2005年01月の日記

流れ行く風に身を任せて。



また、今年も新しく始まりましたね。
皆さん、よい年を迎えることができましたか?
今日は。癒し人 ハタタケルです。

新しい年を迎えてみると、
やっぱりなんだかんだであっという間なんですよね。
もう二月になろうとしているこのごろを感じると、
流れる月日はやっぱり早いんだなぁと実感せざるを得ないですよねぇ。

新年、という新しい年月を迎えると、
気分も心機一転という想いが皆、あると想うんです。
でも、
お正月を迎えると、いつも僕の中で、
なんだか時間の流れが止まるんですよね。
うれしいと思う同時に、
後のことを思うと
大変な思いになったりします。

世間も休みモードに突入し、仕事始めと仕事終わりが
しっかり出来ている世の中だからこそ、
そのペースに戻すのが大変だと、
よくサラリーマンの人たちが言葉を耳にすることが
多いんですけれど、
その気持ちが良くわかります。
ある漫画家さんが言っていました。
「正月があるとまた仕事をするペースに戻すのが大変。
 正月なんかなくなっちゃえー!」
んー。ごもっとも。
なんだか痛い言葉だけれども、それはそれで
なんだか寂しいような 笑
やっぱり、そういった意味で、
一つの去年と今年の始まりをつける
一つの「リセット」としての時期が、
お正月という共通した決まりごとなんでしょう。
昔からの続いてきた人々の風習には
考えてみると色々な意味があるんだろうなぁ。
(勝手に僕のほうで、
意味合いをつけてみましたが。笑)


さてさて。
今年も新しく始まり、
気付けば今日はもう1月30日
もうすぐ二月になるわけですが。

また今年も先日、
1月28日を迎えました。

この日が何の日なのか。
わかってくれたらうれしいですねぇ。

そうです。
今日は、僕のもう一つの誕生日であり、

今日は僕が路上を始めたという、
一つの大切な記念日でもあるんですね。


思い返せば、もう今年で三年目。
やっと三歳になりました。笑

今までの歴史から見たら、
いや、全ての時の流れから見たら、
三年、という月日はほんとーに微々たるもので、
取るに足らない時間なのかもしれないですけれど。
でも、
人が生きる時間から見たら違うんですよね。
以前、月記でも話をした人がいたように、
たった3年だけでも、
人は大きく変えてゆくことができる生き物だったりするんですよね。

年や、様々なセオリーは関係なく、
結局は、その人がどう見たいのかで
人生はその内容の濃さも、長さも
一人一人変わってくるような
そんな感じがします。


1月28日という日を迎えると、
僕はいつも、原点に帰ります。
一番初めの三年前の今日は、
路上に出始めた自分を見出せたこと。

次の二年前の今日は、
自分が次の自分のための新しい出発をし始めたときのこと。

去年の今日は、
僕が今の自分を描いていたときのこと。

そして、
今日は、
僕が自分の中でまた新しい自分と
始まりを感じていること。


振り返ってみると、
それほど、長い月日ではない中に、
様々な口に出せるようで出せない
自分の中の変化がある。
そういうことを想うと、
人生というのは、どんなときも「今」だけで判断できない
物語なんだいう、ことを考えさせられもするんですよね。
結局は、
その人がどうなってゆきたいのか、
というその人の心の中に描いているものが
直に現れるのが、
やっぱり人生になってゆくんでしょう。


僕はですね、
だいたい、
今日の日を迎えると、
来年の今日の日を考えます。

そして、
僕は、来年の自分がこうなっている、ということを
心の中で直感的に感じます。
それは、
決して、大それたことではなく、
でも、決して遠いことでもない。
つまり、
その時考えたものが
来年にはちゃんとその通りの自分にも
なっているということでもあります。


なんで、
こういうことを考えられるか、というと、
一番そこで大きいのは、
きっと、自分の今の立場や、自分という「人」のことを
客観的にみて、
ちゃんと知れているからなんだと想うのです。

人間は、
結局、自分以上にはなれません。
自分が誰かに代わることは出来ないし、
また、同じように誰かが自分に変わることはできない。
でもですね、
その「自分」が、
自分という存在を何気によく知らないということがあることが
人間だったりします。
むしろ、周りの人の方が
自分のことを知っていたりして、
びっくりしたことないですか?
あ、そんな風に見えるんだ、ということは
いい意味でも、悪い意味でも、
それも自分の姿であって、
でも、
何気に自分は気付いていないことが
多いのもそのためですし、
そこでむしろ教えられたら
それはとてもラッキーなことなんですよね。
そこには改善の余地がちゃんと
あることでもありますから。

そういうことも含めて考えてみて、
たとえばですね。
自分のことを考えてみてください。

自分の置かれている立場。
自分の考えていること。
自分はどうなってゆきたいのか。
自分は何を持っていて、
何が足りないのか。
そんな今の自分が来年に行くためには
何をしてゆかなければいけないのか。
来年にはどうなっていたいのか。
何が自分の幸せなのか。
そして、
自分にとって何が大切なのか。

そうやって
客観的に自分をみてみたり
自分を知る、ということを
やってみてゆくとですね、
面白いことに
人生の見方がほんの少しずつ、
変わってゆきます。

自分なりの目的意識が
はっきりする分、
必要なことに目を向けられ、
そして、
それにむかって頑張れるようにもなるからです。

それは、
言い方を変えるとしたら、
「人生の無駄がなくなる」
という言い方も出来るんだと思います。

確かに、
人生には何一つ無駄はないですし、
一つ一つにその人なりの意味が必ずあるものです。

でも、
そういった目的意識をもって歩いていることと、
そうでないことでは、
それが無駄だったのか、無駄じゃなかったのか、
それを考える以前に
「今」という
普通に過ごしていたらただ過ぎていた一日にも
何かしらの意味を見つけてゆけるということが
数日単位でできるようになります。

そんな考え方をすることにも
至ることはなかなか普通に生きている限りは
ないと思うのですが、笑
ただ、
こういうことは、きっとどんな人でも
必要なことでもあると
僕は思うのです。

普通に何も考えずに笑って生きていくことも
大切な幸せだし、
全く生きることに
全く疑問の無い人はいいんですね。
それはとても幸せないい人生だと僕は思います。

でも、
もしも自分が生きるということに
何かしらの目的だとか、
幸せになりたいとか、
そういう自分になってゆきたいというものが
ある人であれば、
僕はそういった意味で
自分をよく知ろうとすることは
とても大切なことでもあるんだと思うんです。

その中には、
見れないぐらい痛いものや、
できることなら、
ふたをして閉じておきたい
自分の中の傷だとか、
嫌なところもあるかも知れません。
でも、
そういうことをちゃんと
自分の中で確認し、
認められると、
また、自分の自分に対しての
接し方も変わってきます。

つまり、
よい意味で、
自分のことを知ろうとしてあげられること。
自分を知り、
そして、うまくそんな自分と付き合ってゆくための
入り口が、
自分と向き合った中にあるのだろうと
思います。

そういったものが
自分にとって、
「一番の味方が自分である」、といえたら。

それは
とても素敵なことですよね。

そして、
そうやって通せたものが、
たとえば一年間を振り返ってみたときに、
「ああ、いい一年だったなぁ。」
といえるか、どうかに
変わってくるのではないかと思います。

それは、いつも、
置かれている
「自分という姿」が、
その人にとっての
全ての
一つの基準になってゆくからなんですよね。




毎日生きていると、
何気なく沢山の温かさが
あることに気付きます。

先日の、1月26日、
夕刊フジを家の近くの駅の売店に買いに行ったのですが、
僕はそれを買うとき、
その夕刊の日付が1月27日だったことに
気付きました。

「あ、もしかして、俺、間違えて皆に教えちゃったかも。」
と思い、
かなり焦ったりしてました。(笑)
その時、
そこのおばちゃんに確認したんです。

「すみません、この新聞、中を見ていいですか?」(まだ買っていません。)
「あ、いいよー。どうぞどうぞ。」

ほんわかと、とてもきさくなおばちゃん。
笑顔で答えてくれました。
そうやって、自分の記事を見つけて
ほっとしたところ、
おばちゃんはそんな自分の顔を見てか、
「なになに。なんかあったの?」
と覗き込んでくる。

そんなおばちゃんに押されて僕は、
「あ、いや、自分が出てたんで...」
と苦笑いしながら答えると、
「え、どれどれ。あら、なかなか男前じゃない。」
と一言。笑

そうしているうちに違う売店のおばちゃんも
入ってきて、
「あら、だって、あなたまだ若いわよね。」
と笑いかける。

その時、
僕はこんな近くにもこんなにも
温かい人がいるんだなぁと
東京もまだまだ捨てたものじゃないんだなぁと
そう感じて笑いました。

なかなかね、
東京に住んでいる人はわかると思いますが、
駅の売店のおばちゃんは
これだけ多い人を相手にしている分、
こうやって、
余裕を持って話せる人がいないのが
現状で。
そう思うと、
久しぶりにそういった素の
人としての心のあたたかさ
「人」に触れられたことが
僕にとって何よりもの幸せになりました。


よくよく色々なものを注意してみているとですね、
世の中には普段気付いてみているようで、
何も気付いていない自分が
いたりするのにはっとさせられることがあるんですよね。

たとえば、
先日、地下鉄から上がる階段から上っていって、
その地上の出入り口のところで、
たっていたところ、
そこにたくさんの人が上ってきました。
そんな階段を上り下りしている人の流れを何気なく、
上からみているとですね、
手すりを使って上ってくる人たちが
たくさんいるんですね。

僕は普段、
普通に階段を上っているだけだったのですが、
ゆとりを持って
周りを見回すと、
逆を言えば、
「その人」の立場になって
物事を考えてみてみると、
そこには様々な「誰か」を想った
心遣いがなされていることに
気が付きます。
存在する一つ一つのものに
必ず、何かしらの「意味」があって、
そういった人たちのことを
考えて創っている、
創り手の人の「想い」が
ここに創られていることを知るとき、
僕は
もっと注意しなければ
いけないことがあることに
たくさん感じさせられます。

階段の手すりも、
プラットホームのデコボコの黄色い線も、
ぽつんと光る電灯や
街の片隅に植えられている花々、
何気なく置いてあるベンチでさえも。

全てはそこに必ず、
「誰か」を想った心遣いがあるんですね。

その思いが、
この世界を創っている全ての基準であることを
知れたとき、
そこにこの世界の全ての答えがあるような気がするんです。

では、
もしもそういうものにも
また違った視点の意味での
誰かを想った心遣いがあったらどうか。
みている人の心、
何気なく触った人の心、
そんな人たちの
心をそっと温かくなでるような、
それを見てくれている人が
何かしら気付いてくれるきっかけを
そこに創ることができたらどうか。

僕は
それを考えるととても嬉しくなります。

それは
決して、企業媒体の営利目的の手段として使うのではなく、
純粋に人としての立場で
喜んでくれるかどうかを
考えられること。
そう思える一人一人の心使いが
この世界にもっと広がってゆければ、と想うと
なんだか温かい気持ちで
一杯になります。

そして、
それが僕の全ての原点であるような、
そんな気がします。

そういえる人が一人でも
多くあってほしい。

そして、
それを通して
「よかった」と
その人も、
そして、
それを受けた人も
幸せといえる
そんな毎日を送ってほしい。

そんな様々な小さなものだとしても
たくさんのきっかけと、
その足場を創ってゆくことが
今、これからの
言い換えれば、
今年一年の一つの
僕の
目的です。



先日、
あるファミリーマートの方にお会いしました。
この人は
先日ファミマフェスタのイベントにいた
スタッフの方の中のお一人だったのですが、
イベントの最中に
僕に一つお願いをしたいといって
言ってきてくれたことがありました。

「もうすぐ、実家に帰るから、
そのときに自分のおばあちゃんに
プレゼントをしたいんです。
どうか一つ言葉を書いてくれませんか。」

ということでした。

もちろん、
僕は快く引き受けました。
そして、
この人とおばあちゃんはどんな人なんですか?
どんな思いを伝えてあげたいんですか?
と聞いたところ、
その男性の方は言葉を詰まらせていました。

「実は...。今度、帰郷するのは、おばあちゃんが
亡くなってしまったからなんです....。」

聞くところによると、
昔からおばあちゃん子で、
おばあちゃんに育てられたようなもので、
そんなおばあちゃんのことがとてもとても
大好きだったと。
そして、
そんなおばあちゃんがいてくれたから、
ここまで大きくなることができたと。

どうかそれを伝えさせてほしいと
そう言って来てくれたのです。

僕はそれを聞いて胸が痛くなりました。
そして、
その言葉を聞いて、
とても僕は心が温かくなりました。
こうやって、
おばあちゃんに触れられて、
そして、この人の中には確かにおばあちゃんが
ずっとずっと息づいている
そんな鼓動を感じられたこと。
それがなんだかとても嬉しく、
また、辛い気持ちを抱きました。

僕は、
その言葉をきいて、
そして、
何も言わずに言葉を書きました。

「おばあちゃん、今まで育ててくれてありがとう。
おばあちゃんがいてくれたから、
ここまで大きくなることができたよ。
今、ここでこうやって、
頑張ることができているんだよ。
これからもずっとそばで、
そして、いつまでも見守っていてね。
大好きなおばあちゃんへ、
心をこめて。
本当に、どうもありがとう。」

その言葉一つ一つは覚えていないのですが、
おそらくこのような言葉だったと思います。

その方は、
それを書き、渡したとき、
その場でしばらく色紙をみて、涙を溜めながら
「ありがとうございました。
ちゃんとおばあちゃんに届けてきます。」
そういって、
会場を後にしてくれました。

そして、
先日、
仕事の打ち合わせの関係で、
その方とお会いしました。

僕は、それまで
忘れてしまっていたのですが、
その方を見て、
そのことを思い出しました。

その方は僕に対して、
「先日はどうもありがとうございました。」
と、言ってくれました。
そして、僕は
「おばあちゃんにちゃんと渡せましたか?」
と聞いたところ、
その方は笑顔で
「はい。
 あの、それでですね、
 実は...。
 あの色紙、おかんの中におばあちゃんと一緒に
 入れさせてもらったんです。
 周りからもったいないと言われたのですが....
どうしてもおばあちゃんにもっていってほしくて。」

僕はその言葉を聞いたとき、
やっぱり間違いでは無かったって、
そう思えました。

その人の心遣いの温かさ、
そして、
おばあちゃんを本当に本当に想う気持ち。


普通、考えてみるとですね、
形として取っておくことが
大切にしてくれているように見えます。

もちろん、
いつも大切に飾ってくれて、
そして、いつも色紙を大切に見てくれている
それをみて頑張ってくれている
皆さんにはとてもとても言葉では
伝えられないほど、
嬉しくて、そして、
そうしてくれている皆さんに
感謝を抱いているのですが 
でも、
それとは
今回は全く逆のような気がしたのです。

大切にしてくれたからこそ、
形に残すのではなく、
大切にしてくれたからこそ、
おばあちゃんに一緒に持っていってほしかった。

本当に大切なものは、
形ではなく、
心にあるものだと。

そして、
その方は、
形で色紙を見てくれたのではなく、
自分の心として
その色紙を見てくれ、
そこにある想いを汲み取って、
そして、その想いを
誰よりも大切にしてくれた。

そういう
目に見える形ではなく、
目に見えない想いという心。

僕は
それを大切にしてくれたこの方の
気持ちがとても温かくて、
そして、
ありがたく想いました。

そして、
僕は、
その時、
少なからず、この人の気持ちにかかわらせてもらうことが出来たことに、
そして、
少なからず、この方にお会いできたことに、
とてもとても
心からの感謝を抱きました。



本当に大切なものは、
いつも心の中に息づいてゆくものです。
そして、
それは、
どこかになくなってしまうものではなく、
必ず、人が人として生きている限り、
みんながもっている「心」という
中にあるものです。

それが、
あるからこそ、
人は人として頑張ることが出来るし、
そして、
何よりもそれが
人が生きるという、
一番の意味にもなってゆけるものだと
僕は思います。

その思いは
本当は「形」で表せるものではなく、
心でしか表せられないもの。

つまり、
ほんとに大切なものには、
「形」という概念は必要ないんですよね。

その人が抱いているものが、
何よりの
その人の宝物であるということ。

人間は、
自分という入れ物の中に命がある
存在ですけれど、
そういうものを取っ払って
物事を考えてみたときに、

僕はなんだか、
そういう大切なことが
見えるような気がします。

そんなことを、
僕はこの方から
教えてもらえたような、
そんな気持ちを抱くことが出来ました。

この方も、
そして、
この方のおばあちゃんも。
どうかどうか
ずっと今も、
笑顔でいてほしいと、
そう想いました。


話が長くなりましたが、

結局、
僕自身が、
大切にしたいというきっかけは、
こういうものなんだろうなぁ。


ということで、
またこれから、
色々なものを通して、
皆さんに喜んでもらえるように
頑張ってゆきます。

どうぞ皆さん、
楽しみにしていて下さいね。

そして、更にですね。

今後、
皆さんと「一緒」に
物事を作ってゆくことを
現在
考えています。

またこちらは後日、
皆さんにお知らせしますので、
どうぞ楽しみにしていて下さいね。

きっと喜んでもらえるものに
なると思います^^






さてさて。

話は変わりますが、
ここで皆さんへのお知らせがあります。



皆さん、
お待たせしました!

こちらは、
メルマガを見てくださっている方は
もうご存知だと
思いますが、

来月、
13日(日)に、
「あなたはここに在るよ。いつだって。」の
特別出版記念イベントを
銀座の福家書店で
行います。
(詳しくは、hpのインフォ(2月から掲載します。)をご覧下さい。)

こちらは、
出版社主催による、
皆さんへのこれからの僕の一番初めの
お披露目会と、
そして、
皆さんへの
お礼の場としての
記念すべきイベントでもあります。

よくアイドルの方とかが
サイン会を開く書店なのですが、笑
(当日、僕のサイン会の前は
小倉優子さんです。笑)

こちらでは、
当日、
本を買ってくれた方への
サインと一言、
(もう本を持ってくれている方には
 誰かにプレゼント用としての言葉を)
また、
それに対しての、
その場での
一緒にとった特別記念写真を
一緒に添えて
皆さんへ贈呈します。

当日は、
整理券にてのイベントになりますので、
イベントは1:00から2:00までの一時間なのですが、
お早めに会場にいらして頂いたほうがベストです。


こちらは
これからの僕にとっても
新しいスタートとしての
特別な日と同時に、
新しい発表の場となりますので、
是非皆さん、
お気軽に足を運んでくださいね。

いつもhpを見てくださっていたり、
本を買ってくださった方でも、
まだお会いしたことがない方も、
しばらくお会いしていない方も。

せっかくのこうやって皆さんと
触れ合える為に設けた場と機会ですし、
また、
こういう場でないと
会えない方もいらっしゃると思いますので、
そんな皆さんへ僕からの
お礼と場として
喜んで頂ければ、と思っています。

そして、
何よりも、
そんな
皆さん一人一人に
お会いできるということに
とても
うれしく思いますので^^

皆さん、
お会いできることを楽しみにしていますね☆



そして、
また来月から色々と
皆さんへの新しい
発表とお知らせがあります。
こちらも、
色々と皆さんが
喜んでもらえるものになってゆくと思いますので、
どうぞ楽しみにしてお待ちくださいね。




もう今年も、
あと11ヶ月ですね。
一つ一つ、
良い年にしてゆけるように、
また今年を
頑張ってゆきましょうね。


それでは、皆さん、
今回は、こんなところで。

そして、
皆さんにお会いできること、
これからも楽しみにしています。

皆さん、
いつも本当に、
どうもありがとう^^

そして、
また今年も、
どうぞよろしくお願いします。


それでは、
2005年。


はりきってまいりましょー!









































誰かの笑顔の中には
誰かの想いがある。

誰かの幸せの中には
誰かの心がある。

涙も、
苦しさも。
切なさも、
愛しさも。

全ては形が違うようで、
全ては同じ、
自分の気持ち。


人と人がつながっているのは、
きっと、
そこに想いがあるからなんだろうな。
そこに誰かを想える心を
一人一人がもっているからなんだろうな。

人は皆、心に誰かを抱いて生きている。



新しき道の彼方には
新しき道の行方があり、

その選択の中で
人は皆、
別れも、
涙も
受け止めることもあるけれど。


別れは
決して、
悲しいことばかりではなく、
最後には
それを受け止め、
感謝できることにもなれるのは、

別れとは、
生きるものにとっての定めというべき、
新しい始まりに向かうための門出なんだと
最後には
人は気付いてゆけるからなんだろう。

果てしなき時の中
果てしなき空の下

僕たちはこうやって、

この世界とは相反する
限り在る与えられた命の中で、
自分の答えを探すために
こんなにも一生懸命

生きている。



毎日はいつも、
この時、
この場所で、
たくさんの想いの中に
存在してゆく

記念すべき
あなたの始まり。

さぁ、
流れ行く風に身を任せて
今日は
どこへ行こう。

目を閉じて
耳を済ませてごらん。

空に手を伸ばして、
そして
生きている小さな胸の鼓動を
感じてごらん。

ほら、
今もまた。

新しい僕たちの人生の門出を祝って
新しい風が
そっと優しく

吹いてくれているから。
(2005.01.31)
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