2004年03月の日記

「あなたはいつも心の中で。」
気付けば、もう春爛々。街のあちこちに桜が咲き乱れ、温かな春の日差しが降り注ぐこのごろ。皆さん、元気〜にやっていますか〜?みんなの永遠のアイドル、ハタサンですよ〜〜☆
......あっ!やりました!!やりましたよ!!早速引いた方が何人か見受けられます!そんなに聞こえが悪かったのでしょーか??
最近さ、気付いたらよく聞こえない振りをされるんですよね。「え?なに?聞こえない。」とか言っちゃってさ。まー、なんて皆さん、耳が遠くなってしまったんでしょう。

ハタサン、ちょっと心配です。ま、いっか。皆さんも気をつけてくださいね。ハタサンの言うこと...いやいや、耳が遠くならないように。あはは☆(ごまかし)

どうもですね、最近まで気温の変化が激しかったり、色々と忙しさに追われたりしていたら、風邪らしきものを引いてしまったようで。
それにはかなりショックをうけました。ああ、風邪は引かないものだと思い込んでいたのに。
「ハタサンも風邪引くんですねぇ。」と関心混じりなことを冗談抜きに路上で言われてたことはさておき、(どういう意味じゃいっ!)
しかし、もう直っているので、はたまたこの生命力の図太さにはなかなか感心させられます。ふむふむ。

しかもね、今年は、やっぱり花粉が少ないらしく、例年にないほど、楽な気持ちで清々しく春を満喫しています。なんと花粉の量が例年の10分の1だって。
ああ、春って、こうやって迎えるものなんだねぇ、と、ちょっと感動。この気持ち、花粉症でない人にはわかるまいか。ううーーん。
桜もまた、よりいっそう綺麗にみえちゃってます。幸せだぁ。(´▽`)


さーてさて、皆さん、どうもご無沙汰してしまいまして、本当にすみません。気付けば、僕もhpを開いていない日が何日も続いてしまいました。
でも、ちゃんと日記は書くところはさすがでしょ?(自分で言うなって。笑)
やっぱりね、月に一回は書くと皆に言っているし、そうでなければ月記の意味もないわけで。体に鞭打って書いている次第であります。(ぴしぴし)

最近、きっと皆さん、僕の動きが見えなくて、ちょっと心配になっている方もいるかもしれませんけれど、
でも、ご安心下さい。ほらこの通り!ちゃんとピンピン生きていますよ〜〜。この前もね、久しぶりに路上に出たんですよ。えーっと、一週間か、二週間ぶりぐらいに。
そうしたら、出会う人出会う人に口々に言われるせりふ。

「ハタサン最近、いませんよねぇ。」
「いつも探しに来ているんですけれど、いないんで帰るんですよ。」
「前からずっと書いてもらおうと思っていたんですけれど、最近いつ来てもいないんでどうしたのかと思ってました。」
「死んでるかと思いました。」

冗談なのか、本気なのか分からないようなコメントもあったりするけれど(笑)、皆はん、本当にすみませぬ。
ああああ、路上にくるのを楽しみに待ってくれているんですねぇ。とても嬉しいのですが、同じぐらい申し訳ない気持ちで一杯です。(-_-;)
じゃあ、この際は、言われたように死んでお詫びを... ああ、違う違う。あはは☆え?笑えない?笑

でもね、やっぱり路上に来ると、沢山の忘れそうになってしまうものを感じます。最近どうしても、特に色々新しいことを築いてゆく中で、一人でやらなくてはいけないことや、乗り越えなければいけないこと、様々な打ち合わせなどの中で率先してぶつかってゆかなければいけないことが多く、たった数日路上から離れていただけでも、改めて路上で出会ってくれる皆さんの笑顔や心とただ触れ合っているだけで、心がほんわりと温まるような、そんな人の素晴らしさに感動することが多くなってしまいます。今までやってきたことは同じことなのにね。

 思えば、僕ももう東京に出てきて今年で8年目。そういわれると、あっという間のような、とても長いような、そんな8年なんだけれど、路上にいると、この時期はやはりたくさんの変化のお話を聞くことが多くなります。年の始まりはなぜかお正月ではなく、いつだってこの4月からにある。不思議なことに、自然に全てが新しくなるように動いてゆくこの時期。そんな流れを感じずにはいられません。それは、この日本という風土の中で生きている者の性なのかもしれない。

 卒業して社会人になったり学校が始まったり。そのために地方から来る人もいれば、地方に帰る人もいる。その始まりは決まって皆、新しい気持ちに胸を弾ませる想いと、見えないこれからに対しての不安。どうもそれが胸のうちに混同している人が多いようです。

 僕もこっちに出てきたとき、そんな気持ちで一杯だったことを思い出します。初めて一人暮らしをした夜、電気を消して寝ようとするんだけれど、カーテンがなかったので、外の道路につけてある薄暗い蛍光が否応なしに差し込んでくる。それを見つめては新しい人生の始まりを感じたり。これからの出会い。また、その中で起こる別れ。そんな想いを馳せてはまた、次の日を楽しみにしている。そんな自分がいたものです。

 
 先日、路上にこられた方はこんなことを言っていました。「今まで中学や、高校が楽しかったんですけれど、今年から親の転勤で新しい学校に移ってきたんです。でも、どうしても今の学校になじめなくて、昔と今を比べてしまって....。今をどうしても楽しめないんです。」

人は環境の変化によっても見方も変わるし、また、成長の意味もかわってくるもの。でも、それが必ずしも、良いことだけとは限らないものだったりする。それは、逆を言えば、自分がこれから先を生きてゆくうえで、避けては通れない、ある意味でのその人にとっての「必要だったこと」に変わるのかもしれない。そんなとき、答えはきっと一つなんだろうな。
 
 「時が経たなければわからないこともある」と。


僕はまだ26年しか生きていない(自称はいつでも18才(笑))のですが、でも、そんな中でも、人生はまさにこの繰り返しなんだな、と感じては今を生きている気がします。今すぐに答えが見つかってしまうようなものであれば、きっと、それは「問題」にはならないし、そこには自分が成長をする必要性を見出せないもの。だからこそ、そんなときは、自分の場合も含めて、「時が経たないとわからないこともたくさんあるよ」って、そんなことを交し合うことにしています。
 結局、人間は心と頭は別の生き物。頭で分かっていても、心が追いつかないことなんてたくさんある。だからこそ、それを埋めるのはいつだって、「時間」でしかないものなんでしょう。でも、これは今。自分にも言い聞かせているものでもあるものでした。


 この4月に、僕の親友であり、大切な人が二人、遠くへ行くことになりました。一人は海外に就職。一人は実家に帰郷。4月は始まりだって、そういっている自分ですし、親友が夢を叶え、また人生を大切にするために新しい歩みを踏み出すことへ僕は心からお祝いしたい。そう思います。でも、なかなかそれに気持ちがついていかない自分もいる。今までの人生の中で、その形は違えど幾度となく、経験してきた想いなのですが、そのたびにどうしても見えなくなる。例えその答えが時間の経つ中にあると分かっていたとしても。正直、今の自分にとって、それはとても辛いものでした。

 
 そして、そんな気持ちを持ったまま、話をしていたとき。その一人がそんな僕をみてこんなことを言ったのです。
「確かに今までみたいに会えることって少なくなる。だけれど、これだけは変わらないことがあるよ。それは、お互いが”大切な存在”であること。それは決して変えられないものなんだから。」

 ”現実”を受け止める、ということは、きっとどんなことも大変なこと。でも、”現実”から逃げている限り、そこから何も進まないのも、違った意味での「現実」になってしまう。もちろん、時には、忘れてしまって、見ないようにしてゆくこと。それもまた人が生きてゆく中で必要な術にも変わるものなのでしょうが、でも、いつかはきっと、それを乗り越えない限り、またぶつかっていかなくちゃいけないもの。
 
 その”現実”、という受け止めなくちゃいけないものの中に、人間は「別れ」というものがある。

 それを経験してゆくことは、ある意味、自分が人生を重ね生きてゆくうえでの通過礼儀のようなものになるのかもしれないけれど、僕はその人の言葉を聞いた時、僕の心の中で何か変わりました。それは、僕にとって、「別れ」ということへの一つの答えを見つけ出してくれたことでもありました。



 「別れ」というものは、変わらない現実であり、事実です。
 それは実際に目の前で起こっていることであるし、また、それは決して自分の意思で変えられるものでもない。
 人間はこういうときほど、ちっぽけな存在を感じずにはいられないのかもしれない。
 
 だけれども。


 自分の意思や、心の中で変えられない想いや、変わらない想いがちゃんとあること。

 相手と重ねた心。
 確認しあえた想い。 
 そして、
 お互いを尊重し、認め、分かち合えた時間。

 それは、決して、何者にも、何事にも奪えないもの。
 奪うことはできないもの。


 人が喜びを感じるのは、僕は誰かから想われている時だと、そう想っていることがありました。でも、実はそうではなかったと思います。なぜならそれは、「自分がドウ想うのか」ではなく、「自分がドウ想われているのか」を考えること。それはいつも周りの目を気にして生きていることに過ぎなくなってしまったからです。

もしも誰かを思うにしても、喜びを感じるにしても。やっぱり、そこにはまず、自分の気持ちがあってこそのものなんだと思います。

 よく恋愛の相談を受けるのですが、人間は、相手の気持ちを全て、わかることはできないし、相手が口に言ってくれたとしても、それはどのくらいのものなのか、本当に心からでているものなのか、それを知る術はありません。だから、相手のことを考えるたびに、不安になってしまったりすることもあるものです。でも、自分の気持ち。相手への思いや、気持ち、というものは、自分が自分の中でちゃんと、みえるもの。

 それを知れること、そしてお互いがその気持ちを確認し合える事がきっと、本当の意味でのお互いを”大切”と呼べる。そんな存在になってゆくためには必要なことなのかもしれません。
そんな時、そこには、きっと、距離や時間というものは全く関係なくなる。たとえどんな状況であれ、たとえお互いがどんなに環境が変わってしまったとしても。本当に大切、といえる存在であるならば、相手を”大切”に思う気持ちに変わりはない。それを確認できた存在同士というものは、全てを超えて本当に強いんじゃないのかなって。

それは、決して、恋愛の場合だけじゃなく、人間関係全てのことについていえること。友達や、仕事、家族や、今ここにある全ての”存在”に対して。相手からドウ想われているか、ではなく、相手をドウ想っているのか。

そう思えたとき、僕は妙に納得できました。


お互いにそれを確認し合え、それを感じられるのは、まさにいつだってあなたしかいないものなんだと、その人は教えてくれました。

逆を言えば、それは自分が変わらない限りお互いにとって変わらないものになるんだということも。

僕にとって、それを知れたことは、これからの時を生きるうえでも、とても大きいものでした。



別れというものは、いつだって辛いもの。大切な存在であればあるほど、誰だって、きっとそういう気持ちを抱くことになるんでしょう。でも、もしも相手を思う気持ちがあり、相手を感じることを大切にできたら。そして、相手だったら自分をどう思ってくれているか。それを感じることができる関係ならば僕は、人間はいつだって、一人でいきていないことを知ってゆける、そんなまた一つ大きい自分にもなってゆける生き物になれるんだと思います。

人間、最後には生きてゆくことや、別れを自分の中でどう解釈してゆくのかは、いつだって自分次第でいい。

「心の中でいつだって、あなたは共に生きている。」


そう、僕はこの二人に出会えたこと、心から誇りに想い、新しい旅立ちを見送ることにしました。


 皆さんも、きっと、たくさんの別れに出会いながら、今を歩いていることでしょう。その中には、かけがえのない存在を亡くしてしまった人も、大好きだった人を、失ってしまった人もいるかもしれない。でも、きっとその失ってしまった人は、形は違えど、僕はいつもあなたの幸せを祈ってくれていると思います。

 あなたにとってその人が大切だったように、その相手への想いは少なからず、相手からのあなたへの想いでもある。一方通行だけで成り立つ、大切といえるお互いの関係なんていうものはないのだと。もしも、僕だったらそう思います。
それがたとえ、”大切だからゆえ”に、お互いを傷つけてしまうことがあったとしても。

 キレイ事といわれてしまえばそれまでなのですが、でも、僕は。人はどんな別れにも、最後にはその相手を否定をしてゆくのではなく、肯定を「促せるようになれる」から、僕は今を生きることをもっと大切にできる、そんな自分になってゆけるように思えるのです。


 今回はどうも個人的なお話になってしまってごめんなさい。ネタがなかったとは言わないでね。....ネタもなかったんだけれども(´▽`;)(笑)
 
 
 4月5日に出る本は、僕にとっての初の出版の本になります。こちらは、どうしても僕は出会ってくれた人、皆への感謝の気持ちを込めたお礼の本にしたかったので、その中身を楽しみにしていてください^^。路上でも書いていない、完全にファミリーマート専用としてのオリジナルの本です。
 せっかくなんでタイトルも発表しますね。タイトルは「ほら幸せはいつも今ここに在るよ。」値段もプライスレスで700円になります。なんと色紙よりも安いんだよね 笑 持ち運びができる、ポケットサイズの本なので、どうぞ皆さん、手元においてあげてくださいね。

 そしてまたこれから、色々と様々なことを築いてゆきます。それは後々時間と共に発表してゆきますから、またこれからの新しいハタタケルをどうぞ楽しみにしていてください^^


 僕は、きっと、皆がいてくれなかったらこうやって様々なことを築くことはできませんでした。このhpも((注)この日記をみてくれている皆さんへ。この日記の内容は前回のhpからの日記ですので、ご注意下さいね。(笑))、路上でであってくれた麻美ちゃんが創ってくれ、そして、このhpを通して、たくさんの人がわざわざ見に来てくれ、支えてくれ、心を残してくれた。そして、今日の僕がいると。そう心より、思っています。

 皆さん、本当に今までどうもありがとう。僕にとってのこれがここのhpにての最後の卒業になりますが、ここでお別れではありません。またこれからが新しい始まりです。そして、それは、今回の日記に書いてきましたように、いつも皆の、今ここで見てくれている”あなた”の、そんな心と共にある僕はちゃんとここにいます。

もしもそんな気持ちをこれからも皆がほんの少しでも、もってくれていたら。

僕は本当に嬉しく思います^^。

皆さん、本当にどうもありがとう。

そしてまたこれからもどうぞよろしくお願いします。

そんな皆さんと出会えた僕は、本当に幸せ者でした。


これからもまた、

「あなたの笑顔をみたいから」

いつの日もそういえる、そんな僕であれるように。
これからも頑張ってゆきます。

 
みんなと一緒に。

そして、
そんなみんなの心と共に。


皆さん、

本当に

本当に


どうもありがとう。











 

 あなたを感じているよ。


 風が吹く時。

 雲が流れる時。

 雨が降る時。

 陽の光が降り注ぐ時。



 あなたを感じているよ。


 時計が針を刻んでいる時。

 季節が変わり目を迎える時。

 鳥が羽ばたく時。

 星が瞬く時。

 

 あなたを感じているよ。



 葉々がざわめく時。

 波が浜へたどり着く時。

 お腹がよじれるぐらい笑い転げる時。
 
 涙が枯れるまで胸を焦がす時。



 僕はいつだって
 あなたを感じている。

 今を生きる
 
 この時。

 この瞬間。 

 
 僕はあなたを感じながら生きている。


 
 目を閉じれば広がる情景があるように

 心を澄ませば見えるあなたの笑顔がある。

 
 
 僕はあなたを感じているよ。



 変わらない想いを
 変わらないものと感じながら。

 
 巡り逢えた奇跡を
 出会えた必然だったと心から憂いながら。



 あなたはいつも心の中で
 変わることなく
 
 微笑んでいる。 

 
 もしも別れが時を分ける
 狭間になるのなら、
 
 想いは時を繋ぐ魔法になるのだろう。


 人はいつだって

 ”あなた”を感じながら今を生きてゆく。

 
 それは決して
 幻になることはない。


 
 想いが人を生かす歯車になるのならば、
 
 存在の意味は
 
 今を生きる原動力に変われるのだから。


 僕はあなたを感じている。

 僕はあなたと共に生きている。

 
 
 今、あなたは

 この心の中に...。  
(2004.03.31)
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