がいつ出るのかを見計らって皆さん見てくれるようになりましたね。ふふふ。あ、ただ単に、ハタサンがめんどくさがり、というわけではないですよ。はい。ハタサンが皆さんに誠心誠意伝わるよーーにするためには、やっぱり、まとめた方がいい感じなので、ですよ。はい。皆、ご了承下さいね。分からなくても、ご了承下さいね。にっこり(^.^) (強制 笑)


 2003年も色々と思い起こせば、たくさんのことがあったなぁ。人生というか、生きているこの世界って、当たり前、と思うことと、信じられない、と思うことの出来事の連続で、この日常茶飯事が成り立っているような気がする。その一つ一つが客観的に見れば、何かの物語や映画を見ているように思えてしまうから世の中恐ろしい。それだけ、この日本が数多くの世界中の国々に比べ、ある程度平和という均衡の中で成り立ち、生活をできているからこそそんなことがいえるのだと思うけれど、そのありがたさを感じる分、その不安定さを感じては時々怖くなる。願わくばいつまでもこの平和が続くように願いたいものです。

 
 はてさて、毎年恒例のファミリーマートの年賀状受付が丁度今年も終わりました。路上にもたくさんの皆が購入してくれた報告を聞かせてくれにきてくれて、とても嬉しかったです。この場を借りて、普段、路上に来てくれる方にも、そうでない方にも、心よりお礼を言いたいと思います。本当にみなさん、どうもありがとう^^ みんなの気持ちがたくさんの大切な人に伝わってくれるお手伝いをさせていただくことができれば、ハタサンこの上なく嬉しい限りです(*´▽`*).....でも、お猿さん、かわいかったでしょ??笑 なにせハタサンの自慢の息子ですから(一応オス、ということで... 笑)(*´▽`*) ちゃ〜〜んと年賀状、これからもずっと手元においてあげてくださいね☆ハタご利益ありますよ♪ あはは☆


 今年は特に思うんだけれどね、あまり寒くないような気がするんだよね。路上にいてもそうだし、家にいてもそう。寒さに強くなったからなのか、それとも、異常季節なのか。うーーん。年毎に寒さが和らいでいる気がする。

 皆、お正月はどうやって過ごすのかな。実家に帰ったりするのかな。それとも実家に住んでいる人は、親戚とかで集まったりするのかな。 ハタサンはですね、今年は実家に帰ろうと思います。と、いっても2.3日だけれどね^^; というのも、今年はなんと。うちの妹さん、つい最近、子供が生まれたらしく、どれどれその顔でも見に行こうかと。あ、もちろん。みなさん、心配しないで下さい。大丈夫、大丈夫。「おじさん」なんて言わせませんから♪絶対(-"-) 笑 せめてタケル”おにいちゃん”でしょ??まだまだハタサンもぴちぴちに若いので♪あはは〜〜(*´▽`*)  .....こほん。そこで横目で見ているあなた。分かっている。分かっているから、みなまでいうな。みなまで。泣くぞ、こら。....ほんとに年が経つ早さにびっくりします。(;_;) 笑



 さてさて、気持ちを切り替えて。今回の月記は、そうだなぁ。久しぶりに語りモードに入ろうかなぁ^^ ね、ね。年の最後だし、このときぐらいまじめに話ても損はない...よね。笑 ということで、じゃあ今回はおばかなハタサンは少し置いといて(残念?)、ちちっとまじめに。今までの今年一年のまとめに入りたいと思います。眠くなったら言ってね(聞こえないけれど) 笑



 僕はいつも、年を越すときに、たくさんのことを考えます。それは、僕だけじゃないことでしょう。一人一人、色々なことを考え、感じ、そうやって、また新しい年を越してゆく。去年への反省と感謝と共に、また、来年への抱負を抱いて、新しい年を迎えられる。それは、人が今を生きるということへの、一つの希望を抱けるということでもあると思います。どんな人も、どんな世界でも。また新しい年が来る、ということだけは平等。その事実の中には、その時の中にだけは、争いもなく、人と人がいがみ合い、憎しみあうこともなく。ただ、新しい年を思う人々がいる。
 今年は良い年でありますように。
 今年も良い年でありますように。
 皆が笑顔でありますように。

 でも、皆そうやって、それぞれの平和を望んでいるはずなのに、どうしてこうやって、いつの間にかすれ違いがでてしまうんだろう。

 僕は今年、一年のことを振り返ると、一番胸に残っているのは、イラク戦争。今でも、自衛隊派遣について議論され、決議されている。もう、この戦争はアメリカだけのものではなく、世界を巻き込んでしまっている。これを起こしたのは、たった一部の人間の勝手な自己欲にすぎないのに、そこで苦しむ人は民間人や、兵士達。多くの人の無駄な血が流されて、多くの人の思いが踏みにじられて、それでも自分は正しいとする権力者達。自分を認めることと同じように、他人の存在も認められる事の方がどれほど強くて、本当の平和に溢れていることか。そこに人間の弱さや、愚かさを感じずにはいられないことがまた空しい。人間はこんなにも頭のいい動物なのに、その頭の良さが心の在り方一つで諸刃の剣にも変わってしまう。それはとても悲しいことです。僕は最終的に人が、皆が平和に暮らせるために一番大切なことは、共存共栄してゆく、ということの在り方を大切にしてゆく、ということだと思います。それは、自分をもつことから始まり、また、一人では生きられないことを知ることに終わること。そうできたら、こんなにも生きてゆくことが楽になるのになぁ。路上で、目の前に座ってくれる人を見ては、そのありがたさとその事実を常々、いつも感じずにはいられないハタサンです。 


 皆にとって、この世界はどう映って見えるんだろう。どう感じているんだろう。それは一人一人、置かれている状況や環境があるからこそ、そこに左右されることがたくさん在ることと思いますが、僕は人間という生き物の、心からの嫌な部分も、心からの良い部分も、良くも悪くも見えてしまいます。これだけたくさんの人にあってゆくと、そこには、一筋縄ではいかない、人間の深さと、人間である浅はかさが交差して、どうしてもそういうところを感じてしまうこともたくさんある。そういった難しく考えてしまいそうなときほど、僕はシンプルに、より単純に、自分にとって何が大切か、何を大切にしたいのか、だけを考えるようになります。
 結局、周りがどんなであれ、自分が、「どうありたいのか」を大切にできれば、自然と自分が望むものが残ってゆくものだから。人間、自分が求めるものを持っている人や、自分と同じものを抱いている人を好きになったり、集まったりする。それは理屈じゃなく、やっぱりその人が持っている、抱いている心の在り方なんだと思う。人間の面白いところは、悪いことを考える人は、同じように悪いことを考える人を周りに集めるし、お金だけを考える人は、やっぱり、そういうお金だけに興味がある人達と交流を持ってゆくようになる。その人を知るなら、周りの友達を見ろ、とはよく言ったものだけれども、でも、それは逆を言えば、自分がしたことは、必ず良くも悪くも返ってくる、ということでもある。それは、その人が望んで、それをしているから。だから、いつの間にか、自分もそうされることを「望まれて」しまう人になる。いつまでたっても、同じことの繰り返しや、本当に大切な人と一緒にいたい、と思うことがあっても、その人ができないのは、まずそうしてしまっている、自分に原因があることをしらないと、その事実が見えないものなんでしょうね。自分を取り巻く環境や、人間関係の問題は、外的要因が多いものではなく、自分の心の在り方の問題による内的要因のものが大きいとも思います。もしも、そこで、自分の気持ちに正直であれば、何が自分の中で正しくて、間違っていて、そのためにはどうすればいいのかを見出してもゆけるもの。またそれに正直に行動できるかどうか、というものは別の問題だけれど。でも、その自分が感じている答えには、その人にとっての間違いはないと思います。

 先日、こんな人がいました。「今までずっと、看護士をやってきたんだけれども、どうしても、どうやっても人間関係がうまくいかない。だから辞めようと思って。」 この方は、辞める、ということに、不安を感じていました。看護士の世界は、新人はその病院で始め3年働いて常識、といわれるそうです。そこで初めて、転職やらなんやらの適正がある、と一般的に言われる。でも、この方は、まだ初めて2年。それでも、自分なりに頑張ってきたといいます。
 僕は、辞めることに全然、不安や負い目を感じる必要はないと思いました。それは、話を聞く限り、その人がどうしても間違っているとは思えないからです。辞める、ということが、僕は決していけないことだとは思いません。なぜなら、自分にとって、”合わない”なら、合わない、ということを認められることもまた、自分をもってこそわかる大切な自分の答えだから。もっとその人が活かせるフィールドがちゃんとあるはずだから。続けることによって、その人がプラスになるとは限らない。逆に、もっともっと、人間的に成長できるのに、そこでもっとダメになってしまう人はたくさんいると思います。そして、それをちゃんとわかってくれる人もまたいることも事実だと思います。伝える側にも。その内容を受け取る側にも。

 例えばそれは、現在とても多い、学生の登校拒否もいい例です。学校が合わない、という事実。それは、周りの大人から見たら、「甘え」に見えるのかもしれない。でも、僕は決してそれだけが原因ではないと思う。学校が合わない、ということもまた、その子の実は個性だからこそなのかもしれない。そして、それもその子が自分の中でだした、自分なりのはっきりした答え、なのかもしれない。それは”弱さ”じゃない。その人、それぞれにあった答えがあり、自分がいて、心がある。それは、必ずしも、「皆と一緒」ということが、全ての正しい答えになるとは限らない、ということです。もちろん、そういう子は、社会的に見たら、この社会の中で順応して生きる、ということが難しいのかもしれない。でも、だからこそ、その子ができることや、自分を持って生きることができたら、順応して生きることとはまったく別の切り口で、自分を活かして生きていくこともできるようになる。
 順応性や協調性は時には、自分、という”個”を抑えなくちゃいけないことにも変わるもの。それは、それに慣れてしまうと、どれが本当の自分なのかが見えなくなってしまうことにもなる。そうなると、起こる問題は、自分が今この世界に生きていて、その楽しさが分からなくなるということ。見えなくなってしまうこと。生きている意味を見出せない。また、何をやっても面白くない、という思いが生まれるもの。それは、自分のあるべき姿を見失っている、または、それを見つけようとしている段階で起こることでもあると思います。
 そういった意味で、”個”が強い人は、この集団社会の中で生きてくことがとても大変だとも思う。でも、その一方で、その自分の”個”の活かし方が一つ分かるようになれば、これほど生きていることが簡単なものもないと感じると思います。それは、”自分をもち、自分を知る”ということは、自分の活かし方を知る、ということだから。それは、自分にはできないことができる人を認められ、自分ができることを伝えてゆけることができる人にもなる、ということ。そうできることは、まさに共存共栄を図ってゆく始まりになれると思うからです。人間、全ての人にいい顔をして生きることが、生きる術とは限らない。協調性を図りながらも、個性を知り、自分、という存在のあり方を大切にできる、そのバランスの取り方ができる人が、最終的に人生を形にしてゆける人になるんじゃないのかなぁ、と思うんです。

 今の日本を見ていると、正直、先に対しての不安材料がありすぎて、不安感はぬぐいきれないし、世界の方向性がどこにむくのかによって、またこれからも変わってきてしまうと思います。今でこそ、その問題は表面には現れていないけれど、これからの世代を担っていく子供達や、次の世代にその”ツケ”は周ってくる。今まで好きかってやってきた大人たちの借金。それが今現在抱えている、景気の問題や、国債の問題だったりするし。ただ、そういうことを言っていてもきりがない。だからこそ、せめて、自分のことだけはちゃんと自分で知ってゆくことは大切なことだと思います。国に任せる、ということではなく、自分が自分の意思を持って生きること。会社に雇われる、という感覚ではなく、むしろ、会社を自分が成長するための土台にしてしまうこと。流されて生きるのではなく、おかれている状況をただ不景気や国のせいにするのではなく、自分がちゃんと自分なりに判断して生きる目を持って歩いてゆくこと。これから先、常識、なんていうものは、きっとあってなくなる時代になると思います。どれが正しくて、どれが間違っているのか。そういえる自分の考え方を持つこと。そして、その自分を信じて生きていくこと。それは、遠回りに見えるかも知れないけれど、まさに自分を知る、という原点を見つめなおすことの中に、これからを生きていく術があるんだと思うんです。



 ただ、こんなにね、せわしい世の中だけれども、先日もまた、心温まる出来事が路上でありました。あるとき、路上にきてくれたお客さんのお話を聞いていたときにですね、まだ小学校低学年の子供が近寄ってきました。その時、その子は近づいてきて、何を言うかと思えば、ずいぶんと大人びた発言を連発。「今年の海外旅行はファーストクラスじゃなく、エコノミーだから嫌だ。」とか、「お兄さんの絵はとても温かみがあって、すごいいい。何の画材を使ってるの?」とか。この子には、目の前にいたお客さんも呆然。まぁ、そのお客さんとも自分が仲が良かったのもあったんだけれども、そのお客さん二人に向かって、その子は「おばさん、おばさん」を連発。笑 その目の前のお客さんも「まぁ、近頃の子供は」的な発言を平行して子供というものだから、どうしたものかなぁ、と僕も苦笑。でも、僕はこの子の教養の深さや、いい意味でも悪い意味でも子供らしからない身のあり方に、ちょっと疑問を抱きました。今の世の中の子供って、僕がいたときの子供らしさとは全然違っていて、どういったらいいのか分からなくなるときがたまにある。もちろん、中には子供らしい子供、がいることには変わらないんだけれど、時々こういう子供に触れると、学歴社会オンリーの教養を押し付ける世の中や、大人の思惑が見え隠れしてしまって、胸が痛くなる。子供の時には、子供の時にしかできないことや、学べないことってたくさんあるものなのに、それは決して勉強だけで賄えるものじゃない。あまりにも頭でっかちになってしまっていると、その反面、心の教養ができなくなってしまう不安もあります。この子も、話を聞くと、今も丁度塾の帰りで、毎日塾を行っていると言っていました。渋谷のど真ん中で、こういう子供がいる、というものまたなんともいえない思いでした。

 そして、その目の前のお客さんが立って、帰ろうとしていたときです。僕は、また次のお客さんが待ってくださっていたので、その方のお話を聞き始めたときだったのですが、その子がさっきの二人のお客さんとなにか話をしているのが見えました。そして、しばらくして何を思ったか、そのお客さんの一人が僕の横にきてこういったんです。
「あの子ね、実はね、家に帰りたくないんだって。帰るとお姉ちゃんにいじめられるらしくって...。だから、なんかあの子に言葉をプレゼントしてあげられないかな」って。
 僕はこの人の言ってくれたことに、はっとさせられました。この子も、強がって、大人ぶっているけれど、実は、やっぱり周りにいる子供と一緒で、ただ、寂しさや辛さを隠すために素直になれなかったんじゃなかったのかなって。そして、ただ表面的な子供の姿を見るだけではなく、その心を汲み、その子に何かしてあげたい、と温かい心をもっている、そのお客さんが素晴らしいと思いました。
 そして僕は、そんな自分が恥ずかしくなりました。僕はその子の心の在り方に気付くことができなかった。だからせめて、僕はそのお客さんの心使いを大切にしてほしいと思い、僕は一つ色紙をプレゼントしました。そのお客さんに 笑。どうしても、僕から、ではなく、そのお客さんの手で渡してほしかったし、それを汲み取れたのは、やっぱりそのお客さんだったから。逆に、その子に、そんな人の温かさを大切にしてほしかったから。でも僕は、反面とても嬉しかったんです。こういう温かい人がこの世界にいる限り、ちゃんと世界は回ってゆけるって。世間がたくさんの不条理の中で、見えなくなっても、こういった心の在り方を大切にできる人がいてくれるからこそ、こういう子供達もまた、人を大切にする気持ちや、温かい心をもってゆく大切さを知ってゆけるんじゃないかって。僕は、一瞬だけれど、その子が帰り際に見せた、張り詰めた面持ちが少し。緩んだ気がしました。やっぱり、人間、最後はどんなときも”人”なんだなって。僕はこのお客さんにとても感謝したくなりました。
 
 こういう人と人の心の受け渡しを見ているとね、さっきみたいに理屈で物事を考えていることが笑い事に変わります。確かに、今の世界や日本の現状は変わらないけれど、それを構成しているのは、人。そこにある、人の心が死なない限り、こんな温かい人がちゃんと居てくれる限り。僕は人間はどんなことも乗り越えてゆけるんじゃないかなぁって。客観的ではあるんですけれど、希望を見出せます。
 だからこそ、僕は僕のできることでしかできないけれど、それを通して、またこれからもたくさんの人の心を少なからず、温めてゆける自分でありたい。そして、その人の涙を少しでも汲み取れる自分でありたい。そう在れる自分で在り続けられることが、きっと、今までの自分を支えてきてくれた皆への、そして、これからも出会ってゆけるたくさんの人への、せめてものお礼と恩返しになる。そう思っています。もちろん。それは僕が僕であるためにも。そのためにも歩き続けてゆきます。


 今年も色々とありました。まぁ、それについて色々といってきましたけれど、でも、一番僕が言いたいことは、やっぱり一つ。出会ってくれた皆さんへの、そして、いつも支えてくださる皆さんへの、心からの「ありがとう」なんです。ごめんなさいね、いつも言うことが一緒で。 笑 でも、それでしか表現できないんです。本当にいつも皆さんの温かい心に僕は救われているし、そんな皆が居てくれることが、僕にとっての何よりもの今を生きている救いです。そして、先ほども言いましたが、そんな僕の姿を見せてゆけることが一番のそんな皆さんへの心からのアリガトウです。
 
 これからまた始まる2004年は、僕にとってとても大きい時期になります。そしてまた違った意味でのハタサンをお見せしてもゆけると思います。またこれから、色々とあると思いますが、どうぞ末永く、そんな姿を見守ってください。僕もそんな皆さんへの、心からのありがとうを、言葉だけではなく、ちゃんと自分の行動を通して表してゆけるように、一歩一歩頑張っていきたいと思います^^。

 
 ....というわけで、難しくいってきたが、まぁ、その。なんだ。
 

 また来年からもよろしくね♪
 ってことだ☆ 

 「じゃあ、始めからそれでいいじゃんねぇ。」

 「ああ、ダメダメ!しーー!!そんなこといったらすべてが台無しになるじゃないっ!」
 
 「色々とあるんだろ、ハタサンの立場上さ。ただだらだらと書いているだけだけれどさ。」

 「書くことがなくて、ごまかしてただけだったりして。」

 「あはは〜〜♪ありうる、ありうる☆」

 「全く、よくわからないねぇ。ハタサンは。」

 「もうちょっとまとめろっつーーの。」


 .....今日も日本は平和です。笑 ってか誰だよ、君達。おい。


 
 ということで、ハタサンこれから実家に帰ります。ああーー、寒いんだろうなぁ。あっちは...(-_-;) 笑 
 
 ではでは♪ 皆々様☆ あけまして、おめでとう^^
 
 また今年もよろしくお願いします☆

 皆さん、どうか良いお年を過ごしてね^^


 
 除夜の鐘が響く夜。
 また世界は終わりを告げ、
 そして、また世界は新しきを迎える。
 
 鐘の音は、静寂なる闇夜を奏で
 寒露なる夜空を震わせ
 そっと
 
 あなたの心へ届き
 
 あなたをまた
 やさしく
 つつんでゆく。

 
 その受け取り方も、
 その意味も
 
 一人一人違って届くものだけれど。
 
 きっと
 その音が伝えたいことは
 
 唯一つ。

 今までお疲れ様。
 そして、これからも
 歩いてゆける
 
 あなたでありますように。
 

 
 108の音は
 時の終わりに
 いつの時代も変わることなく
 響いていく。
 
 きっと
 これからも変わることなく。
 
   
 人が変わることなくこの世界を
 生きるのなら。
 
 変わってゆくことを大切にできる
 人間であれば。

 この鐘の音もまた
 いつまでも響くことだろう。

 年の終わりに。
 年の始まりに。


 あなたがこれからも
 歩いてゆけるように。

 希望を抱き、今を生きてゆけるように。
 
 その鐘の音はそんな想いを乗せて

 また今日も鳴る。 
(2003.12.31)
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