2005年09月の日記

秋風を,その御子の中で感じれば。






外を歩くと
すがすがしい空気がコロコロと流れ

空を見上げると
どこまでも高く空の海が広がっていく。

旅をする雲の群れが
なんだかとても気持ちよさそうに泳いでいて

たくさんの空気を胸に吸い込んでは

僕は
この世界の大きさと
この世界のすばらしさを
新しい季節の訪れと共に堪能する...





んーーー、
やっぱり秋は素敵だね。


とても過ごしやすい季節になりました。


皆さん、
いかがお過ごしですか?


またまた今月も
長く長い月記の時間がやってきましたねー。









月記を書くにあたって、
皆さんから、
「今月の月記も楽しみにしています。」
と何かあるごとにメールにその言葉を
つけて頂いていることが多くなりました。


これはこれは。

ふふふ。

結構、
嬉しいようで
何気に実はプレッシャーです。笑



そして、

なんだか僕よりも、
皆さんの方が
月末を感じる気持ちが強くなっているようでもあり、
僕自身がそれを聞くと、
「あ、もう月末か!」と
気付かされることが多くなっています。
(逆だったりしますよね 笑)


皆さん、
いつも本当にどうもありがとう。






先日、
賃貸の更新に行ってきたのですが、
気付けば今の我が家に引っ越してきてから
もう2年が経とうとしていました。



2年という月日だけをみると
それほど長い月日を感じないのですが、
一年一年、一ヶ月一ヶ月を追ってみると
結構長いものですねぇ。



「もう2年って早いわね〜。」


そういった大家さんの言葉が
ちょっぴり胸に余韻を残して、
月記を書いていたりして...



これからの秋をまた
楽しみながら今年も歩いてゆきたいですねぇ。
(しみじみ)





さて
今日は何について語ろうかなぁと
思っていたところ、



先日、
夜中にテレビを何気なくたまたま
つけたとき、
とある映画監督のインタビューをやっていたことを
思い出しました。


ロバート・ロドリゲス。


今、これからの話題をよんでいる
「シン・シティ」の映画監督の方ですね。



それは
彼が現在、映画監督に至るまでの簡単な経緯と
それに対してのコメントを述べている映像でした。





ちょうど画面をつけたときは、
始めは彼ではなく、
その奥さんが出て現場で話をしていて
僕はその話をそれとなく聞いていたのですが、


どうもこの奥さんは
ロバート・ロドリゲス、彼自身が
映画の作成や監督を行うのにあたって、
それとは違う面
つまり、資金面や経営面を担っているようです。


そして、
彼女はいいました。


「才能は、追求する限りちゃんとついてくる。
 後は、その才能が道を開いてくれるから。
 一番大切なのは、あなたがこの世で唯一の存在であり、
 それをまず自分が認識することが大切なのよ。
 誰だって、必ず天から与えられた才能があるのだから。」


そして、
彼自身も後のインタビューで
こんなコメントを残しています。


「僕は一番初め、全くお金がなくて、すごく苦労したんだ。
 でも、そんなことは関係なかった。
 とにかく映画が好きで、撮ることが好きで、それだけでよかった。
 後は、情熱をもってやることが何よりも大切。
 人はよく、止まって考えるけれど、それじゃいけない。
 だって、物事は動いていく中にしか進展はないんだから。
 今、こうなって初めて自分がしてきたことが
 間違ってなかったとそう思うんだよ。」




ふむふむ。

丁度
これはいい話題になりそうですぜ、
ダンナ。

ということで、

秋の夜長を
熱く語るためにも
この話をお貸しください。
ロドリゲスさん。笑











道を持っている人達の話には
いつも共通しているものがあります。


それは、
自分の与えられた役割を知っている、
ということです。


言い換えれば
「自分」という存在に対して、
よく知っている、というのが
そこに当てはまる言葉なのかもしれません。




早速なのですが、

自分をよく知る、
ということは、どういうことだと

皆さんは思いますか?




自分のことなのに、
自分が一番
自分のことをよく知らない。



そういわれるとき、
たくさんの矛盾が
この言葉の中にはあります。


だって、
自分という存在は自分であるのに、
その自分が自分のことを知らないって

変じゃないですか?




でも、
僕が思うに、世の中の大半の人は、
そんな自分のことを一番知っているようで、
一番知らないまま
生きている方も多いのではないかと、
思います。



それはどういうことか。






たとえばですね、
自分の好きなものをもっていても、

なんでそれが好きなのか。



自分が嫌いなものがあっても、

なぜ、それが嫌いなのか。




そういう
好きという気持ちや、
嫌いな気持ち

一つ一つをとってみても、


(それをそのままを感じて
それが「自分だから」ということが
一つの答えなのかもしれませんが、)


そこに
「なぜ」なのか


ということを問い詰めて改めて
考えてみることって
普段普通に生きているだけでは
なかなか無いようにみえます。



でも、
実は、その”なぜ”に、
自分という存在を知る一つのきっかけがあるように
僕は思っています。





僕自身、
そうやってみて、先ほど、
丁度4年前のノートを開いてパラパラと中を
みていました。



「ああ、そうだよな。
こんなことあったよな。」


「あ、
これってもうこんな前のことだったっけ。」


真っ黒なノートをなぞるように見つめ、
でも、

はれものに触るように

僕は一枚一枚ノートをめくってゆきました。




正直、
これは僕にとって見たくないものです。


そこには
過去の残滓と傷跡がたくさんあります。


それは
その当時の自分の状況を
まるでトラウマのように
心のどこかで記憶している部屋を
鍵をして閉じているのに、

それを自らの手で
わざわざギギギッともう一度こじ開けて
覗いたらまた縫い付けるという

端から見ていると

果てしなく意味のなく、
また
あまり好ましい姿でもないような

そんな気もします 笑




でも、
僕は時々、
そんな風に今の自分を
昔の自分を絡めて顧みることで

あえて自分の現状を
客観的にみることを
大切にするようにしています。



そうすることで、
また改めて、

今の自分の立ち位置がずれていないか、

間違っていないか。

昔感じていたことを忘れていないか

などなど、、

違う角度からみた自分をもって、
現在の自分というものを

そこで確認することができるからです。





自分を探すということは、
自分を常に追及してゆくということで、

それには
自分の様々なものと向き合う必要があります。



そして、
初めて自分を知る、という作業は


自分の過去も現在も、未来も
その全てがつながっているものと知り、

その中で、
暗中模索と実行を何度も何度も繰り返し、


自分の心に正直に生きようとできる勇気と、
現実での自分の姿を踏まえてみて
初めて、

見つかってゆくもの、


ではないかと思います。




そして、
そういった一見
無駄とも思える自分との会話の先に

自分という姿を
確認してゆけるような気がします。






こういったことは
言葉にすると、
ちょっと重い感じもするけれど、

僕は
道を持っている人が始めから、
何も迷いなくその道にたどり着けたという人は
決して多くはないのではないかと
思うのです。



逆を言えば、
ちょっとおおげさな言い方
なのかもしれないけれど、


たくさんの葛藤を経ることも
自分から望んで行ける人。


そういう人が
道を持っている人では
ないかなぁと



僕は思います。




まぁ。

結局は

最後に
道を辿るのは、
今綴ったような
そんな理由や理屈などではなく、

”それ”をするということに

自分の中での魂の声があるような

心からの腑に落ちた想いが
しっかりと言葉と行動に根付いているような

そんなところに至るものでもあると思うのですが、
そこに至れば、おそらく

その人にとっての
間違いない一つの役割を知る境地にも
辿りついてゆく。



なんていう
そんな感じもするのですが。
(結局今まで語っていたことはなんじゃい 笑)






また、そして、
僕が思うに、
道を持っている人は、


そんな自分を見るための
”主観性”と”客観性”を
ちゃんと自分の中に
持ってている人でもあるのだと
思います。




さっきのコメントで
ロドリゲスさんや
奥さんが言っていた言葉も


誰かに伝えられるメッセージがある、
ということがその
何よりもの意味だと思います。



それはある意味、
誰かに対して言った言葉でもあるけれども、
実はそれを言っているのは
自分に対して言い聞かせている言葉でも
あり、


そこに真実があると知っているからこそ、
言葉には力が入るし、

それを培い、わかってきたのは、
何よりもそれを感じてきた
本人達そのもの

だったりするんですよね。




だからこそ、
道を持っている、
という人の言葉は僕は

主観性と客観性を自分の中に
しっかりと持てている分、

胸にしっかり響くのだと思います。


今を生きている人間そのものが、
皆、
そんな自分を探そうと
努力し、

葛藤しているものですから。





でも、僕は
それ以上に

この彼が今のこのようにいられるのも、
この奥さんの在り方があってこそだなと

そっちのほうの素晴らしさに実は
感動していました。


「彼が映画の製作に集中できるように、
 私は経営をバックアップするのよ。
 だから、仕事では一度も彼とは
 ぶつかった事がないんです。 
 彼が彼でできることを好きなようにやらせること。
 それが私の仕事だから。」



なんだか泣けてきませんか?笑

こうやって
一つの素晴らしい作品が世に出されてゆく
ということを知ると
また見方も変わりますし、

こういう話を聞けるから、
人間ってすごいなぁって思うことを
僕はいつも改めて
感じずにはいられなくなります。

そんな中に
人間の愛という一つの
本質をみてとれることで
気付くものもあるものですから。












自分を磨いていく姿は
何を見ても、
誰を見ても、
とても素晴らしいと常に
思います。


全然、自分にとって全く
関係無いように見えても
どんなことにも道を持つ人には
共通することがあると書いたように、

その姿に触れられると、

自分にとって得られるものと
共感できるもの、
そして、

たくさんの学びが
そこには必ずあります。






先日、
とある機会がありまして、宝塚を見に行きました。


メルマガを見てくれている人は
書いた内容でもあるので、わかると思いますが、

僕は 
少なからずそこにたくさんの感動と尊敬の念を
抱きました。



「人間、やろうと思えば
ここまでできることなのか。」


これが正直な感想です。



それを様々と
目の前で見せ付けられたようなものであったからです。



きっと
何気なく見ていると当たり前に見えてしまって
わからないことでもあると思いますが、


舞台としての構成もそうですが、
決して踊っていても何一つ乱れない言葉や声。
踊りのクオリティの高さ。
宝塚団員としての各々の意識の高さ。


注意深くその全てをみていると、
この全ては、徹底した基本が
ずっと昔からできていないと
決してここまでは至れないと思ったとき、

この裏にある鍛錬の深さと
その裏にある影の濃さに
僕は

深く感動しました。



何が凄いかというと、
どこかに、ではないのです。


「何気なく見ていると当たり前に見えてしまって
わからないこと」


という、”ここ”に


僕はその凄さの全てがあると
思うのです。


つまり、
その裏を全く
”感じさせない”

ということに。





僕は全てのものは、
そのものの完成度が高ければ高いほど、
それは、裏に隠された
鍛錬の過酷さの高さと
影の深さを現すと

僕は思っています。



よく人は
現実にある姿形や
立場だけで
その物事の良し悪しや、
在り方に囚われてしまいがちですが、


その表面にあるものが
素晴らしいものや
華やかであればあるほど、

それを見せないための努力をしている
ということが
本当のそこにある見るべきことであると
僕は思うのです。

(美しいものには毒があるって
いうこととは別ですよー 笑)




今回、
初当選した26歳の若手議員さんが
とても今話題になっていますが、
世間では、「棚から牡丹餅」と
いわれて騒がれていました。


でも、
彼が初当選した時の姿をみて
僕が思ったことは
全く逆のことでした。




道を辿るのは、
必ず一つ一つの
それに至るためのプロセスがあります。

段階があります。


それは、
客観的にみるととても
理にかなったことで、


物事は段階ごとに少しずつ進んでゆくからこそ、
あがってゆけるものであると
思うのですが、


たとえば、それは
自然の摂理にもいえます。



樹を一つみても
いきなり大きくなる樹はないですし、


この社会も、歴史も同じことで、
縄文時代からいきなり現代にはなりませんし、
なれません。

それはそのときそのときに
見合った積み重ねと

いうなれば下積みがあるからこそ、


それを形に成すだけの基盤と
受け止めるだけの器を自分の中、

もしくは
その社会にもてるようになれる。

その時、
初めてそれら全ては

その現状を担ってゆける力にも
なるものだからです。



それらを度外視して
いきなり大きくなったとしたら

これは

それに見合うだけものを培ってゆかなければ
その全てを受け止められず
壊れてしまうのは目に見えていますし、

もしもそうなったとしたら

それ相応のかなりの努力がきっと
必要になってきてしまうものでも

あるんですよね。






全てを通してみてみると、

どんな道を成そうとすることも、
その形は違えど、
辿る道のりは同じです。

それを知ったとき、
道を作ることの大変さが

どんなことにもあります。


そういわれると、
なんだか道を成そうとすることって
とてもめんどくさくて
大変なもの以外の何者にも見えないような気もしますが、


でも、

だからこその、

その人でしか感じられない
言葉や形では語りつくせない
感動が

そこにはあり、
それを人は感じたりもできるからこそ、
僕は

その道を創ろうとする情熱や、
気持ちの持ち方を
人は大切にしてゆけるものだと、
思うのです。


まるでその様は
共存共栄、
自己成長、
生態進化してゆくことが

生きることそのものの

意味であると、

そんなことが
生き物の遺伝子レベルに組み込まれて
いっちゃっているような


神様がちょっとした
そんな
スパイスを生命の中に
いれてしまったような


そんな気すらしちゃいます。






結局なにを語りたいかというと、


こういえることは、
決して僕自身のことだけではなく、




ここにいる皆さん全ての中に
ちゃんと
これらは根付いていることであり、


このような命の輝きが
必ず皆さんの内には
あるんだということを


大切にしてもらえればなぁと

思うのです。





皆さんには皆さんのできること

やれること

好きだということ

嫌いだといえること


その全てがちゃんと
皆さんの中にある


ということ。


それが、

皆さんの何かしらの
生まれ持った道や

自分なりの生きる答えを

見つけてゆくための
大いなるヒントになってると
思いますし、

何よりも、

それが皆さん自身の
存在する


全ての答えです。







そして、
それらの声に耳を傾けて
会話をして行けた先に、

自分が自分であるために
大切なことが
たくさんあると思います。



せっかくの秋の夜長、

こんな気持ちを通して、
また
自分のことをゆっくりと見つめなおしてみて、


また、
明日に向かって歩いてみることも、


いいかもしれませんね。




その全てを自分なりに
解釈して
咀嚼して、
そして、
自分のものに出来たとき、

また違った自分の一面が見えたとしたら。



それが、
実は、
本当に
あなたがこの世界に生を受けた
何よりもの

意味になってゆくのかも、

しれません。





どうか皆さん、

色々なものを見て。

色々なものを感じて。

色々なものから
たくさんのものを得て。



そして、
素敵な今を一つ一つ
楽しんで重ねた上で

また素晴らしい自分をたくさん
見つけていって下さいね。



そんなきっかけが
こういった
月記の中にもあったとしたら


僕としても嬉しい限りです^^








あぁ、

また長く無駄に熱く語ってしまいました。 笑











さてさて、
そんなこんなで
話は変わりますが、


今月も今日で終わり、
また明日から10月が始まりますねー。




皆さんももうご存知なことだと
想いますが、


現在、全国のデイリーヤマザキにて
秋のキャンペーンをやっています。



これ、かなり
お得じゃないですか???


そう想いますよね??? 



でも、

一番想ったのは、
ナニヲカクソウ

この話を頂いたときの僕でした。笑



でもでも、

デイリーさんは
これで利益をあげようとするよりも、
キャンペーンとして
消費者の皆さんに
提供してあげたいということ
でした。



ううーーーん。
立派です。




なので、
みなさん、お近くにお住まいの方は
デイリーストアに足を運んでみてくださいねー。



飾って頂いてもいいと想いますし、
使って頂いてもいいですよね。

でもですね....


ちょっとかわいくないですか?
これ。 笑

(僕も秋の夜長のマイカップとして
 ひそかに利用中です。笑)





またまた、


丁度来月の初めから
来年度のファミリーマートの年賀状が始まります。



今年はまた
例年にも増して
素晴らしい企画になっていると
想いますよ。


どうぞこちらも楽しみにしていて下さいね☆

(今回また新しい僕の年賀状企画もありますから^^)





そして
もうそろそろ、同じく
来年度のカレンダーも色々なところで予約販売が
始まってゆくことと想います。


このカレンダーもね、
去年とはまた違ってちょっとした


成長ぶりがみえるものであると
想います。


中身も内容も。



またこれから年末にかけていろいろと
楽しみにしていてくださいねー^^




また、
ここで語るのは初めてですね。



皆さん、大変お待たせしました!



これから、やっと
ハタ新聞を始めてゆけるようになりました!




これは実はとっても大変だったんです。


丁度去年の
今ごろから話が始まっていったのですが、
その話が度々
様々な問題にぶつかりました。


完全に一から独自で
立ち上げようとしたものですから、

それにはたくさんの方々の協力と

そして、

体制が必要になってしまいました。



本来であれば、
今年の4月の時点から始めるということを
一部の人にはお知らせしていたので、

首を長くして待っていてくださった皆さんには

本当に大変申し訳なかったのですが、



でも、
その甲斐もあって、
ようやく始まりにたどり着けるようになりました。




この新聞は、
サイトにもありますが、

”みなさんと一緒に作り上げてゆくための”

新聞です。



もともと、この発想は
僕自身が路上をやっていたときのことから
来ています。



なかなかこれから
僕自身がどうしても忙しくなってしまうにつれて、

皆さんと一緒に時間を
共有できることが
できなくなっていってしまうことを
どうにか
大切にしたいと

想いました。



そして、

その中で皆さんがもっと

自分なりに笑顔や幸せを創っていってもらえる手段があればと
想い、


今回、この”ハタ新聞”を創ってゆくことに

至りました。




本当に大変なのは実は
これからなのですが 笑

でも、
今度は一人でやってゆくものではなく、

”皆さん”と一緒に作ってゆくものですので、

僕自身、
誰よりも頑張れます。






どうぞ皆さん、
こちらの新聞も月に一度届く楽しみを
是非楽しみにしていてください。



これからまた
今までとは違った
皆さんの関わり方をこの中で
作ってもらえることと想いますし、


さまざまなちょこっとした
幸せを月に一度
皆さんの手元に届けてゆけたら


僕も想っていますので^^



またこちらでも
皆さんと一緒に笑ってゆけることを

楽しみにしていますねー☆






あ、
追加ですけれど。



今回ですね、
新聞が始まるにあたって、


「月記はこれからもやるんですか?
どうなるんですか??」



という声を頂きました。



ん?


んんーーー、



そうなんですよ、

これが。



それでですね、
いろいろ考えたのですが、

じつは。


ちょっと大変なので
やめようかと
思っているんです...。


























....っていったら、
皆さん、怒りますよね?? 笑

(今、ショックをうけてくれたあなたは
 素晴らしいです。 笑)


ということで、

これからも月記は月記でちゃーーんと
続けてゆきますので、

どうぞ安心して楽しみにしていて下さいね。



ひっかかりました? 


ちょっぴし

ハタいぢわるしてみました。笑



ふふふーー。










空を見上げると
とても星がきれいですね。


長野や、地方に行ったらもっと
きれいに見えるんだろうなぁと


小さく輝く星々を
じっとみつめては
また今宵の秋を過ごしてなんかして...


あーー

いいですねー。



皆さんと一緒に
また
空にちりばめられた星を見ながら
またこれからを
頑張ってゆきたいですね^^





それでは、

皆さん、
今月はここまで。




どうぞ素敵な
秋をお過ごしくださいね。




そして、



皆さん、

いつも本当に、


どうもありがとう^^







またこれからも頑張りますので

来月も、

楽しみにしていて下さいねー☆
















































































季節の巡りを
感じると、




たくさんの


生と


死が


いつも
そこには交差していて



矛盾だらけの線が
折り重なるように

編まれているのが



この世界であると
いうことを、



知る。








その度に感じるのは、


果たして

生きることへの
喜びだろうか。



それとも、


死ぬことへの

恐れなのだろうか。






そんな憶えを
胸に抱いては、
また僕達は知らず知らずの内に

この世界を


渡り歩いてゆく。












きっと僕達は
胸のどこかで知っているのだろう。



生は
命きらめく強いものであっても

死の強さに勝るものはなく



しかし、


死は
深き闇に捕らわれることであっても、

今を生きるものの生の輝きが

その死をも
なきものにも変えてくれるということも。






その答えは
いつも

今を生きる



この中にある。












秋の夕暮れ


空をかける
青天の繕い


この世界の全てが
今を生きるものに与えられた



特別なプレゼント。






どうか
感じて欲しい。



あなたがあなたであれること。


あなたがいまここにいてくれること。



道なき道を経てゆくことが

全ての人の生きる定めであったとしても、


それは
あなただからこそ、


創ってゆける道があるからこそ、

なのだから。





そして、



あなたの道が
一筋の光になりて


この世を駆ける誰かを照らす

その日まで。




あなたが笑える今が辿る
世界を

いつか形に変えられる日まで。



その全ては

この世界に留まる事を与えられている

あなたには

必ず。





希望があるのだ、



ということを

その小さな御胸のどこかで



いつの日にも。





感じてもらえるように。
(2005.09.30)
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