2005年07月の日記

「全ては、巡りゆく命のために。」





あぁーー。


気付くと、この一ヶ月。

あっという間に7月も過ぎ、
もう8月は明日に迫っていますね。

早かったなぁ...
いや、実にはやかった。

あまりにもその流れが早すぎて
ついこの数週間のことなのにも関わらず、
その全てが遠い昔のことのように
思えてしまう今日この頃。

そんな日々を感じてみると
とても不思議な感じがしますねー。

なんだか逆に
7月が無かったような気さえする僕は
おかしいのでしょうか。

暑さにやられたのかな。笑



皆さん、
こんにちは。

暑さに負けずに、頑張っていますか?
癒し人 ハタタケルです。
今月もお決まりの月記がやってきましたよー。

「7月がなかった」
なーんていっている僕が、
この月記を書くにあたり、

このままではまずいっ
ということで、
「今月は何をやったんだっけなー」と
ぺらぺらとスケジュールを振り返ってみたんですね。

そうすると、やはり
目を張るように
「え、これ今月やったんだっけ?」と、

もう自分の中だと遥か昔のことのように
置いてきていたことばかり。

そんなことを感じると、
益々
僕自身、どんどん年を重ねるにつれて
生き方がとてもシンプルに
なってきているような気がします。

それはですね、
ものすごく単純なこと。

まずは今日やるべきことを
ゆっくりとでも着実に確実にこなしてゆき、
終わったものは頭からなくし、

そして、また
これからを見据えて

また、次の日を
一つ一つを乗り越えてゆく。


複雑に書いているように見えますけれど、
簡単にいうと、

「今を生きて、過去は流す」

なーんていう至ってシンプルな生き方を
自分の中で
創っているような気がします。

それは
ものすごく僕は自然な作用だと
想っているのですよ。

ある意味、
人が排泄をして新しいものを
栄養として摂取するように、
日々の中での
受けたものを
心も体も
しっかりとした循環をそこで促す。

それが未消化のままではなく
うまく消化し、回るからこそ、
人は健康で常に
成長してゆけるのだと
僕は想うのです。


...が。


ところがどっこい。


困ったことに
あまりにもそれが強すぎると
違った形で影響が出てくるときが
あるんですね。

例えば、
よく
地元の同級生とかと
話をしていると、
自分がいかに過去のことを覚えていないのかが
明白になります。

いわく、

「憶えていないのではなく、忘れすぎ」

ということらしい。笑

小学校のことはおろか
数週間前のことさえ覚えていない(自慢ではないのです)
この僕から見ると、
「え?なんでそんなこと憶えているの?」
ということを皆はっきりと覚えているのが
逆に驚きで。

最近は、
「昨日何をやっていたの?」と聞かれると
その昨日のことすらもホントに思い出せず、
「はて?俺は何をやっていたんだろう?」と
頭に?がいくつかつく次第。

皆さんに「ありえなーい」と笑われつつ、
ちょっぴり面白い具合の記憶喪失を味わっています。

かといって、
それが自分の中では
いけないことと捕らえていない分、
「ま、いっか。」と
たいした問題にもしていない
そんな自分がまた自分らしいなと
想ったりしますが...。笑

頭には残らなくても
自分に必要なものは
心に残ってゆく、
自然に自分の血肉になっている


この体のどこかで知っている分、

自然に今、目の前にあることを
大切にしてゆく姿勢が
大切なんじゃないかなぁ。

と、そんな風に
自分を感じては

また
今年の夏を歩こうとしています。

あ、勘違いされませんように。
過去があってこその自分があることを
知っているので、
過去は過去で大切にしてるんですよー。

...いいわけですかね?笑






さてさて、
そんな今月の月記なのですが、

せっかくなので。

そんな物忘れの激しい僕でさえも
決して何一つ忘れることがなかった

今月得ることができた
素敵な体験を
皆さんにおすそ分けしちゃいたいと
想います。



ちょっと今月はいつもとはまた違い、
思い出話が中心になってしまうかもしれませんが... 


まぁ、ご覧下さい。

想いが強すぎて、うまくまとめられなかったら
ごめんなさい。笑








先日ですね、
とある機会がありまして、
屋久島に行ってきました。

なぜ屋久島か。

屋久島なのか。



それは、
とても単純だったんです。

直感的に
ただ、「屋久島にいきたい」

そう想ったからでした。

いや、それは
ちょっと意味合いとしては弱いかもしれない。

今の僕には、
その必要があった。

逆に言えば、
「屋久島でなければいけない。」

なのか。



ちょっとそれは
強制的な感じもしますけれど、
言い換えれば、
そのくらい素直に
自分の心に従うことを
大切にした結果でした。

でも、この
直感的な行動は
僕にとってとても
大切な行動です。

結構、
これはばかにできなく
僕自身、
この心の直感で動くことが
今までと今の自分を創っているといっても
過言ではなかったりします。


もちろん、
誰かを連れてゆくのではなく、
一人旅。

自分が屋久島にこの時に
行くことは、
なぜだか自分のこれからの人生の中では
必要な気がしていました。



屋久島は
今までどんなところかすら
僕はわかっていませんでした。


いうなれば、
コケが沢山生えていて、
樹齢ウン千年という縄文杉があって、
もののけ姫の舞台になったところ。

...ぐらいです。


それはまさに
ハタタケルの中の想像性だけがものをいう
未知の世界でした。



もしも敢えてもう少し、
というならば、

屋久島に行きたいと
想った理由がもう一つありました。


それは、
そこにたくさんの「樹」がある
ということでした。

せわしい都会の喧騒を
時には忘れ、
たくさんの自然にまた触れたい。

心を浄化し、
気持ちも心も洗いたい。


ある意味、それは
汗まみれの体をシャワーで洗い流したい、
なんていう
気持ちと
よく似ているかもしれません。

それを
僕は心で感じていました。

今想うと、
自分の忘れそうになっていた
原点を
もう一度、
還って見ようという
気持ちでも、
あったのかもしれません。


そして、
それを
「原点」として描いたときに
僕にとってそれを
ぱっとイメージしたのは
樹々と「触れ合う」という姿でした。





僕は長野県で生まれ、
長野で育ち
野山に囲まれて生きて来た分、

それは
僕にとって自然があることが
当たり前の世界でもあることでした。

ちょっと裏を歩けば、
沢が流れていて
木々が生えていて、
森に入れば
たくさんの(僕から見た)宝物が
沢山落ちているものです。


そして、
東京に出てきて、
たくさんの人に会いましたが、
ある時期。

今思い出してみると
不思議なことなのですが、
重なって
何人かに
同じ事を言われたんです。


「ハタサンは屋久島には一度、行った方がいい。」


その言葉は
なぜか僕の心の中で
ちっちゃくくすぶっていました。

なぜ、今でも
皆さんがここを僕に言ったのかが
わからないのです。

八丈島でもなければ、
沖縄でもない。
佐渡でもない。
(島で言うならば)

確かに
皆さんからそれぞれ話を聞く事が
あったけれど、

「ハタサンは行った方がいい」

名指しで(笑)言われたことがあるのは、
屋久島に行ったことがある人達だけでした。


これも縁なのでしょうか。

もしかしたら
そんな皆さんの言葉は
僕がこのとき行く事を決めるための
指針になっていたのかもしれません。



そんなこんなで
まず、
屋久島に行ったとき、
ふとすぐに僕が気が付いたことがありました。

それは、

この島にはいって一、二時間もすると、
自然に笑顔と一緒に
通りかかる人への「こんにちは」が出ていました。


それには
本当にびっくりでした。

なにがびっくりかというと、

「こんにちは」といえなかった自分に
ではなく、

「こんにちは」といえていなかった自分に
”気付いてしまった”、

ということが、

だったのです。


なぜ、気軽にこんにちは、と
今までいえなかったのか。

いや、
自分ではまったく
変わっていなかったように想っていた。


僕は会う人会う人に
今まで気軽にこんにちはを
言ってきたつもりだし、

心も交わしてきました。


でも、
いつの間にか
心を許すという作業に関しては
どこかで自分を張っている
ことがありました。

それは当然といわれれば
当然なのかもしれません。

たくさんの人がいる分、
誰かと接するということは
無防備で誰かと接することとは
違ったりしますよね。


人の話を聞く、ということは
ある意味、
しっかりと気と自分を張っていないと
できないことでもありますし、
そうせざるをえない
風潮も世の中にはあります。

しかし、そんな自分に対して、
自分の中では
それを気付いていたようで、
全く気が付いていなかった。

それが無意識だった分、
尚更、
誰かと接することに
そんな自分がいたんだと気付いたとき、
ずががーんと
ショックを受けました。(素です)

でも、
そのショックは僕にとってとても
いい意味での気付きの感覚でした。



でも、
屋久島に行ったとき、
更に
僕が驚いたのは、

出逢った人がちゃんと
目が合っただけでも、
お辞儀をする

ことでした。


もちろん、
全ての人とは限りません。

皆が皆、
人見知りをしないかというと
そんなことはないし、
それはきっとどこにいっても
人間、色々な人がいることでしょう。


でも、
僕はこの島の人と触れて
何かが違うと想いました。

それは
素直さでもあり、
優しさでもあり。

何かしらの人としての心に触れる
そんな心を皆
持っていたということでした。

もちろん、
それを感じられたのは、
自分自身の心が開放されていたから
というのもあるのかも
しれませんが、

自然と共に生きている
この人々はすごく

生き生きしている顔をしているように思えた。

それは
僕にとって
自分の心を張り詰める必要が無い
純粋な想いを創ってもくれました。







そんな屋久島には
僕は三つ
目的をもっていきました。


一つが
山に触れ、木々と一緒に
語り合う時間を持つこと。

二つ目が
海に触れ、その中に身を
委ねる時間をもつこと。

3つ目が
屋久島に生きる者達の
命、心に触れて、
自分を見つめること。


なんだか難しいように見えますが、
簡単に言うと
海にいって、山にいって
そして、
現地に生きる者達に
会ってくるということ

ただそれだけ
なんですけれどね。笑




屋久島に行ったとき、
一番初めに気が付いたことが
ありました。

それは
屋久島は、長野に良く似ている
ということでした。

もちろん、
山の中に入れば、全く違います。
樹の種類も違えば、
生息している生物も気候も違う。

でも、
その概観を見る
山なりの風景は、まるで長野の山
そのもの。

そこに海がくっついた感じでした。

何が素晴らしいというと
このバランス感が
素晴らしいのです。

ある意味、
ここには世界の自然の全てが凝縮されているようにも
思えます。

それが、
僕にとってこの島を語る一番の
魅力が詰まっているように思えるんです。

それだけで
僕が自分を解放するには
十分な理由になれました。



そんな中で
屋久島にいって
初日は、海に触れ、
(長くなりそうなので海の話は省きます。)

次の日には
屋久島の大本命と言えるべき、
屋久島の森の中に入ることにしました。



この場所はガイドさんを連れて
行く事にしたのです。

始めはですね、
自分一人で行こうと想ったのです。

そっちの方が自由だし、
また、
自分の世界にも浸れることができるし。

でも、
初日に海に触れたとき。
このときもガイドさんがいたのですが、
一人では見る視点と、
それを熟知し、
知っている人の視点に触れ、
吸収することでは
全然、
その時間で得たことの意味や
見え方が全く違うということを

僕はそこで知ってしまったのです。


それは
考えてみれば、
ある意味、
どんなことも同じなんですね。


人は
ただ生きている中でも
自然と色々なことを学びます。

生きていること、
そのものが勉強そのものなのですが、
そこには
ただ単に見ているだけでは
絶対にわからないものや
気付けないものがたくさんあります。

本を見ることや
映画を見ること。
洗練された芝居を見ること
択一された作品に触れること。

それは
一生を得て知った学びや
価値観を見て、
そして、
触れることが出来る
その全てが

そこにはある。


それに触れられるということは
なんて幸せなことなのかっ。



それは
僕が一生かけても
もしかしたら
見つけられないかもしれないことが
誰かが見つけた想いや価値観を通して
たったその一冊の本や
映画に詰まっているのですから。


それがあるのとないのとでは
人生における意味合いや楽しみ方が
違ってくるのではないかと

僕は想うのです。




話がそれましたが、
その中で
屋久島の白谷雲水郷という
場所に向かったのです。


この場所は
名前の通り、
雲と水が多い場所です。

雲といわれると
雲の上の世界のように見えますが、
それは
言い換えると
霧が多く発生する場所でした。

この場所は
まさにもののけ姫が生まれた世界
そのものだったのですが、
この霧が実は
日本有数のコケの産地を
創っているということでした。


コケは
一見何も役に立っていないように見えても、
実はそこには
色々な役目があるそうです。

水分を吸収し、
水を蓄え、
地すべりを抑え
そして、
そこに新しい種が育つ。
ある意味、
それが育つベットや毛布の役目もする。


そんなコケがいたるところに生え、
そして、
そのコケの上に
新しい芽が誕生しているのがよくわかります。



そして、
そのコケが覆い、創っている世界が
この樹齢何千年という木々で覆われた
白谷雲水郷という森でした。


この森に入って
すぐにわかることがあります。

それは、
そこには、
生きるもの全ての叡智があるということです。

それは、
一言で言うなれば、

「破壊と再生。」


一見、言葉だけ見るととても
荒々しい感じがしますけれど、
でも、
ホントにその通りなのです。

自然は一見、
とてもおとなしそうに見えますが、
その自然の環境は知れば知るほど、
実はものすごく
生存競争が繰り広げられている。

ある意味、
本能が剥き出しになっている修羅場の世界が
そこには広がっていました。

そして、
ガイドさんが至る所を
指さして
こんなことを言いました。

「木々は、全て折れて土に変わるんです。
そして、その折れた大木は
次世代の樹を育てる為の土台に変わっているんですよ。」


見ると、
いたるところで
樹がたくさん折れては
また
その折れた樹の「上」に、
たくさんの樹の芽が生えている姿が
目に付きます。


中には樹齢何千年という樹が折れて、
またその折れて残った木の上に
新しい樹が生えているものも
あります。


それを見たとき、
命が織り成す驚異的な生命力の強さと
そして、
自然で生きる過酷さを

目の当たりにしたような
そんな強い気持ちに捕らわれました。





普段生きている中では
あまり気が付かないことです。

それは
様々な犠牲の上に
僕達が立っている
ということ。

それは
言い換えれば、

日本に生きている僕たちが
いかに恵まれた生活をしていて

そして、
いかに平和ということの意味を知って”いないか”に

気付かされることでもあります。


そのガイドさんが言いました。

「これだけのたくさんの樹の芽が生えていても、
実はこれがホントに一本の大木として育つのは
ごくわずかです。

その全ては大体、折れたり、栄養がうまく
摂取できずに枯れてしまったり
そうしたものは、また時代を担う芽のために
土になってゆくんです。」


僕はそれを聞いたとき、
この目の前に立つ
樹齢何千年の樹の歴史の壮絶さを
感じました。


屋久島に行くと
当たり前のように
樹齢何千年という樹が
どどどんーと
至る所に立っています。

あまりにも
多すぎてそれが
当たり前になってしまいそうな感じも
してしまうのですが、
その全ては
ものすごいたくさんの境地を潜り抜けて
今に至っているというのです。

一昔、
この地は伐採地として
有名だったそうですが、
そういった中で難を逃れた大木だけが
今に残っている。
(中には途中で切られかかって
 残っていたものもありました。)

また、
台風や過酷な自然の中でも
折れずに生き残こった。


そういった一つ一つのことを考えると

それは
そこにその樹がただ「残っただけ」でも
ものすごい意味を見せてくれていた。

それは
そこに在ることに
ものすごく大きな意味合いを
僕達に投げかけてくれていたのです。

その言葉には僕は
びっくりさせられました。



もともと、
僕自身、子供の頃から木々に接する機会は
たくさんありました。

しかし、僕は
今の今まで
このように樹を見たことが
一度たりともなかったのです。

何よりも、
そのような樹齢何千年という樹に
触れたことがなかったのもありますが、

ただ、
木々に触れることは
当たり前のように目の前に樹が立っていて、
その中で
当たり前のように樹と触れ合っていた。

それが
僕にとっては
当たり前のことでしかなかったのです。


でも、
それが裏では
傍目には決して見せない
過酷な条件と運命を経て残ったものが
「樹」としての存在であると
知ったとき、

僕にとって樹は
ますます大切な存在に
変わりました。

そして、
樹の歴史であり、
本当の姿であることを知ったとき、

僕はこんな樹の姿のように
なりたいと

そんな謙譲するような想いで
目の前の
神木に触れることを
大切にするようになりました。


樹は、
言葉を放ちません。
また、
そうやって大きくなってきたことの
裏にはどれだけの
苦労があったのか、
それを語ることもありません。
しかし、
樹はこうやって、その姿を
堂々と見せてくれることで、
存在することの意味を教えてくれたように想うのです。

ただ
黙々と大きくなることは
誰かを傷つけることとは違います。
ゆっくりとでも、
少しずつ、
今与えられたことを乗り越えて、
そして、
大きくなれたからこそ、
樹はいつか風や雨に
耐えるだけの体をもつことができた。
根を張ることが出来た。

でも、それは
次代を育み、
守るために
その体を大きくしてきたことであったことでも
あった。

僕はそれが
語らないでいてくれたからこそ、
その姿で見せてくれた強さと
優しさがいたたまれなく想え、

そして、

生命の本来あるべき姿というものを
表してくれるような
そんな想いを等身大で伝えてくれたような

そんな気がしたのです。

それは
人が生きるということも皆、
同じなんだよと

語りかけてくれたようでもありました。




僕は次の日、
そのような学びを得た上で、
今度は一人、
太忠岳という山に
登りに行きました。

この山の上には
一枚岩のものすごく大きい岩が
どーんと
立っていて
そこは地元の人たちにとっての
信仰の場所になっているというのです。

ちょうど、屋久杉ランドという
行きたかった森も通れるし、
そのまま登っていっちゃえ
往復で6時間ってすぐじゃん。

なーんて
思いで向かったとき、
僕は入り口に立ったとき気付きました。

あ、
食べ物、買ってない。

ポケットを見ると、
昨日お菓子ということで買った
一箱のチョコボール(笑)と小さな袋に入った飴。

まー大丈夫だろと想ったことが
甘かった。

行って見ると
なんじゃこりゃという
果てしなく続く獣道の急斜面。

登っていても
誰一人として、人に会わない。

そして、行けども行けども
そこは先の見えない登り道。

さすがの自分も
途中で少し後悔をしました。笑


が、

それでも
ここまで来たからには絶対登らいでかっ。

ということで、
決意を新たにもくもくと
山ろくを登っていきました。

と、そんな中。






ふと、

一本。



その途中、
目の前に立っている屋久杉と

僕は森の中で会いました。







登ってきたときも
今日までも、
たくさん屋久杉は見かけてきたけれど、
なぜかわからない。


僕はこの樹が
妙にものすごく
気になりました。



そして、なぜだか
その樹の近くまで行って

手を触れてみたくなったのです。


そして、その幹に手を触れて
額を樹につけた瞬間。



わからないのです。


なぜだかは、
わからないんです。


ただ、
急に

涙がでました。


正直、普段、
言葉を形にすることを
生業としている僕ですけれども

この想いを今、
言葉にしようとしても
言葉がみつからないのです。


なんていうのだろう。

胸の底からこみ上げる想いというか、
心をぐぐぐっとワシヅカミにされたというか。

急に胸が熱くなり、
胸から涙がこぼれたような

そんな不思議な感覚に襲われたのです。

今まで
こんなことはなかった。


たくさんの樹に触れてみても、
温かいぬくもりを感じることはあっても、

樹に触れて、涙が出たことなんて
経験がなかった。


それが
僕には不思議でなりませんでした。



この樹は僕に
何を語りかけているんだろう。


ただ、
僕が敏感になりすぎているのか。

もしくは
ただ、そう想いたいだけなのか。



それはわからないけれど、
ただ、一つだけはっきりと
いえることは、

これが
僕にとっての屋久島での
忘れられない出会いに変わった、

ということ、なのです。




今でも、
目を閉じると
はっきりと事細かに
その情景と場所が見えます。


まるで今でもそこに
自身が立っているようで、
手を伸ばせば、
すぐにも触れられるようなキョリで...。


それは
僕の中でその場所がいかに大きい場所だったのかを
表しているようでもあって、

なぜかわからないけれど、
それは
これからの僕を支えてくれるような

そんな気がするのです。








それから更に登ること
2時間。
やっと頂上にたどり着くと
ものすごく大きい一枚岩が眼下に
現れました。


はい、
これは間違いなく

絶句です。笑


あまりの大きさに思わず

「すぅげーーーーー」と
口に出して目を輝かせながら
言葉をこぼしました。



多分、
近くで誰かが見ていたら
どこかの小学生の純情な子供にも
見えたはず。(心は 笑)


登ってきた道のりが
険しく大変だった分、
尚更この岩が神々しく見えたのも
あるのでしょうが、
僕にとっては
この天柱石はかなり迫力のあるものでした。


だってさ、
想像を絶する高さ数十メートルのたった一枚岩が
天に向かって生えているんだよ?

これは想っていた以上の驚きです。


ちょっと腰が引けそうになったのも
束の間、

これは描かねば!

と想いに駆られ、

急いで袋から色紙とペン、
そして
色鉛筆を取り出しました。


実は、
僕はこれを実際に自分の肌身で触れて、
そして、
自分の目と手、
その感覚で絵に残したいという想いで
リュックに一枚の色紙と
画材道具をもってきていたのです。

写真ではなく。
(写真も撮ったけれどね 笑)




それからというもの、
30分、
夢中で描きつづけました。

何もしゃべらず(といっても誰もいない)

鳥達がさえずっていても
(この地は野鳥の会にはたまらないぐらいの鳥が生息しているそうです。)

ヤクシカが通っても
(ヤクシカという天然の鹿が屋久島にはたくさん生息していて見ることができます。
 かなり近くに行っても、人間を知らないシカもいて何気に無視されます 笑)

途中雨が降ったりしても、(屋久島は天候がすぐに変わることが有名。)


全く、構いません。

そういった中で
僕は、この天柱石を見上げて
なけなしのチョコボールを食べました。

不思議だよね。
同じチョコボールでも
ここで食べるのは格別なんだもの(笑)


そして、
この天柱石の下には
実は小さなほこらがあるということを
聞いていたので、
それを探しに行きました。
せっかくここに訪れたので、
この地を守るといわれる神様に
お参りに行きたかったのです。


実は、
これを見つけることは
結構困難だそうなのです。

が、
そこを巡り巡って見つけると

そこには様々なお酒や
見ると、昔のお金も置いてありました。


一体どれだけの人が
ここに訪れたんだろう。

どれだけの人がここで
何を想ったんだろう。

ある意味、
見つけづらいこのほこらは
何かに守られているようで、

また、
ここにほこらを置いた
その昔の誰かは
何を想ったのだろう。

様々な想いが胸の中で錯綜しました。

でも、
何よりも、
僕はこの場所にこれたことを
とても誇りに思えました。







そして、お参りをし、

それから
また下に下りること更に4時間(笑)
もう時間を見ても
6時近くなのに一向に
空が暗くならないのはこの島の不思議です。(時期もありますが)

最後の方に
通りかかった最後の道の近くに
大きな沢が流れていました。

この島の山の水は全て天然で
飲めるのですが、

突然
何を想ったのか
僕はこの沢に流されたいと
いう想いに駆られました。
(良い子の皆さんは一人では危険ですので、やめましょう。笑)



しかし、周りには誰もいない。
さすがにこの時間になると
山に入ろうと想うばか者はいないのでしょう。

絶好のチャンスっと想った僕は
そんなこともあるかと
僕は用意していた短パンを履き
構わず
水の中に入りました。


水はかなり冷たい。

空からは
ぽつりぽつりと
雨が降りつづく。

水は轟々と
音を立てて流れている。


けれど。


僕はその全てにとても優しさを感じました。








自然に還るということ。

自然に触れ、
そして、
自然と共に生きる
ということ。


人間が本来あるべき
そのものの姿に戻るということは

普段、
頭でわかるものであっても
体では感じられないものだったのです。

それは意味を知らないのとは違う。

それは
体験したことがなければ
知る由もないだけのことだったのです。


直に自分が「自然」という中に
溶け込んで
一部になった時、

自分が口に出して言っていたことが
初めて
はまったような、
形ができたような。


そんな思いを
実感しました。







そして、
僕はこの屋久島に行ったことで
もう一つ大きな経験をしました。

それが、
「海がめ」との出会いでした。



実はですね、
とある現地の人とのこれも縁だったのですが、
その方のツテでなんと
偶然、海がめの産卵を見に行けることになったのです。


海がめは夜、
浜辺に上がり
そして
産卵をします。


でも、海がめの産卵をみれるのは
ホントにごくわずかな時期で、
かつ、
タイミングが合わないと見ることが
出来ないという
偶然が重なって
出会いが訪れるものです。

そして、
僕がその人に連れられて、
浜辺に行ったとき、

本当に偶然なことに。

ナント
目の前の海岸から海がめが上がってきたのですっ。
(ホントです。)


これには
驚きました。

そして、
その目の前で海がめは
穴を掘り始めました。

海がめを初めて目の前にした時
またまた
これも
僕が今まで感じたことの無いような
感覚にぶち当たりました。


海がめは、
体重が200キロもある甲羅を
背負って、
生きています。

それは
外敵から身を守るためにはものすごく
有効な手段であるのですが、
この動物が
陸に上がるには
ものすごい力が必要になるというのです。

考えてみれば、
それはそのとおりで、
海の中は浮力が働く分、
無重力に近い状態ですが、
陸地に上がった瞬間、
その重力を体一身に受けるわけです。

言い方を変えると、
僕達が普段生きているこの環境に
いきなり
200倍の重力がかかるようなものです。

ちょっと大げさなのかもしれませんが、
そこで、
さらに産卵をする。

これは
人間と同じ、
陣痛を経て、そして、
苦しい想いをして子供を産むことと
同じだそうです。

そんな状況下の中、
海がめがどのくらいの覚悟で
陸に上がってきて
産卵をするのか。

それは想像すら出来ません。

もしかしたら
皆さん、テレビで見たこともあるかもしれませんが、
海がめは産卵をするとき、
本当に涙を流します。

始めは
海でぬれたものが乾いていないのかなと
想ったのです。


でも、
そうじゃない。


実際に
目の前で涙を流している姿を
みた時、
僕は鈍器で頭を殴られたような
感覚になりました。

明かり一つ無い地上に入る分、
星空が降るように満天に輝き、
後ろには波が音を立てている。

そして、
ホント目の前には
海がめが涙を流しながら
産卵をしている。


人生でこんな経験が
あるのだろうか。

こんな世界が
この世界にはあるのだろうか。

でも、
疑うこともできません。

この
目の前で確かに
海がめはいて、
そして、

そっと涙を流しているのです。


僕はその場で
そっと海がめと同じように
横になって、

そして、
海がめをずっと
見つめていました。



命が巡る意味。

地球が育む命。


命一つが生きることには
ものすごい
力が必要です。

そして、
その何百倍もの犠牲。

それはどの世界も同じです。
海も、
山も、
森も、
動物達も。

そんなバランスの中、
この世界は成り立っている。

そして、

そんな中で
僕は生きている。

僕達は生きている。






この海がめとの出逢いは

僕の27年間生きてきた人生の
全てを覆されました。

もちろん、
これを出会わせてくれた屋久島の
温かい人がいてくれてこそ、
僕は
ここに巡ることができた。

そういったことを
全て踏まえて、
僕は改めて
全てに感謝しました。



僕は、
なぜ自分が今を生きているのか。

それを
もう一度、
この島に来ることで
思い出させてくれました。








今を生きるもの
全てにはそのものがもつ「役割」がある。

ということ。


次代を担うという
その育みが、生きるという中に
全て含まれている。


ということ。


それは
全てとても
自然な命の営みだったのです。




一時間、
海がめは
産卵を終えると

またその穴を砂で丁寧に覆い、

そして、
波打つ海に帰ってゆきました。



「出逢ってくれてありがとう。」



そう
亀が波打ち際に入る間際まで
つぶやいていた自分が


その最後の最後まで見守っていた自分が



亀が海に消えて、
はっと我に返ると。


なんだか
狐に包まれていたようで。

亀が見えなくなった海をみて、

なぜだか
そっと。

また涙が
こぼれました。


























今ここで
話をしたことは
なかなか言葉では全て説明できないことばかりです。

むしろ僕が
今ここで語ったことは
ほんのごくごく一部にしかすぎないもので、


僕が実際にこの身で受けてきたこと
感じてきたこと、
今の自分に根付いていることは

この何十倍も何百倍もあります。



ホントに
語ろうと想ったら
時間がいくつあっても、
月記がいつまでたっても終わりませんし、

勢いで
屋久島トークショーを終わることなく
間違って開いちゃいたいぐらいです。笑


でも、
それは確実に僕に人生にとっての
大きなこれからの意味合いになりました。




旅ということに
触れた時、
考えることがあります。

よく人生は旅に
例えられます。

そして、
旅をすることは、
人生の意味を知ることと
いう方もいます。


僕にとって
旅というものを言葉で表した時、
うまく形には出来ないような気もしますが、

僕は旅をするということが
人間にも、
人生にも、

誰もが
必要なものだと

そんな気がします。



それは、
旅をするということが、
形ではなく、

その心で、
想いで、
肌身で
感じ得てゆくものだからです。

それは
人生を創ります。
自分を創ります。



そして、
それを紡ぐのは

他でもない、

生きているからこそできる
全てのものとの

「出逢い」だからこそ、

できることなのだと、

僕は想うのです。


それはいうなれば、
おおげさかもしれませんが、
様々な「奇跡」に出会うことが
出逢いであると

僕は感じるのです。




今の僕は
たくさんの出逢いがあってこその
僕があり、
その全て何一つかけても、
きっと今の僕にはなっていなかったと
断言できます。




それは、
出逢いが人を成長させてくれ、
そして、
出逢いが自分の居場所や意味を
教えてくれることでもあるからです。






どうか皆さん、
素敵な出会いをしてください。

出会いを期待していくのではなく、
そのあるべき地そのもので
向かった先で、
結ばれてゆくもの。

それは
言い方を変えると、
あなたがどこかに出かけようとした時点で、
何かをしようと一歩踏み出した時点で

全ては必ず
自分にとって
至るべき所へ
必要な人へ
ちゃんと繋がっていくような

そんな気がします。

それが
振り返ったとき
「出逢い」という言葉で
繋がれるような
気がするのです。







今ここにはたくさんの
人がいて、たくさんの命が育まれています。

それを知る人は
きっと。

また違った角度での
人生の意味がわかるのかも、
しれません。

それは、
人は誰だって
誰かと共に生きてこそ、
存在する意味を
もらっているのですから。


そう、
今、ここでこの文を
見てくれている

あなたにも。


きっと、

きっと。



































さぁ、
今月は語るに長く落ちていました。
ごめんなさい、
皆さん、よくここまで読んでくれましたねー。

またこの想いに触れたことで
皆さんの何かしらの日々の
一歩を生むきっかけに変わってもらえたら
嬉しいです。

どうぞ皆さん、
素敵な旅をしてくださいね。


でもでも、

個人的には
やっぱり。

屋久島は外せませんねー。笑

今度、
屋久島の世界も本とかで描いてみたいですねー。

















さてさて、
今月はですね、
ホントに色々とありました。

皆さん、見ていただいていると想いますが、

丁度、7月27日付けで
新しい本が発売されました。

これはインフォにも
書いてくれているのですが、
「ほら、幸せはいつも今、ここにあるよ。」
に続く、
ファミリーマート限定の本の第二段目の本になります。

前回は、
人生として生きる「幸せ」について
形にしたものでして、

今回は
それをまた違った形で
形にしてみました。

この本、
一見、恋愛の本に見えるんですが、
実は、

ベースは恋愛でも
僕はその内容は
恋愛に限らず、
生きること全てにおいても当てはまるように、
綴りました。




生きていることは
どんなことにも通づることが
たくさんあるのですが、
この本で大切にして欲しいなと想うものは、

「誰かがそばにいてくれる」
という

本来の意味です。



さっきの月記にもありますが、
人が生きるということには
たくさんの要素が重なり重なって
できています。

それは、
ある意味、人との出逢いも同じで、
それはたくさんの「別れ」という中で
成り立っていることが

今の自分でもあると
想うのです。


何かしらの形でもそうですが、
生きる中には
別れが訪れることは
たくさんあります。

また、別れなければ
いけないことも中にはあるかもしれません。


でも、
そういった全ては
今の自分を持つためには
必要なことだったと気付くことも、
気付こうと出来ないことも
やっぱりあります。

だからといって、
この本を見たから、
今ある現状に固執して
「別れてはいけない」
ということではなくてですね、


僕が
この本を通して
伝えたいことは、

この今を一生懸命生きてほしい

ということなのです。




人間は生きている限り、
うまくいかないこともありますし、

どうしても
流れには逆らえなくなってしまう時も
たくさんあります。


でも、
その全て、この今を一生懸命生きて
物事が起こるとするならば、

それは必ず
「ありがとう」に
かわると僕は想うのです。

それが
人に必要な前進なような気がします。


普段は
ちょっと、
素直になれない心をそっと温めてくれる。


あなたにとって、
そんな
さりげない優しさのある
あたたかい本に変わってくれたら

僕としては嬉しいです。



ところで皆さん、
中のおまけは気に入ってくれましたか?笑









ちなみに、
皆さん、申し訳ないのですが、
皆さんから色々とお問い合わせを頂くのですが、
この前の本、

「ほら、幸せはいつも今、ここにあるよ。」

なのですが、
この本は在庫が全て
切れてしまっている状態でして...。

こちらは
現在の所、販売が出来ない状態なのです。

本当に申し訳ありません。

でもですね、
この本は、いずれ必ず
何かしらの形で再販される可能性の方が高いです。

全く同じということは
難しいかも知れませんが、
復刻版という形で届けられる日がくると
想います。

どうぞ皆さん、
こちらを楽しみにしててくださいね☆








また、
皆さんも知ってくださっていると
想いますが、
立川で丁度今、ハタタケルフェアを
行っています。

ここではですね、
僕の原画も出されているのですが、
それをB1ぐらいに引き伸ばしたパネル展を
展示中です。

オリオン書房には
「あなたはここに在るよ。いつだって。」の本と、
関東ではまだ販売されていない
僕の綿棒が置いてあったり、
ビジョンで僕自身がコメントをする
CMが流れていたりします。

この企画は
夏休み、ということもあり、
ちょっとした皆さんへのお届けものが
できればいいなぁという形で
始まりまったのですが、

一番に僕が大切にしたいと
想ったのは、

皆さんとのふれあいの時間でした。

8月6日はサイン会に
しようということだったのですが、

どうせならそれだけではなく、
僕としては、ここに来てくれるという皆さんに対して
何かしらの特別な想いをもらっていってもらいたいと
想いました。



そして、


ここで
「あなたはここに在るよ。いつだって。」
の内輪のお話をすることを
たとえ15分だけとしても
できたらどうか。

という提案をしたのです。




この本のトークショーは、
今まで無かったことですし、
6日は気軽に誰でも聞くことができますし、
(一般の方が皆、入ることができるラーメンスクエア内なので)


それならば、
せっかく遠くから来てくれた人も
いるはずなので、
僕からのちょっとした夏のプレゼントになってもらえればと
想っています。



ちなみに、
この本なのですが。


以前の月記にも語ったと想いますが、
この本は僕にとって
とても特別な本なのです。



これこそ、
まさにさっき書いていた自然を
見ることと同じなのですが、

ただ読むのと、
それを書いた書き手が
その内を話し、

それを知った視点で見ることとでは
全然、
見方が180度また変わって見えることと
想います。


それは
違った見方で本を見る楽しみが
また一つ増えるということ。

そして、
それは
僕が皆さんの心の中で一緒に
作り手としての立場で物を見れるようになる
ということ。



また人生を生きる中での
見え方がまた違ったものとしての
価値に気が付く、

ということ。


これは
何かを皆さんがこれからの人生を創ってゆく上で
新しいきっかけになるかもしれません。


なので
皆さん、もしも時間がある方は
お気軽にいらしてみてくださいね。

ちょっとしたトークショーなのですが、
多分、
この本に関してのトークショーはこれが
最後になると想いますので。


また、
なかなかこれから含めて
皆さんに
お会いできなくなってきてしまっている分、
何よりも、
皆さんにお会いできること、
僕自身、とても楽しみにしています☆











また8月も明日から始まりますね。


8月は丁度1日から

また僕の新しい企画が始まります。


これもちょっと実は大変な企画なのですが、笑

皆さんが喜んでもらえるのであればと想い、
お受けさせていただくことに
しました。


ここでは
書かないので
どうぞ皆さん、
明日からのインフォをまた
楽しみに見ていてくださいね。


(☆追加です☆
 皆さん、申し訳ないです。こちらの方は
 企業様の都合により、8月中旬から
 スタートすることになりました。 
 皆さん、申し訳ないのですが、
 インフォの更新の方を
 楽しみにしてお待ちくださいね☆)


また、
本を見て頂いている方には
もしかしたら
もうわかっているかと想いますが、
もう一つ新しい企画が今月中には
できます。


またこちらもしっかりと
出来次第、HPに更新されてゆきますので、
どうぞ皆さん、
こちらも楽しみにしててくださいね。


あ、今からメールを送って頂いても
大丈夫ですので 笑








またこれからが
夏本番ですね。


実はですねー、
僕は昔、
夏があまり好きじゃなかったんですよ。

こうみえても。


でも、
最近はとても夏が大好きなのです。


生命の躍動感が
夏にはありますよね。



この波に乗って
また力溢れる今を乗り越えてゆきましょうね☆





それでは、
皆さん。


今月はここまで。



いつも楽しみに見てくれている皆さん、


ここにいてくれる皆さん。



いつも本当に、


どうもありがとう。



またお会いできる日を
楽しみにしています。

























































































季節が巡る命のきらめきは
様々な輪廻を辿る。


あるものは
地に変わり、

また
あるものは
新しい生命を受けて

空へと伸びてゆく。



自然を育む心は
時として
とても厳しいのだけれど、


僕達はいつの日にか
知ることがある。


自然に守られている姿が

僕達の命に変わっているのだと。




今を生きるもの
全てが
何かを担う掛け橋になる。


あるときは
命を運び。

あるときは
喜びを伝え

そして、
あるときは
悲しみを糧にする。

その全ては
決して、
うまくいくことばかりとは
限らないけれど、

この全てはいつか必ず
命あるものを芽吹く花を
咲かせる時がくるのだ。




今を生きるあなたは

ただ
それだけで意味がある。

ただそれだけで
意味になる。

人生の意味を見つけるのは
生きている中で探すのではなく、

生きていることそのものが
意味になってゆくと
気が付けるとき、

全てはきっと回り始める。


あなたは
今、ここにいる。

そんなあなたが何よりも素晴らしい。

そう語りかけるように
今日もまた、

大木は一人静かに

この世界のどこかで




そっと

佇んでくれている。
(2005.07.31)
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