2004年10月の日記

「僕はみんなと共に生きていく。」



秋の香りが漂うこのごろ、皆さん、いかがお過ごしですかー?
皆さん、こんにちは。癒し人 ハタタケルです。
そっかー、もう10月も終わりなんだね。この月記を綴るにあたって、日付を見たら、来月は11月。
ということは来年まで、あと2ヶ月。あっという間だねぇ。

なんだか最近、ちょっと気候的にも変な感じだよね。
台風も多かったし、変に暑かったり、寒かったり。
なんだか今年の10月は、実感がないままに終わってしまう感じがしてちょっぴり寂しい気持ちもする。

やっぱり10月といったら、
紅葉やら、赤とんぼに囲まれて、
さむ温かい、やわらかさが混じっているような風と一緒に、
夕焼けに照らされたススキの景色を見渡す....

みたいな。


本来なら、秋というこの季節は
そんな独特の郷愁感がなんともいえないもので。

んーー、想像しただけで
なんだかあったかくなれるよねー^^。

僕は秋が大好きです。



僕はね、この時期になるといつもそうなんだけれど、この一年のことを色々と振り返るんですね。
そうすると、人生は、短いようで、でも、その一年の中にどれだけの変化と、どれだけの歴史を重ねられることがあるんだろう、と。

僕だけかなぁ。
振り返ってみた、たった「一年」という中に、
ものすごい移り変わりや、
思い出が詰まっていることを知ると、
つい先日だったことが、
ものすごく遠い昨日に感じるのは。

ある意味、
そこには人間であれることの
「可能性」という想いを感じさせられるんですね。



 先日、先行して「コラテラル」を見に行ってきました。トムクルーズが殺し屋の役で出ている映画ね。この映画は、僕が見た限り、アクションの映画ではなく、人が「生きる」ということへの本質、人生観を説いた映画であることを多々感じさせられたのですが(たぶん、監督の趣向によるものだと思いますが)その中で、トムクルーズがこんなことをいう台詞がありました。

「人間は、自分の10年後、20年後の姿を当たり前のように抱くけれど、10分後、自分に何が起こるかなんて考えやしない。」

予測できないからこそ、人生は人生であるんだ。ということ。
ある意味、生きることも死ぬということも、それはそれであって、
結局最後には、ただそれ「そのもの」でしかない。
ということ。

うーん、極論。

うーーん。確かにその通り。
人間が10分後何が起こるかなんてことを考えないのは、
そう考えてしまうことには何にも意味がないから。
それを日々考えていたら、自分を見失ってしまうから。
「今」を生きる人間にとってはね。

でも、僕はこの台詞を聞いたときに、否定的な考え方よりも、もっと肯定的な考えを感じました。

10分後、人生は大きく変わることもある。

ある出会いによって。
ある出来事によって。

それは、予測できないからこそ、だからこそ、生きることを大切に出来ることが人生であり、
それがよいとも悪いとも、それはわからないけれど、でも、それが人間が生きる、という人生への答えでもあるということを知ったとき。

また人生は違った見方で、広がってゆけると思うのです。

ある本を見ていたときに、こんな言葉を書いているとある作家の方がいました。

「物語とは、(人が)生きることを肯定するためにある。そこには、人が今を生きる上で必要な一歩を、明日を生み出してくれる思いがある。」

それは、まさしく、人間が生きることを肯定するために今を生きていて、そして、それは死ぬために向かうのではなく、生きるためにどうするのかを考えられるのが人間であることを説いているようにも感じました。

なんだか、難しい話になってしまったんだけれど、結局、人間が人間である以上、人間であること以上のことはできなくても、でも、そこには一人一人、何かしらの可能性があるということ。
それは、否定的な見方で物事をみるのではなく、肯定的に見れることが結局、今を生きていることへの希望やきっかけを見出せることができるのではないか、

最後には、生きる、ということへの意味に変わってゆくのではないか。



ということなんですよね。

最近、色々と人と接しているとね、
「最近よく思うことは、生きるということは難しいということ」
なんていう言葉をなぜだかよく聞くんですねー。
そんなことを10代の子までに言われちゃった日にゃあもう。ハタサンも笑うしかありません。笑

そうだよね。
だって、生きるということは、そういうことなんだものね。

でも、そこに、何かしらの自分なりの答えや考え方を見つけられたときに。

すっと、一本、線が引かれたように、ふと納得できる境地に陥るときがある。

それが、シンプルになれる、ということでもあるのであれば。
それは、生きる、ということの難しさへの一つの答えになっているのかもしれない。

そう考えると、
人生は面白いですね。
決して人生は、必ずしも。
まったく答えのないものではない、ということでもあるのだから。


でも、逆に
そう考えると、
今、起こっている新潟の地震は、
とても難しい問題ですね。


普段、何にも起こらなかったところに不意に地震が訪れる。

それは、
まるで人間に生きることはなんぞやと
疑問を問い掛けているようで、
見ていて、
同じ日本という世界の中で
テレビを通して近くに感じる分、
でも、近くに感じられきれない自分もやっぱりいて、
なんともいたたまれない気分になります。


よくアトリエにくる子と話をするとき、
皆さん、「偶然」代官山にきたという話をするんです。

そんなとき、
人は出会うべくして出会うんだよね。
出来事も。
出会いも。

なんていうことを話すんですけれど。


そういう中、
地震が起こった。

その中で、
じゃあその、「起こるべくして起きた」この地震には
一体何の意味があるんだろうと
考えてしまいます。

「人間」の視点で見たときに、
本当なら
こんなことは起こってほしくないことで、
でも、
実際には起きてしまっていることで。

人間は、
おきてしまったことへの
無力さを痛感すると同時に、
それを無駄にしないために、
意味合いをつけようとする。

それを考えられるのは、
やっぱり人間が
「生きる」ということへの前向きが生んだ想いから
であると思うと、

すごく色々なことを考えさせられる。


どんなに悲しいことも、
つらいことも。

人間、生きている限り、
必ず起こってしまうことで
でも、
それを踏まえても生きていこうとする人間には
光があるように

僕は感じます。

それはね、

たくさんの「今」を経て、
今の自分がいるということを
最後には
肯定できる自分になってゆけること。

その中には
本当に辛い
痛みもあるし、
別れもあるし。

涙もあれば、
悲しいこともある。

でも、そういうことの中にも
本当に幸せなことや、
心からありがたいことがあって、

その全てが今の「自分」を創ってくれていると感じられたら。

もしも、その
何一つ欠けていいものがないといえたら、

それがきっと何よりもの素晴らしい人生なんだろうと
僕は思う。



人には人それぞれの
人生が、
一人一人あるように。

人生の素晴らしさは、
自分が創ろうと思わなかったら、
また、
そう思うことが出来なかったら
たとえどんなに他人からみて
素晴らしいといえる人生であっても、

「素晴らしい」人生なんて誰にも
創ることはできないように。




もしも人間の存在の素晴らしさを上げるとしたら
その中の一つに、
きっと。

そんな前を向く心と
温かさを持てた存在であることだと思うんです。




先日、イチローがメジャー記録を更新しましたよね。
皆さん、見てました?
僕はあのメジャー記録を出した瞬間をニュースで見たのですが、あれをみていて僕は鳥肌が立ちました。
僕がイチローを見ていて、すごいなぁと思ったところは、
記録を塗り替えた瞬間ではなかったんですね。
記録を塗り替え、そして、塁にたって、見てくれている皆さんに挨拶をしたとき、ベンチからチームメイトがイチローを迎えた瞬間。

そこで初めて、笑みをこぼした時でした。

あの姿の裏には、人には言えない葛藤や想いがあったと思います。
でも、それを見せることなく堂々としている、その姿とは一変して、初めてふと見せた初めての笑顔が、
「チームメイトとの交わした心の中にあった」ことが、何よりも印象的でした。

僕はね、本当に好きなこと、ということに、努力という言葉はないとおもっています。
それは、「努力」を重ねることは、当の本人から見たら「当たり前」なことで、「努力」ではない。
そこにあるのは、ただ単に本当に「好き」という気持ちそのものだけのもの。
もしも、才能という言葉があるとすれば、それは、どれだけその人がそれを「好き」といえるのか。
それが自分の「才能」を創る上で、一番大切なファクターになっていくものであると思うんです。

イチローの姿はまさに、そのもので、
その姿には僕自身、感銘を受けたと同時に、
一人の人間としてとても
誇りに思いました。

あのように、沢山の人に希望や夢を与えることをできること。
それは、今さっき書いた
一人一人の人生があるからこそ、
それを肯定できること、

人が生きることへの、
一つの在り方を、
可能性を、

示してくれたことでもあったから。





今月はね、
なんだか、とても忙しくて
ゆっくり物事を考える暇もないまま
過ぎ去ってしまって、
それらが一段落ついた今。

ふと考えた時、
そういった意味では
先月と違う形で、
すごく深くなれる月でもありました。

だから今月の月記は
こんなよくわかるようで
わからないことをつらつらと
書いているんですけれど 笑

なかなかうまく伝えられない自分が
もどかしい。




自分と向き合うことでしか、
自分を見つけられないことを知る度に

その分、
苦しいことや辛くて
逃げたくなってしまうことも
やっぱり今でもたくさんあるけれど。

人と触れていると、
やっぱり感じられるのは、
ここにきて、接してくれる人のありがたさ
でも、あって。

でも、時には
誰かを傷つけなければ、伝えられない真実があったり、
どうしても
器用になれない自分がいたり。

これだけ多くの人に会えば会うほど。
かみ締める難しさに出会う。


そのたびに
まだまだな自分をどうやって、
成長させ、
どうやって、
大きくさせればいいのか。

今でもまだまだ
そんなことだらけで。

先日、そんなことを知人に話していたら、
「たぶんあんたは一生そんなことをいってるんだろうね。笑」
と切り替えされたのは
事実として。笑


そう思うと、
自分もやっぱり人間であることを
感じてしまって笑ってしまうんだよねぇ。
(別に普段、人間じゃないなんて思っているわけじゃないよ 笑)



さっきの「コラテラル」の中に、こんな場面がありました。
(今回はこの話題ずくしだね 笑)

特に現代のありふれた生活の中で、何億という人間が存在する中で、
自分、という存在は、しいては人間とは、寂しい生き物なんだろうということ。

その象徴を表すように、
映画の中で一匹の狼が歩いてゆくテロップがあったんだけれど。
(うまいなぁ。)

結局、
人間が誰もが抱くところというものは、
こういうことに行き着くこともやっぱり
一つの事実なんだろうな。



きっと、
昔の自分だったら、
ただ、
生きることだけを肯定すること「だけ」しか
しなかったと思います。

書いていることが
矛盾しないように伝えますが


先程も書いたように、
肯定することから
生きる意味が生まれること、

それは大切な事実です。


でも、
肯定的みれる気持ちを
最後には、
大切にできることと、

いつも肯定的でなければ
いけない
ということとは、

僕は違うと思っています。


それは、

「そうでないこともある」という現実を
受け止めることも含めた上で
何を、
どう考えてゆけるようになれるかが、


それが、
きっと「生きる」ということを
「肯定する」ということの
大切な一部になってゆくことでもあると
思うから。


結局はそのバランスの問題になってくる。






生きることを知るほど、

100人いたら
100人の人々が
様々に
感じることや、
事情、
考えること
悩みを覚えて、

どうしても生きることに前向きになれない人が
世の中には確かに存在するということ、
どうしても
そうなれない時があることがあること。

それは「僕自身」も含めて、
それも一つの事実なんだということを
知ったとき。

その人には
その人にしかわからない痛みがあることを
知ったとき。




様々な見方で物事を
みることを大切にするようになれました。



だからこそ、
わかることもあれば、
見つかる答えもあるし、

でも、
だからこそ、
より生きる、ということに
向き合ってみたときに
シンプルな気持ちを大切に出来るようになれる自分がいて。

結局、それは

日々が幸せだと
ただ思えることが出来る人生であれば、
それが一番の幸せなんだと

思うことでもあります。

それは、
昔の自分では何もわからなかった分、
それが幸せかどうかなんて考えたこともなかった分、

たくさんのことを経験して
初めてわかる幸せという形がある。

それが、
そんなシンプルな形であり、
きっと、
ただシンプルに笑える形が何よりもの
幸せな形であるということ
でもあるんだろうな。









僕もね、
活動上、一人でいることが多くなると、
なかなか心の素晴らしさや温かさ、
それを感じることができなくなって、

時々
心が渇いてしまうこともあるんですね。


誰かといても、
その幸せや喜びに気づけなくなってしまう。

それは、
自分の心の状態に余裕がないとわからないことでもあり、
余裕がありすぎても
見えなくなってしまうことで。

ちょっと難しいことでもあるのかもしれない。

ある意味、
何かしらの「きっかけ」を見つけられないと、
人間気づかずにただ生きてゆくことに
慣れてしまうんだと思う。

それが、
感性であり、
感動できる純粋な”心”なんだと
思うのです。




そんな中。

先日、
アトリエにいたときに、
泣きながら入ってきてくれた子がいました。

まだ一度も会ったことの無い子で、
でも、
ただただ入ってきた瞬間からずっと
泣きじゃくっていました。

いきなりだったんでちょっと驚いたんだけれども、
落ち着くまでそっと
見守っていて。
しばらくしてから。

「どうしたの?」

と、聞いた時。

この子は、
今ぶつかっている状態をゆっくりと
話始めてくれました。

その子はそのときも
泣いていて、ずっと涙を流していました。


でも、
僕はその子のただ泣いてくれている姿を見ていたとき、

ごめんね。
その子には申し訳ないんだけれど。

ただ泣いてくれていたその子を
心から
ありがたく思いました。

それは、
僕が忘れていた想いがそこには沢山詰まっていて、
ただ
そこに涙を流してくれているその子が
いてくれたことが。

ただ純粋に
僕を必要としてくれたことが

それが。

僕にとって、
純粋に誰かを想える気持ちの大切さを
改めて教えてくれる気持ちに

変わってくれていたから。






路上から離れて、
しばらくたって。
環境も変わると。

僕自身、
なんでこの生き方をしているのか。
なんで、
こうやって今を歩いているのか。


それを頭ではわかっていても、
忙しさの中で

それを心で実感できなくなってしまうことも
時々、やっぱりあったりして。


そんな気持ちを、
この子は、もう一度。

僕に思い出させてくれたような

そんな感じがしました。


この子が最後に、
また泣きながら
僕に伝えてくれた一言。

「出逢えてよかったです。」

そういってくれたことが、
僕の冷たくなっていた心を
こんなにも
温かくしてくれていました。

そう、
僕は。

ただみんなと生きている。

それを大切にしたいだけ。

そして、
そんなみんなが幸せでいてくれるように。

そして、
そんなみんなが心から笑ってくれるように。

それをほんの少し
きっかけであれる自分であれたら。

そんなことを一つ一つ
みんなにちゃんと「形」として、
みんなに創ってゆける

僕であれたら。

ただそれでよかったこと。

それをただ
シンプルに感じていたかっただけのこと。

それだけなんですよね。





僕は、
路上を始めた日に誓いました。

僕は一生、この道で生きてゆく。

それは、
「僕」が「僕」であることを
ずっと忘れないでいること。

その僕は、
今ここに書いた、
みんなが笑ってくれるように。

それを心から想える
自分でありつづけられることでした。


以前にも書いたと思うんですけれど、
今でも、
その気持ちは変わっていないですし、
きっとこれからも
変わらないものです。

それは、
それを変えてしまったら、
僕の存在そのものが、
その全てが意味をなさないものになってしまうから。

でも、
時々、
それが見えなくなってしまいそうなとき、
そんなときは。

どうかみなさんと
一緒に歩いていることを
感じられる僕であれますように。

どうかまた
こんなきもちを大切に出来る
僕でいさせてください。


それを思い出させてくれるのも、
その全てはいつも。

”人”なんだなぁと

再度
僕は思うことを感じさせてくれた。

今日出逢えた子は、
僕にそんなシンプルで純粋な気持ちを

たくさんくれた。

今、ここにそんな
「あなた」がいてくれたように。

それが僕にとっての
大切なみんなの「存在」です。




たぶん、
きっと。

今の僕に足らなかった事。
忘れそうになっていたことを教えてくれた
必要な出会いだった事。

そして、
彼女にとっても、
きっと、
必要だった事。
必要な出会いだった事。


こうやって、
人は人と出会ってゆく。

これが

「出逢うべくして出逢う」
という

僕なりの答え。
全ての答え。


神様はちゃんと
見てくれているんですよね。













実は、
今回の月記。
僕自身、何を書いていいのかちょっと困っていたんです。 笑

それは、
僕の中で、
忙しさにまぎれて、
なかなか人と会うことができずにいたから、
なにをみんなに伝えられるのか、
というのもあったんだと思います。

ちょっと今回の月記は
内容が難くなってしまったかも(ごめんね 笑)

でも
だからこそ、
こうやって出逢ってくれたその子に
再度
感謝ですね。


そして
やっぱり
皆さんに、
感謝なんです。


いつも
遠く離れていて、
うまく伝えられないことも多いんですけれど、
そんな皆さんに

支えられ、僕は
今を生きているとよく感じます。

月並みな言葉しか
ここではいえないんだけれど、

そんな皆さんに
たくさんの感謝の気持ちが伝わってくれますように。
何かしらの
あたたかい心を伝えられますようにと。

想いながら
この月記をいつも

綴っています。


皆さん、
いつも本当にどうもありがとう。


そんな皆さんが
僕にとって
ほんとに大切な
宝物です。





ということで、
皆さん、

気づきました?

今月からアトリエのスケジュールページが出来たんですよ。

こちらは、
アトリエにきてくれた方が
「hp上でスケジュール載せてもらうこと出来ませんか?」
という声を何人か届けてくれたので、
デザイナーさんにお願いして創ってもらったものです。

これは
僕も本当に助かります。
だって、
皆さん、
遠くからきてくれたとしても
僕がいないときに来てしまったら
これはショックですからね。
(僕もやっぱりショックです 笑)


なんで、
今度からはこちらに随時スケジュールを載せていきますので、
皆さん、
こちらをチェックしてからきてくださいね。

こちらは、
pc用と、携帯用がありますので、
どちらからもみれますから、
どうぞこれからも活用してあげてくださいね。



また、
皆さん、
bbsにも書いてくれているですけれど

(みんな本当にどうもありがとう!!
この場を借りてお礼を言わせてくださいね^^)

メルマガでも流しましたが、
ハタタケルのカレンダーが全国で発売されています。


皆さん、
どこで売っているかわからないという人も多いのですが、
こちらは全国のツタヤでは間違いなく売っています。
(あ、書店があるツタヤね。)

一番いいのは、
インターネット上で注文してくれたほうが
お手数かけずにいいと思います。
(今の時代は便利だよねぇ。)

また、
全国の総合デパートの書籍コーナーや、ドラッグストアでも(多分)
取り扱ってもらっていると思います。
こちらは、
2005年カレンダー一覧の中に
「癒し人 ハタタケル」で載っていますので
どうぞチェックしてみてくださいね。
きっと喜んでもらえると思います。


先日、僕も注文をしにいったとき、
カレンダーの名前が「ハタタケル」だったんで、
偽名を使って書こうかどうかと迷いながらも、
ちょっと恥ずかしい思いをしながら
注文書を書きました。笑


また、もうきっと見てもらえた事と思いますけれど、(笑)
今年もファミマ年賀状印刷を全国で受け付けているので、
またご覧になってみてくださいね^^


そして。

来月の月記の頃には
また、
新しい発表があります。

これは僕にとっても、
いつも楽しみにみてくれている皆さんにとっても、
きっと
今年一番の発表になりますので、
どうぞ楽しみにしててくださいね。


また、
来月の末には
おそらく一度だけ路上に出ます。
最近は路上も厳しいらしいので、
ちょっと確実には言えないんですけれど、
おそらく29日(月)に出ようと思っています。
雨とかだったら30日(火)に。

ちょっとわけありです。笑
よかったら皆さん、
顔出してくださいね。



もう
すっかり街並みも
様変わりして服装もみんな
冬の勢いだね。

やっぱり寒い季節には
なべにこたつにみかんでしょ!!
(こっそり長野県民魂 笑)

どうかみんな、
風邪には十分に気をつけて、
元気にまた明日から頑張ってね。

そんな皆さんにこの声がいつも
届きますように。

心から
応援させてくださいね。


それでは、また来月に。

皆さんに月記で会える事
楽しみにしています^^


皆さん、

いつも本当に


どうもありがとう。





































僕はあなたと共に
生きているよ。

あなたがよろこんでくれるように。

あなたがたくさんの笑顔をみせてくれるように。

僕がこんな僕であることはね、
決して
誰かのためにやっていることではないんだよ。

「誰かのため」になれることが
「僕の生きている喜び」になっていることを

僕は誰よりもただ素直に
感じているから。

誰かの笑顔があるから
僕の笑顔が今ここに生まれることができるように、

誰かの涙があるから
僕の涙も今ここで生まれてくれるように。

僕は
あなたと共にいきていることを知れて、
初めて

ここに「生きていること」を感じられる。


それが何よりもの
僕の心の中の宝物なんだよ。



これからも
あなたと共にいきてゆこう。

日々の中で迷い、
探すことも多いけれど、

僕はあなたと共に
いきてゆきたい。

「僕はみんなと共に生きていく。」

昔だったら、
「僕はみんなと共に生きている。」
だっただろう言葉も。

今では
違う言葉に変わる。

それが
何よりもの

僕が探してきた
幸せの形だと
思うことができたから。


僕はみんなと共に生きてゆく。

そう。

これからも
ずっと。

ずっと。
(2004.10.31)
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