2004年01月の日記

足跡がいつか、”道”と呼ばれるときへ。
1月28日。



 この日は自分にとって、
 とてもとても。
 特別な日。
 自分の人生の中で最も。
 大切な日の内の一つとなりました。


 この一年でもらってきたもの。
 
 得てきたもの。
 それは皆への”ありがとう”という
 感謝の気持ち。
 それがいかに大きいか、
 いかに大切なのか。
 大切にしたいと思えるのか。
 
 それが自分のリアルでした。
 リアルになりました。
 
 一番の
 真実になりました。

           」







ううーーん。なんて懐かしいんだろう。
この冒頭の始まり。
実は、去年の1/28日の日記の始まりだったりします。
そっか、そっか〜〜。
こんなこと、
書いていたんだな。

去年の日記にはどんなことを書いていたんだろうなぁ。
そう思い、
昔の日記を見てみたんですけれど...。

直にふれると、
思っていたよりも、すごく昔のような、とても最近のような、
そんなあいまいな感じがしてしまう。

そう思うと、
ちょっとばかし、
くすぐったいような、
ほんわりするような。

そんな気持ちになりました。



皆さん、こんにちは。
癒し人 ハタタケルです^^。

皆さん、ずいぶん、お久しぶり。
僕も最近、路上に出ていない日が多いので、
ちょっと、みんなにお久しぶり、という表現が
あっているような感じがしちゃいます。


皆さんは、最近、いかがお過ごしですか??
元気にやっていますかなぁ。

ハタサンは相変わらず元気に風邪とは無縁で暮らしています^^
ここ何年、引いていないことか。うくく。笑(ハタ菌つよしっ)


最近は、なんか春の日差しが近づいている、
そんな気持ちになるねぇ。

ん〜〜〜。よいよい。

まぁ、皆が元気でいてくれたらそれだけでなにより^^。
また皆に会えること
楽しみにしていますですよ☆



あ、そうそう。そうなんですよ〜。
冒頭にも書いたのですがね、
特別な日なんです。


もしかしたら、
自分の誕生日よりも
大切な日なのかもしれない。

僕にとっては。

この
1/28日
という日が。


それはね、


もう一つの僕の誕生日でもあるから。







この日が来るたびに僕は
色々なことを振り返る、
そんな自分の心境になってしまいます。

僕にとってこの日が
全ての原点であり、
全ての始まりであり、
全ての今になっている。

そうなんだよなぁ。




...しかしねぇ。

皆、よくこの日を覚えてくれていてくれたねぇ^^;。

bbsや、メールでも色々な人がメッセージを送ってくれて、
なんだかとてもびっくり。笑


しかも何人かの人は、僕を驚かせようとわざわざ路上に会いに来てくれて、花束やら寄せた色紙やらを皆で持ってきてくれ...笑 本当にびっくり!! 
 正直、予想外の展開に見事やられましたよ。あい。久々に面を食らいました(-_-;) 笑。(くそ〜〜。)
だって、たとえこの日を皆が知っていたとしても、そこまで自分がこの日を大切にしているなんてこと、誰かに言ったことはなかったような気がしたから。

でも、そんな皆さんの心遣いが本当にありがたかったです。涙が出る思いでした。  

皆さん、本当にどうもありがとう。
皆さんの温かい思いや、気持ちが本当に本当にうれしかったです。

僕からの皆に対してのお礼は、これからもそんな自分が歩き続けることを見せてゆくことぐらいしかできないのですが、皆が喜んでくれるようにまた笑顔をたくさん創ってるように、これからも一歩一歩歩いていきますので、どうぞこれからも楽しみに、そしてよろしくお願いします。

本当に皆さん、どうもありがとう☆






んでも。

そっか〜〜〜.....。

もう思えば二年もたったのね。
なんかしみじみムード。(-"-)
今日に限って、なんか始まりが落ち着いているでしょ。
いやいや、今日だからこそ、
なんだろうなぁ。

なんていうんだろう。
どうしても、落ち着いて見ちゃうんだよな。
今までのことを。
うーーん。

でも、逆に言えば。
まだ2年しか経っていない。

僕の中では、もう。
癒し人として歩き始めてから
5年も10年もすぎているような。
そのくらいの差があったりして、
なんかとても不思議な感じがします。

いや、もちろん。
自分の中では、始めた頃と今を比べても、
その時の気持ちは全く変わっていないし、
むしろ、始めたときよりも
もっと更に、全てに対して
素直に、強く、柔らかく、なってるんだけれど。

なにかが、違う。

たぶん、それを感覚的にあげるのなら、きっと。
今まで出会ってくれた人が
自分を創ってくれているんだな、
というようなこと。


うまく一言では言えないんだけれど、
でも。

僕にとって、
財産、という言葉を使うのであれば、
それはきっと、
お金や築いてきた富、ということではなく、
出会いによって創られた自分の人生。だと、

そういえます。
自信をもって。

その出会いの形は、
決してほかの誰かが見えるものではないし、
僕にしか見えないものだけれども。

うまく言葉にも、
なんて表現したらいいのかも分からない自分もいるけれど、
でも、確かに。
自分の中に蓄積しているものがある。

それは、イメージとしてあげるのなら。

自分という存在が中心にあって、
その周りにたくさんの人の想いや、心が
重なっている。

そんな感じ。


出会ってくれた皆からもらった
優しさや、
あたたかさや、
ぬくもりや、
なみだや、
えがおの意味が

今の僕の全てを創ってくれている。

そう、日々を歩いている中で、
月日を追うごとに感じずにはいられません。


そして、

少なくとも、僕は、
皆に会えたこと、
そして、
たくさんの人に会えるたびに
もっともっと。
限りなく、”原点”に返っていっている気がする。

生きること。
僕が生きている、ということ。
自分で在ること。
今、存在すること。
今を歩いているということ。

それは僕の原点である、
ということ....。



なにが変わったか、といわれたら。
きっと、

そんな不透明な、
でも、確かに存在していることを感じている、

そんなことなんだろうな。





そんなわけで、今日は、路上に出ていました。
どんなに忙しくても今日だけは、路上にでる。

そう決めていました。
..どうか今日だけは警察来ませんように、と祈っていたけれど。 笑

(...と、さすがにそれを予測してくれてきてくれた皆さんには脱帽です 笑 あんたらさすがや(´▽`;))



そして、あらためて路上に座り、
いつもとかわらぬ
流れゆく人波をみて、
騒音と排気ガスで満たされた
真っ青な空を見上げて。

そうやって、また、同じように
自分の前に来てくれた人の涙と笑顔に触れる。



僕はね、

この場所に来るたびに思うんです。
この場所であなたに触れるたびに感じるんです。

人が生きる、ということは
こういうことなんだ、と。

路上という場所は、

その人を創っている
立場や、
地位。
名誉も、
世間体も、
それに対してのしがらみも。

一切ない場所。

唯一、人と人が垣根を越えて、
隔たることなく、
心裸一つで誰かと触れ合える

そんな場所。


たとえその人がどんな人であれ、
僕の座っている、その空間の中にいる人はみんな。

同じ人間でした。

どんなに偉い人であっても、
どんなに立場の違う人でも。

悩みを抱え、
迷いを持ち、
そして、何が
生きる力かを知っている。


そこで僕が知ったのは、

そういうこと。


もしも、これが、
会社という中だったら、
そうはいかなかった。

それが分かるのは、きっと
僕自身が会社での立場を経験しているからでもあるだろうし、
様々なことを今まで積み重ね、
通ってきた道が複合的に絡み合って、
今の自分を築いているから。

だから、そこにきてくれるみんなの姿や、気持ち、というものが
よくわかるんです。




最近、こうもよく言われるんです。
「よくこうやってやってきたねぇ。」
「よくこんな寒い中で頑張っているねぇ。」

って。

会う人にそういわれることが
なぜか多くなりました。

でも、
僕から見たら、えらいことでもすごいことでもなんでもない。

だって、それは形を望んでいるわけではないから。
そして、
形を望んでやっているわけでもないから。

ただ、

誰かに触れられること。
誰かの笑顔に、涙に、
触れてゆけること、

そのものが、
僕が生きることだったから。

そこに僕が生きる意味を見出せた、
唯一のものだったから。

ただ、それだけのこと。

だから、
僕にとっては辛いなんていわれること、
すごいなんていわれること、

そんなことは全て全くもって、
見当違い。

むしろ、辛いことなんていうのならば、
自分を消されてしまう中で
押さえつけて生きていこうとする自分の方が
ずっと辛く、悲しかった。



もう昔のことだけれども、
でも、
その頃を知っているからこそ、こうやっていえることなんだろう。


そしてね、
今日は不思議なことにね、今まで出会ってきてくれた人たちがたくさん来てくれました。
その人たちは偶然だったんだろうけれど、でも、今日来てくれたことに、なんだかたくさんの縁を感じました。

自分の中では特別な日だから、ちょっと心境の変化もあったのだけれど、来てくれた皆は普通の日。だから、ちょっとギャップがあったらしく、「ハタサン、今日なんかちょっと暗くない?」とかいわれたりもして 笑 (暗いんじゃなーい。浸っているのだ 笑)

人生不思議なものだなぁとつくづく感じずにはいられません。


人は、一人一人、その歴史があり、ストーリーがあり、そして、今を生きる意味を持っている。それは、その人にしかないもの。
 例えば、1/29日という日は、僕にとって意味がない日でも、ほかの誰かにとってはとても大切な日でもあること。
それは、自分の誕生日かもしれない。付き合った記念日なのかもしれない。
それとも、大切な誰かがなくなってしまった、そんな日なのかもしれない。

でも、普段過ごしていると、そういうことすら気付かないで生きていることって多い。
自分のことで精一杯だし、そこに誰か、というものを取り入れるだけの心の余裕がないのかもしれない。

そう考えると、この365日という一年間は、限りなく沢山の思いと、それに対しての温かい気持ちと一緒に休むことなく回り続けている、そんな宝物であると。
今まで気付かなかったけれど、でも、そういう取り方はできるんだなぁと思えたとき、また新しい視野が広がりそうな感じがしました。


そして、そんな毎日の中。また今日ですね、そう思わせてくれる素敵な出会いがありました。
この人は、今日(1/28日)、一番初めに来てくれた人だったのですが、こんなお話をしてくれました。

この人は、もう少しで、海外にボランティアに一年ほど、行ってしまうので、その前に、自分の大切な人に色紙を残してプレゼントしたい。
そういって、来てくれました。
何人かの人に対して書いていったのですが、その中で、ある、お父さん、お母さん、に対して残してあげたい、ということを言われました。

それは、この人の「好きだった」人のお父さんとお母さんに残して、ということらしいのです。

この「好きだった」ということ。

でも、
それは、別れてしまったわけではない。

好きだった人が、
バイクの事故で亡くなられてしまった、

ということ。

この好きな人と出会ったのは、以前に行った留学先で出会ったらしいのですが、不思議なことに、家も近くで、学校は違うけれど、偶然、自分の学校に共通の友達がいたりして、とても仲良くなったそうです。
 前回の留学当時、とても落ち込むことや、精神的にまいってしまうこともたくさんあったらしいのですが、この人が話しかけてくれたり、頑張れっていってくれたから、ずいぶんと楽になった、と言っていました。

ただ、この人には彼女さんがいたらしく、好きだという気持ちがあっても伝えられなかった。

そうして、留学を一ヶ月程、終えた頃、お互い日本に帰って来て、まもなく、家ぐるみで仲良くなるようになったそうです。家も近いこともあり、お互い親友同士になれたそうです。...好きな気持ちは隠したまま。

そうして、お互いこっちに帰ってきてお互い遊ぶようになって、一ヶ月程経ったとき。突然、連絡があったそうです。
バイクの事故で亡くなった、ということの。


それ以来、泣く事しかできなかったそうです。好きな気持ちも、言葉も。伝えられなかった。何かを考えるときも、いつもその人を思い描くようになっていたといいます。


そして、あるとき。こんなことを聞いたそうです。
この亡くなってしまった人が、実は、自分のことをとても好きだったということを。両想いだったんだって、いうことを。

この人は、実は、彼女さんとも別れてしまっていたそうで、そのことをこの彼女は知りませんでした。この子いわく、「私にはそういう相談を一切しなかった」って。

亡くなってしまってから、お互い気付いた気持ち。初めてお互い伝えられた、気持ち。どれほど、それが辛かったのか。それはいうまでもありません。

もう、手も握れない。触れることもできない。好きだって、そういっても、それがその人に伝えられるはずもない。辛い時、悲しい時、いつも呼びかけているそうです。
「ねぇ、今、どうおもっているの?」「今、見てくれている?見守っていてくれている?」って。

始めの頃は、その事故現場に行くことすらできなかったそうです。でも、最近になって、ようやく前を向けるようになったそうです。

そして、最後にこの子がこんなことを言ってくれました。

「始めは、私があなたのことを思っているんだって。そう思いました。でも、今では、違うんです。どこかで、逆に相手が私のことを守ってくれているような気持ちで..。なんでだろう。わかんないんですけれど、でも、そう思えるようになりました。」


この子は今でも、大切に写真を机に飾っていて、亡くなる三日前のメールや、携帯にとった写真を残しているって。そういって見せてくれました。
でも、もしかしたら、こんなにも好きになれたのは、なったのは。彼が死んでしまったからなのかもしれない。

最後にはそう、感想に書いてくれていました。


僕はこの話を聞いたとき、泣いてしまいました。

切なくて、とても悲しくて...。でも、お墓をお参りができるようになって、とても気持ちが楽になったって、そういっていたのが僕にとって一つ。よかったな、と思えたことでした。

そして、今、目の前で笑って、明日を生きようと頑張っている彼女を見て、とても元気をもらいました。ここに至るまで、どれほどの涙を流したんだろうって。そう感じずにはいられなかったから。

この彼女はとても強いな、と。そう思いました。
そして、そのなくなってしまった彼に僕は、心からありがとうと言いたくなりました。
今日という日に出会え、こんな特別な想いを聞かせてくれたのですから。僕は、これが偶然だとは思いませんでした。


 

 最近、人が亡くなる、ということへのお話をよく耳にします。なんでだろう、と、そう考えても、答えなんて出ません。お話を聞いていても、そう。自分には、ただ聞くことしかできない。でも、最後には、「そういうものなんだ」って、そう考えるしか、人が生きていくうえで、できないことなのかもしれません。
 自然に人間が逆らえないように、人が命をもらい、そして、亡くなってゆく流れもまた、変えることはできない。それが自然の摂理なのかもしれない。でも、それを受け止めて生きている人間というのは、とても、強い生き物なんですよね。それでも人は生きていかなければならないのだから。

 僕は、こうやって、たくさんの人のお話一つ一つを、一つの自分の戒めにも、そして、自分の糧にもまた。しています。だって、それが、生きるということへの、一つの紛れもない事実であり、現実でも、真実でもあるのだから。そういう沢山の方のお話を聞くたびに、色々なことを考えて止みません。

この二年間で、たくさんの人に会ってきました。今日、何気なく数えてみたら、路上に出ている日数が399日。お会いし、悩みやお話を聞いてきた人は4600人を超えていました。何気なくただ、自然にやってきた中で、気付かないうちに、出会いが僕を創ってくれていた。成長させてくれていた。

そして、

出会いが僕を変えてくれていた。



人生というのは、不思議なものです。何が人生を創るのか。そこにはたくさんの考えが在ります。でも、僕は、一つだけ、これだけは確かだなって思うことが一つだけあります。それは、人生はあくまで積み重ねにしか過ぎない、ということ。どんな人だって、どんなことだって。大切なのは、その形じゃなく、自分が何を大切と思っているのか。

その心の在り方が日々の中で人生を創っていくことになると思うことです。その在り方があってこそ、人生は初めて、形を創るのでしょう。

 始めは、たった一歩。踏み出しただけだった。その足跡は、ただの足跡だった。
でも、その痕跡はいつか、道に変わり、世界を創る想いに変わり、そして、人が生きてきた、という歴史になる。

 それはどの時代でも言えたこと。そして、その積み重ねが、今までの世界を創ってきたこと。そこには必ず。何かしらの心を抱き、歩き続けてきた人がいたからこその事実であることはいうまでもありません。


 いつの日か、自分の残してきた足跡が「道」となるように。またこれからも歩いていきます。それはもちろん、皆と一緒に。
もう、僕のこの道は、僕だけの道じゃない。それは、出会ってくれた、そして、今、出会ってくれている全ての人の道でもあります。
それが僕の全てでもあり、
やっぱり、

原点でも
あるから。

これからも、
そんなみんなの笑顔が見れるように。
そして、またこれからも沢山の人の笑顔に出会ってゆける、
そんな自分で在れるように。

またこれからも自分らしく歩いていきます。
みんなの想いをのせて。

ずっと、ずっと。




そして、
ここまで自分を創ってくれたみんなに、

「ありがとう」という言葉を僕からまた、贈らせて下さい。


本当に皆さん、

どうもありがとう。



最近、皆にはbbsのお返事を返せなかったり、メールを返せなかったりして、大変ご迷惑をおかけしてしまっていて、本当にすみません。でも、皆が喜んでくれることを今、やっていますので、どうぞ、もうちょっとお待ち下さいね。
そして、またこれからにかけて、これからも色々と忙しくなりそうです。でも、僕はどんなになっても、皆と共にいることを大切にしていたいと思っていますので、どうぞこれからも色々な形で末永く見守っていてくださいね。(*´▽`*)




それでは、皆さん。

また会える日を楽しみにしています☆















.....といいたいところなのですが。(フェイントっ 笑)


bbsで、確か、家族のことを日記に書く、といってしまっていたと思うので((-_-;))、最後に年末のハタサンの様子をのせておきます。
まぁ、おまけ程度で.... 笑



今年の年始は、実家に帰ってきました。相変わらず、死にそうな寒さの長野。うーーーん。まだ今年は温かいらしい。
冗談だか、本当なんだか分からないような、言葉をお母さんから聞いて、家にかえると、そこにはちっこいのが一人。

あ、ピッコロ大魔王。笑

...なーんていうと、妹にはおこられそうなので、やめとくが(もうすでにいっている 笑)そこには、もう一つ、生まれたての命がありました。

くりんくりんのお目目に、大人の指ほどしかない、手。でも、指を当てると、この小さな手にどれほどの力があるのか、というぐらい強く握る。うううーーん。なんか変な感じ。でも、確かに、力強い生命の息吹を感じました。

この子が大きくなるとき、この世界はどうなっているんだろう。今、この子が見ている世界はどう見えるんだろう。

一人、真っ暗な中、実家でパソコンをたたきながら、そばで寝ている姿を見て、ふと想いました。

実は、路上にも結構、ちっちゃい子供連れで、たくさんのお母さんが来てくれます。 
先日、お会いしたお母さんは、子供を見ながらこんなことを言っていました。

「子供のことが心配で心配で。この先、この子が大きくなったとき、世界が平和でありますようにって、いつも思います。子供の笑顔を見れたとき、それが一番、私は幸せですから。この笑顔を見れたとき、あぁ、お母さんになってよかったなって、そう思う瞬間なんですよ。」って。


子供を持つ、ということは、きっと、頭で分かっていても、理屈じゃ分からないものなんでしょうね。そこには、本当にただ、子を思う気持ちしかない。それは、本当に誰かを愛する、という気持ちの真実の形なんだな、と。そう思えます。そのくらい、このお母さんの言葉はとても深く感じられました。でも、これはきっと、ほとんど全てのお母さんにいえる事なんでしょうけれど..。

僕はまだ、結婚しているわけでもないし、まして、子供がいるわけでもない。でも、そんな姿から教えられることはたくさんあります。そばにいれなかったら赤ちゃんはすぐに泣きだすし、でも、抱きしめると、すぐに泣き止む。人間はもともと生まれたときから、寂しがりやなんだろなぁって、そう思ったりもして。
そういった中で、人はやっぱり、想いがあってこそ、生きていくことができる生き物なんだろうなぁって。そうつくづく感じさせられました。

だって、人が生まれることも、亡くなることも。その姿、形は変わっても、そこに抱く想い、というものは、どんなときも一緒だったから。その想いが少なからず、その人を支え、そして、今を生かしている。それは想い以外に考えられないんです。

僕は人間のすごさ、というものを、やっぱりたくさんの出会いの中で重ねているんだなって。そう思う瞬間でもありました。


まぁ、そんなこんなで。実家に帰ってみると、そんなにぎやかな中に感じられたことが、とても大きなお土産になれたかなぁと、感じたりして。

そんな中、羽田家にもまた、色々と変化があったことも新しく発見。
今までずっと一緒に住んでいた金魚のデメちゃんが死んじゃっていたり(あぁ!)、裏庭に新しい駐車場ができていたり(ええ!)、お父さんが張り切って使っていたパソコ

ンがお倉に入っていたり......ん?

なになに。どういうこと?あんなに張り切ってパソコン教室に通うだの、お父さんにできないことはないのだの、言っていたものが。なになに。どういうこと??

...ということで、聞いてみました。

「ねぇ、お父さん。」

「ん?」
「お父さんの張り切って使っていたパソコン...。どこいっちゃったの?」

すると、後ろから、その会話を聞いていたのか、駄目押しとばかりにお母様。いや、もう孫が生まれたからおばあ様。(笑)

「もう使ってないよ〜。」

「えぇぇぇ!!??なになにぃ!?使ってないの!!?あんなーーーに、高いお金払って買ったのに??ええ???あんなに張り切っていたのに??なんでなんでぇ??」

かなりの性質悪息子である。もちろん、わかってて狙ってである。(うけけ) 笑
すると、父はこんなふうに答えました。

「ば、ばかいえ、ちゃんとあるじゃないか。ちゃんと使っているぞ。ほら。」

...と指した先が、寝室。

ははーーーん。なるほど。じゃあ、あなたは寝ながらパソコンができるほど、器用になったのですね。

すると、またまたお母様が追撃の一言。

「もうずいぶん使ってないわよね〜。」

....ちょっと根に持っている感じもする。あんなに高いもの買って...と。笑

「じゃあ、俺もらおうかなぁ。丁度今、ノートパソコン、壊れちゃっているし。丁度いいよね。」

「いやいやいやいや、使うぞ。お父さん。ばかいっちゃこまるよ(ちょっとくちぐせ 笑)。まだこれからだからな。」

「使い方、結局よく分からないんだって。」(タケハハ)

見事に容赦なく切り捨てた母が言った一言が、父のごまかしの笑顔を打ち壊したのはいうまでもなし。

あいかわらずのごとく、羽田家も平和でした(-_-)。



ちゃんちゃん。


あはは☆

ということで、皆さん。

本当にいつもどうもありがとう!

またこれからも、ハタサンらしく頑張っていくので、どうぞこれからもまた、楽しみにしていてくださいね☆


それでは〜〜〜!

レッツ、3周年っ!!!

ごーーー☆





アリガトウという言葉。



それは、
一人一人、

同じようで
でも

違う言葉。

それは、

アリガトウという言葉は、
そこにあるその人の想いをのせて

運ぶ言葉だから。


アリガトウはきっと、
伝えた数だけ、大きくなる。

そして、伝えられた数だけ、
強くなれる。


それを知っているのは、
アリガトウと言える人間でしかない。

そして、

アリガトウを言われた人間でしかない。


本当に人がほしいのは、

そんな心なんだって。

ただそれだけのこと。

でも、
それほどのこと。


なぜなら、
人は。

たった一つのアリガトウで

救われることも

支えられることも

場合によっては

人が死ぬことをとどまることだって
あるのだから。


それがきっと、人が生きる意味になる。

そして、

それを誰よりも知ってゆける僕にもなる。

その想いが、また
今日の僕の一歩を生み、

また一歩。

全てを創る軌跡を残す。


それがいつか、
道と呼ばれるとき。

その道はきっと、
やわらかい暖色で輝くことだろう。


その道を創ってくれているのは、

まぎれもなく。

たった一つ与えてくれた
僕からの
皆からの

アリガトウという

あたたかい

言葉達なのだから。
(2004.01.29)
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