2005年02月の日記

小さな灯火が心の中に、灯る時。



今年の春は、温かい日と寒い日が随分と極端にやってきますね。
皆さん、元気に頑張っていますか?
こんにちは!
癒し人 ハタタケルです。

今年の春は花粉症がすごいらしく。
聞くところによると、例年の20倍だか30倍だかの花粉が
飛び交っているそうな。
いつも僕は毎年花粉症で悩まされている口。
そんなことを聞くとぞっとします。

しかーし、今年の僕は違います。
何が違うって?

それは
今年は例年にない取り組みをしていまして。
その取り組みとは
今、僕の中で毎日ハーブティを飲むことだったりします。

ハーブティを飲むということは、
パックのものを入れるわけではなく、
ハーブの実となるものを
何種類かブレンドをして
その上で、
それをじっくり時間を置いて、こしてから
飲むわけですが、

初めは
味に慣れるまでに
時間がかかったりもするんですけれど、
慣れると
これがまたおいしい。

花粉症もよくなるし、
おいしいし、
体にもいいし、
コストもそれほど高くない。

一石三鳥にも四鳥にもなりそうなこのハーブティを
一日の終わりにいれて
飲むということが、
色々と追われる日々の中での
ちょっとした
僕の小さな幸せになっています。

しかも、
おかげさまで今年の状態は
例年に比べて遥かにいい。

目も痒くないし、
鼻水はでないし、
くしゃみもほんの少しだけ。

いつもこの季節は地獄を味わう分、(笑)
初めて春になる幸せを
感じている今日この頃かもしれません。

でも、
なんだかんだでまだ
2月終わり。
本格的になるのは3月からだから、
その時にもこの
ハーブティがうまく効いてくれていますように。

自信満々に「今年は大丈夫なんだよー。」と
笑顔で周りに言っているので
もしもそんなんで花粉症になったら笑ってやってくれと
豪語しています。 笑



さてさて、
また今月も月記の時間がやってきましたね。
皆さん、
いかがお過ごしですか?



今月は本当に
どたばたしていて、
また気付くともう
月末なんですよね。

さて、
こんなとき
月記に何を書こうと
いつも想うのですが
(実はいつも、大体がそのときの
行き当たりばったりの話を書いています 笑)

じゃあ、
今日は久しぶりにまじめな話ではなく
ハタタケルの
ちょっとしたマニアックな世界の
お話でもしましょうかね。

といっても、
カルト的なものではなく、笑
普段あまりこんなことを考えない人にとっては
ちょっとした刺激になるお話をしましょう。

その中で
ある素敵なお話を耳にしましたので、
その話に伴った
お話について皆さんに
おすそ分けをしたいと想います。

今日はちょっと
ハタタケルのかなり自己満の世界の
よくわからない話に
付き合ってもらうことに
なりますけれどね 笑

ふふふ。

もしよかったらみて下さい。









これは自分の友人達の話なのですが、
先日、その友人達が旅行で
バリに行ったのです。

僕はあいにく時間の関係もあり
いけなかったのですが、
その友人達は
結婚されていまして、
お互いの夫婦同士でいったということでした。

どちらの夫妻も
僕にとっては大切な人たちなのですが、
帰ってきてそうそう
その一方の友人が僕に
興奮しながらこう話したのです。

「いやー、すごいんだよ。これが。
全部見える人がいるんだよ。」

「え、なんのですか?」

「自分の寿命やら、守護霊やら、
とにかくすべてでさ。びっくりしちゃったよ。」

僕自身、
占いというよりも、
見えない力とかを
大切にしていたりしますので
それを感じられる人がいても
おかしくないと
想っています。

あ、間違ってはいけないので
断っておきますが、
(以前にも書いたと想いますが)
僕は宗教とか何かを信仰しているわけではないので、
あしからず。

ただ、
人が生まれ持ったものや
(俗にいう統計学ですね)
その人の流れというものは
一人一人あるものだと
想うのです。

その人のイメージは
その人にしか出せないように、

その人のイメージは
ぱっと見の印象や感じで
判断されることが一つの
現実であるように。

でも、実は、
そういった
ちょっとした要因が
様々に重なり
複合的に絡み合って
その人自身を作り上げていることでも
あったりする。

それでその人の全てを
判断してしまうことも
怖いかもしれないけれど、
そういうことを知っておくと、
ある意味人生を渡ることが
よりよい方向に流れたり、
楽になることもあります。


話がそれましたが、
そんなことを話す友人の言葉に
へぇと耳を傾けていたところ、
そして、更に驚いたように
言葉をつづけました。

「それでさ、Mさん(相手の夫婦の方々です)達、
実は前世でも一緒だったんだってさ。
これびっくりだよ。
なんてったって、100人いたら10人いればいいんだってさ。こういうの。
なんだか泣けない?だってさ、死ぬときに
「生まれ変わっても一緒になろうね。」とかいって
この世を去ったんだと想うとさ。
いい話じゃないのー。」



この友人のそんな言葉をいえる
温かい心をもっているところが
僕は大好きだったりするんだけれど、
ロマンチストなハタタケル自身としては 笑
そういう巡り会わせの話も
大好きである。

ほぇーとその話を聞いて
なんだかもっとM夫妻のことが
好きになりましたが、

でも
どうだろう。

では、その聞いた話のように
前世と現世があったとして、
その中で今こうやって
二人が
つながったとしたら。

それはそれは
とてつもなく
壮大な物語。

二人が巡り会えるまで
様々な障害を乗り越えて、
幾多の時を経ながらも
巡り合わせの中で一緒にいることを
望んだこと。

そこには
たくさんの見えない力が
存在しなければ
成り立つものではないだろうし
それがその二人を引き寄せたとしたら、
それは
二人の想いから発せられた気持ちだけが
そんな奇跡を創っている。

ということ。


なんだか
そう想うと
これってすごいことですよねー。

妄想癖のあるハタタケルとしては
想像するだけで
鳥肌がたちます。



自分が生まれた家族があり、
周りの環境があり、
今出逢い、
そばにいてくれる人があり。
でも、
ある意味、
その逆に、まるで
自分との出逢いの意味が終わったかのように
その人との「別れ」があるように。


それを人は
”縁”というのだけれど、
そういうと、
出会いというものは
結局、
それ以上にはなれなくて
それ以下にもなれないものなんでしょうね。

全て
どれもこれも
巡り合わせの縁でしかない。


そばにいてくれる人たちも
縁だし、
縁がある人しか、
人間は会えないという言い方も出来ると
思います。

また、

”袖振り合う仲も他生の縁”
なんて言葉があるように、
ちょっと街で行き違った人がいても、
そこには必ず、
何かしらの縁があるということ
なんでしょうね。


その縁とは、
よく言われていることに
前世で何かしらの関係と、
出逢いがあった人達が

またこの現世で
出会っているという
話を聞いたりします。


まぁ、
実際のところ、
僕にはそういったものは見えないので、
どうなのかはわかりませんが、
ただ、
今ここに在る出逢いは
そういった意味でも
たくさん時を経て出会えたものであると
いうならば、
大切にしなければいけないという
想いに変わることは確かです。

それも
一つの今を生きる上での
大切なものを大切に出来る
見方の一つになってゆけると
思うのですが、

実際は
目に見えることばかりに
目がいってしまい、
時に、それを大切に出来なかったりするのが
人間だったりします。
裏を返せば
目に見えるものしか、
信じない人が多い。ということ。

それは、
目に見えないものには確証がないので
もっともな話なのですが、
でも、
実際は
この世の中にあるものは
目に見えるものよりも、
目に見えないものの方が
大切なことが実は
多かったりもするんですよね。


人の想い
ここに存在する
空気や風、時や気の流れ
その人が醸し出す雰囲気
....などなど
あげればもっとたくさんあるものだと
思いますが、
それらは確かに
今、ここに存在するものです。

よく学者さんは
物事には必ず原因があり、
根拠がある。
その結果が事実である。

という言葉をいう方が多いのですが、
確かにこの世の中の大体のことは
解明できます。

しかし、
ではなんで、
全てが科学的に
解明できることもあれば、
できないこともあるのか。

僕はですね、
そこには目に見えない、
根拠や何かでは図ることの出来ない
人間の人智の力を
超えたものがそこには
存在するからではないか



勝手に思っていちゃったりするんですね。


まぁ、
つまり
人間が人間である限り、
人間は人間以上の視点で物事をみることは
できないということ
なんでしょう。

たとえば、
例を上げると
こんな感じだと思うんですね。



人間が猿を見ていて、
その猿が
一生懸命バナナを取ろうとしています。

でも、
そのバナナは
宙にぶら下がっています。

でも、
猿は一生懸命ジャンプして
それを取ろうとしている。

もしも人間であれば、
たぶん、
もっと違う次元で物事を考えるでしょう。

棒を使ったり、
踏み台を持ってきたり。

猿も
そういう「もの」を与えられたら、
それを使って取ろうとする
術を知るかもしれませんが、

人間からみると
しごく当たり前なことが
人間から猿を見ると、
なんでこんなこともわからないのだろうと
思う。

それは
その次元でしか物事を考えられて無い
その生物の限界でもあります。

でも、
もしかしたら、

そんな人間のことを
人間からみた猿のように
みているものがあってもおかしくない

ということなんですよね。


さてさて、
もう十分かもしれませんが 笑
ここからが
本題です。


僕はよく考えます。

例えば。

ですよ。

では
そんな
この世界に生まれた人が
全て、
意味が在って生まれているとしたら。

そして、
では、
じゃあ、その人に一生という人生の中で
与えられている意味が
実は生まれたときから
決まっているとしたら。

いや、生まれることすら
遠い遠い昔から全て決まっていて、
ここから遠い遠い未来まで
全て創られている、

ある意味
何かが創った
ガイドラインが
あったとしたら。

それは
どうなのだろうか、
と。

あがらっても
逆らえないのが
宿命とするならば、
全てが決まっているとしたら、
自分が向かう先も、
考えていることも。

全てが初めから予想されていたことなのだろうか。

では、
始まりがあって終わりがあるように、
終わりとは
どのような訪れをいうのだろうか。

無が有を創るのなら、
有が無になることが

始まりであり、
終わりであるとするならば

ある意味、
メビウスの輪(知ってる?)のように
終わりと始まりは全てつながっていて、
結局、
未来永劫、
同じことを繰り返し
その輪廻を辿ってゆき、

時という空間に与えられた命という
限り在る時間を通して
「何か」を見出してゆくことが

生命の役割なのだろうか。

その役割を持って生まれた生命が向かう先には
何があり、
何にたどり着くために
存在するのだろうか。



うーん。

頭が痛くなりましたか?笑



何にも疑問もなく
普通に生きている限りですね、
こんなことは考えなくていいこと
だと思います。笑

いや、僕が今を生きることへの疑問を
もっているから
こんなことを考えるのではないのですが、

でもですね、
様々な視点で物事を考えるようになると、
今までとはまた違った視点で
様々な物事を見れたりするんですよ。
(考えすぎもよくないんですけれどね。)


たとえば
では、
そんな中で
今現在、
この地球上だけでも約60億近くの人間が
生きていて、

人間だけではなく、
その他全ての生命を考えたら、
それこそ、
天文学的な数字になる生命が
生きているということになるけれど、

たとえばですよ。
神様という存在がいるとして、

その神様が書いたシナリオにそって
全てが今を生きているとしたら。

どうでしょう。

人には意思があるし、
自分というものをもっているのですが、

では、
その意思すらも、
何かによって決められてしまっていたとしたら。
そんなことができるとしたら
それこそ想像もつかない世界だけれど、

それをみて
全部を知っている存在があったとしたら。

それは
とんでもないものなんだろうなぁと


想っているこのごろ。



こいつ頭おかしいんじゃないの?
と、想われそうですが 笑
こういう意味のわからないところを
考えることも、
人間が人間であるが故の
人間らしいところだと
僕は思ったりします。笑


まぁ、

別にだから何かを
言いたいわけではないんですが、

一つだけいえることは、
自分で普段見ている世界
というものは

実はとてもとても
小さくて、

もっと大きい見方で考えてみると、
そこには従来考えもしかなったような
生きることへの考え方が
(いい意味でですよ。笑)
あったりするということですよね。



そんなことをですね、
僕が
さっきの友人と話をしているときに、
話をしていたら
その友人は否定することもなく
(お互いこんな話が大好きです。笑)
こんなことをいいました。

「それができるから神様なんじゃない?」

そして、
その友人はこういう言葉を
続けていいました。

「未来は変えられないけれど、過去は変えられるんだよねぇ。」

その言葉に
僕は「なるほどねー」と
うんうんと納得しました。

よく
こういう言葉を耳にしませんか?

「過去は変えられないけれど、未来は変えられる。」

確かにその通り。

起こってしまった過去は変えられません。
また、
これからの未来は
自分で変えても行けます。

でも、
これをですね、
ちょっと違う視点で考えてみるとですね、
また違った見方ができるんですよね。

さっきの話に戻りますが、
たとえば、
人間。
全て生まれたときから
出会う人も、
結ばれる人も、
その人が行き着く先も、
どうなるかも。

全てが決まっているとしたら。

その未来は変えられません。

しかし、
もしもそれを知ったとしたら、
過去の起こってしまったことは
変えられないけれど、
「何のためにあったのか」、
というその出来事への”見方”は
変えられる。

事実とは、
起きてしまった出来事そのものを指しますが、

その
”意味”は自分次第で
いかようにも変えられたりします。

そして、
未来が決まっているということは

どんなにあがいても、
努力しても無駄
という悲観的な意味ではなく、

自分が「考えたこと」が全て
「胸の中に咲いた想い」が全て、
その人の役割を全うするための
何かしらのサインになっていて、
それが決まっている
未来のための思いだとしたら。

どうでしょう。

いいときも
わるいときも

そのときそのときは
全て自分の決まっている未来に向かうための
通過点とできるならば、
その一つ一つを
ちゃんと受け入れられるようになれる。

それが
人生の中で無駄なものは無い、という
思いにつながってもゆけるものだと
思うんです。


きっと、
この友人も同じことを
感じて、
この言葉を言ったのだと僕は思います。



先日

テレビをつけたときに
あるドキュメンタリーがやっていました。

一角という魚をご存知ですか?

主に
北欧の海や湖に
生息する魚なのですが、
一角という魚は
自分の顔に長い角があります。

それは、
どうも歯が進化したものらしいのですが、
その中で
一角同士が
盛んにその角を比べあっている姿が
ありました。

どうもその解説の人いわく、
角を年に一回比べあうことによって、
その群れの長を決め、
その期間は
その大将が一番の権限を持つらしいのです。

人間の僕から見たら、
へぇ、
なんでそんなこと。

と思うのですが、
一角から見たらそれは
自分の生きている意味に関してのとてもとても
大切なこと。

でも、
一角の世界からみたら、
そういう世界の中で生きていることは
幸せなんですね。

僕が一角の世界に入って
生きてゆきたいとは思わないように
(無理だし 笑)
一角も人間の世界に入って
生きては行けない。

もちろん、
そこにはだからこそ「共存」という
言葉があるのですが、
それはその世界の中で
いれるからこそ、
幸せが感じられるということなんだと
思います。

全然違う種からみたら
なんでそんなことにと
思うことであっても、
その世界の中では大切なことで、

でも、
そうやって大切といえる
世界の中で生きてゆけることは
それはそれだけで
とても幸せなこと

なんでしょうね。


なんだかんだよくわからないことを
今日は書いたりしてますが、

そう思うとですね、
たどり着くところは
結局。

人間という世界も小さいものだけれど、

それはそれでいいんだろうなぁと。


こんなことを考えてしまう僕も
ちょっとおかしいのだろうけれど 
まぁ、
そんな自分が
好きだったりするんですけれどね。
(かなり自己満な世界です 笑)



そんな難しいそうなことを
考えることもある一面。


先日、こんな出逢いをしました。



アトリエにいるときだったのですが、
「ちょっといいですか?」
といって
アトリエに入ってきた方がいました。

その方は
リュックをしょって、
片手には杖をついた
おばあさんでした。

僕はもちろん、
笑顔で
「どうぞお入りください」と
いうと
その方は入ってくるなり、
こういうのです。

「これは何をしているところなんですか?」

確かに端からみたら
何をやっているところかわからないことかも
しれません。

僕は笑いながら、
この趣旨をお伝えしました。

そうすると、
この方は
「ほぉ」と目を丸くして、
一面の言葉を見始めました。

そして、
ゆっくり見回した後、
こういったのです。
「長いこと生きてきましたけれど、
こういう場所は始めてみました。
いやー、また一つ勉強になりました。」

そういったこの方は
実はなんと今年で
93歳になる方でした。

僕はそれを聞いて
びっくり。

まるでそんな風には見えないし、
足腰も、言葉もしっかりされている。

そして、
その方からでた言葉が、
「また一つ勉強になりました。」
という言葉。

僕はもしも、
たとえば自分が93歳になったとしたら
ここまでいえるだろうか。

そう思ったときに、
この人の「今」を生きる気持ちというものが
こんなにも前向きで、
しかも、
このお年になっても
向上するということを忘れていないところに
ものすごく感動しました。

さっき、
つらつらと人間について
色々と書いてきましたが、
このような方を見ると、
そういうことは
どうでもよくなっちゃうんですよね。笑


今をただ、
一生懸命生きること。

それに全ての意義があり、
それでいいのではないかと。

そして、
生きるということは
ただそれだけで
素晴らしいんだよということ。

そんなことを
教えてもらえたような、
そんな気がしました。


これもまた
かけがえの無い、
自分と巡り会って出会ってくれた
僕とおばあちゃんとの「縁」なんですよね。

またあのおばあちゃん
会えることがあったらいいなぁ。







最近はですね、
なかなか
アトリエにいけることが
減ってきてしまったのですが、


今月は、
僕にとって色々と
これからの自分にとって
新しい基盤を創る大切な時期になりました。


2月の半ばにはサイン会がありましたが
(hp上でもそのときの写真をアップしますね)
たくさんの人が来てくれました。

中には
このためにわざわざ九州や、
岐阜、滋賀など各地方都市から
来てくれた人もたくさんいて、
一番遠くでは
台湾から来てくれた人もいまして。

それには僕もびっくり。

目をまんまるくして、

「わざわざこのために来てくれたんですか?」

と聞いたところ、
その方は笑いながら

「いや、こっちでの予定もあったんで... 笑」
といいながらも、
こうやってわざわざ来てくれたことに
本当に感謝しました。

でも、
来てくれた皆さん、
まさかあんなにしっかりしたサイン会だとは
想わなかったらしく、
かなり緊張していたことは
すぐにわかりましたが(にやり 笑)
でも、僕にとって記念すべきあの日に
皆さんに会えて、とても嬉しかったです。

来てくれた皆さん、
本当にどうもありがとう。

皆さんにとっても
この日の思い出が
大きい記念日にもなってくれていたら
うれしいです。

写真カードと一緒に大切にされてくださいね。

この場を借りて
皆さんにお礼を言わせてください。




また、
都合が悪くてこれなかった
皆さんにも、
本当にありがとう。

沢山のメールを皆さんから
頂きましたが、
またこのような機会があれば、
皆さんに
お知らせしますので、

どうぞ皆さん、
そのときはまた
顔を出してくださいね。

皆さんに
またお会いできることを
楽しみにしていますね^^








また
来月からは、
さまざまなことが
4月に向けて始まります。

どうも
僕にとっても
今年の4月は新しいスタートには
欠かせない月になりそうです。

何をやるのかは
また、追ってお知らせしますね。

きっと皆さんが
喜んでもらえるものが
これから目白押しなので
どうぞ楽しみにしていてくださいね^^


そして。

皆さん、
お待たせしました☆


今月上旬より、
ファミマホワイトデープレゼンツとして、
全国のファミマにてハタタケルチョコレートの
販売が開始されます。


こちらは、
全国のファミマの6000店舗ある内の
600店舗にての限定発売なのですが、
皆さん、
気付きましたか?


アップされている
写真の中に
このホワイトデー商品が
映っているのが。

ファミマフェスタでの様子の写真の中に
一緒に映っているのですが、

これですね、
中には
ハタタケルの”チョコレートパッケージデザイン”と
オリジナルメッセージカードが
入っていまして、
全部で9種類あります。

後で、こちらも
インフォメーションのところに
アップしますが、
結構、かわいく仕上がっていると
思うんだよなぁ。

まぁ、ただですね、
ホワイトデー用だったりしますが(笑)

でも、
女性がもらう側で考えて
僕の方で作っていますので、
女性の方が買ってくれても
全然オッケー。

こちらはかなりレアなので、
興味のある方で
しかも
運良く見つけられた方は
即ゲットして上げて下さい。
(ちなみに僕もどこの店舗で売られるのか、知りません 笑)

将来、
お宝になるかも。

なんてねー。笑




またですね、

こちらも後でhpにて
アップしますが。

皆さん、お待たせしました☆


今月下旬より来月の終わりぐらいから、
全国の有名ドラッグストアにて

ハタタケルの赤ちゃん用綿棒の
販売が開始されます。


各地方や、
東京はまだ始まっていないのですが、
現在、
北九州、大阪の各主流ドラッグストアにて
ハタタケルの綿棒の取り扱いが始まっています。

この綿棒はですね、
サンプルの時点で皆さんにかなり好評でした。

実はですね、
この綿棒のお話を頂いたときに
僕は、
普段、綿棒を使ったことが
無いことに気がつきました。笑
(幼少の頃はあるけれど)

女性の方は
よく綿棒を使われるらしいですけれど、

綿棒のカタログを見させてもらった所、
驚きました。

今、主流の綿棒は
無機質なものだらけなんですね。

まぁ、
こういうものは
低コストで、
かつ、
量産するものが
主流なのかも
しれませんが

それでも
心ないように感じたことに
ちょっと悲しく思いました。

そうやって
そんなことを踏まえて
できたのが、
この綿棒でした。


この綿棒、
見てもらうと
わかると思うのですが、
一本一本に
心を込めて創っています。


そういうところをみても、
今までの綿棒とは
ずいぶん違うことが
わかると
思いますが、

これは
きっと皆が
喜んでもらえるものになると
僕は
思っています。


こうやって、
心無い時代に、
心有るものが
大切にされることを

皆で創って行けたらいいですね。


この綿棒の取り扱いも、
東京や各地方都市でも、
おそらく
4月の始めにはできるようになります。


こちらも、
是非、見てみてください。

おそらく
全国の有名ドラッグストアには
置かれてゆくはずなので、
どこで販売しているのかは
ちゃんと決まり次第、
hpにて
載せますので、
こちらの方も
どうぞ楽しみにしていて下さいね^^



僕にとっても、
皆さんにとっても
この3月という時期は
昔からの
流れで新しい始まりと、終わりを
迎えてきた時期だと
思います。

どうか良い4月を
迎えられるように、

また一つ一つ
一緒に頑張ってゆきましょうね。



そして、
いつも支えてくれる皆さん。
応援してくれている皆さん。
たくさんの
言葉や想いをくれる皆さん。

本当に、
ありがとう。


皆さんのそんな声に
どれほど救われているか、
言葉では現すことができませんが、

皆さんがいてくれて、
そして、
皆さんが僕にくれる言葉があって
僕が
頑張れているように
思います。


またみなさんと
これからも一緒に笑ってゆけますように。

僕も、
たくさんの人が喜んでもらえるように
精一杯頑張りますので、

また皆さん。

これからもどうかよろしくお願いします。


それでは、皆さん。

今月はこの辺りで。



皆さん、
いつも本当に。

どうもありがとう。















































とある列に並んでいるとき。

目の前で
お母さんの胸に抱かれて
寝ている子供を

僕は、見つけた。



その子供の寝顔は
とても幸せそうで、

かぶっているりんごの形のニット帽が
もっとその愛しさを感じさせた。


人が生きるこの世界には
たくさんの
想いがあり、

希望があり、

そして。

幸せが在る。



そう感じたとき、
この子の寝顔の中に
僕は、

僕がこれからを生きる夢を
見つけられた。

そんな気がした。


今を生きる、
全てのものが

想いを抱く。

幸せが
人を思う気持ちを変えてくれるように

その人の想いが
人を幸せにもするものだとするならば、

人の生きる気持ちは
人の笑顔の中に見出せる想いのことを
いうのだろう。


まだ見ぬ明日を描き、
そして
共に描ける夢を、

僕は創ろう。


まだ見ぬ世界を見つめ、
そして
共に笑える未来を、

僕は築こう。


この子が目を覚ましたとき、
世界の温かさが
その心を包んでくれるように。

そして、
最後に。

生まれてこれてよかった。

生んでくれて、よかった。

そう、
大切な人たちに
伝えられる想いを

その、
この子達の
小さな小さな胸に中に


そっと、

咲かせてゆけるように。
(2005.02.28)
もどる
バックナンバーリスト
HOME
build by HL-imgdiary Ver.1.25