2006年09月の日記

いつも変わらぬこころのままで。











秋の夜長は昔から
同じようにすごしやすくて

きっと、昔から人々に
愛されていたんだろうなぁと
思う

今日この頃のハタさん。


皆さん、
素敵な秋の夜長を過ごしていますか?


お?
今日の月記は
ちょっと早いって思ったでしょ?


はい、頑張りました〜!


まぁ...


それはさておき、笑






秋といえば、

色々な秋の形がありますよね。




読書の秋




睡眠の秋




食欲の秋



などなど。。





どれもこれも、
秋ならではのセリフですが、

なんかさ、

秋だけじゃなくて、



食欲の夏とか



恋煩いの春とか



切なさの冬とかとか


なんか他の季節のセリフってないのですかぃ?




色々と考えても見たのですが、



それは
先ほども書いたように

秋が昔から人々に親しまれていた
からこそ

許されたセリフであって、


そして、

人々に秋が
愛されていたからこその言葉なんだろうなぁと


ハタさんは再度、
一人で勝手に

月記を書きながら実感していたわけですよ。

うんうん。



っつーことで、


やっぱり僕は一年を通して

秋が一番すきだなぁ〜。





もちろん!!


その季節ごとの良さが
そこには必ずあって、

その一つひとつ


僕が大好きなのは言うまでもなく。。





しかし、それでも


秋を迎えると、

なんだかその中でも秋は

ちょっと

特別なような気がしちゃうんだよなぁ。





秋を迎えると、
世界がとても緩くなる。

時もゆっくりと流れてゆく
ように感じるし、

夜風にあたるだけでも
なんだか

気分がやさしくなるように思えるし。



ということで、
長い前置きでしたが、


僕にとってまた
大好きな季節がやってきました。笑




皆さん、

今年の秋はどうやってすごすのかなぁ。



なんだか

のんびりとした時間も
大切にしたいですよねぇ。。








まぁ、

さてさて、

そんな最近のハタさんでしたが




ブログにも載せていますが、
先日、
とある関係で、
山形にある高校にいって


講演をしてきたんですよ。





僕にとって
実は、高校で講演をさせて頂くということが
初めての機会で

全国の高校や大学で
講演をさせていただけることは
実は、僕にとってこの道を
歩く上での一つの目的でした。


それは、
僕自身、
高校のときにも感じたことだったのですが、

もしも
今の自分の考え方を
高校のときや
大学のときに

少しでも気付きがあったとしたら


何かしらまた
違っていたんだろうなぁと
思うからでもあります。



まぁ、ただ、



それはあくまで
きっかけでしかなくて、
そのきっかけを
どう生かすのかは
その人次第であるものあり、


今、僕にとって
この道を歩くことは
そういったことに

”気付かなかった”からこその、
自分でもあったのだとは思うのですが、


中高生や大学生のとき
ってものすごく

将来のことを考える分、


たくさんの選択肢と
可能性と未来がある。



僕はそういったときだからこそ、
その中で
何かを気付けることって

とても
素晴らしいことだと
思うんです。



そんな中だからこそ、


ただ純粋に夢や希望を
持てることの素晴らしさを
伝えることに


意味があると思うのです。


(と、まぁ
 僕の中での勝手な思いでもあるんですが。。笑)



それで、ホントに

10年ぶりに高校にいったのですが、


なんていうんでしょう。




僕にとって

その感じが
妙に新鮮でした。



たくさんのエネルギーに満ちているというか

活気があるというか。。



普通に通っているだけだと

わからなかったものですが、

10年来に高校に伺ったとき、



あぁ、そうそう
こういうものが高校だったよなぁ。


なんていう
胸の高鳴りを感じたんですよ。


よく
若いからこそ許される、とか

若いのが特権だと

うんぬんかんぬん
言われますが、

僕は
若さだけでもそこから
学ぶことが大人たちにも

たくさんあるんじゃないのかなぁ


って
感じたんです

(こういうことを言ってしまうと
 なんだかおやじっぽいけれど 笑)



そうすると

今まで気付かなかった
様々な視点に気付けるわけですよ。




体育館の端々にある
バスケットのゴールが妙に
愛しくかんじたり、

高校生が学校内で笑う声を
聞いて、


ふと自分の忘れかけていた
高校の思い出たちを
色を塗ったように思い出したり。




そして、

そこにいる高校生の笑顔をみると、
なんだか皆が

無性に可愛く思えます。笑



昔と比べて
今の子ども達は
犯罪が増えたのだの、


問題が多いだのと
世間では言われることも多いみたいですが、


僕は確かに
変わりつつある時代の中での、

それは一つの事実ではあっても

それが
この世の中の全てではないなぁと
思いました。


やっぱり

根本にあるものは
きっとかわらないんですね。


あたたかくて
やさしいきもち、

純真な
きもちを


みんなどこかで
ちゃんと心の片隅に持っている。


もちろん、
山形という
気風もあったのでしょうが、


僕は
そういった高校生の皆に触れて


ちょっと
ほっとしました。






ちょっと余談ですが、

よく
こういう言い方をすると、

物事を「偏見」で見ている人が
この世の中にはとても
多いような気がします。


しかし、
偏見という言葉って


実は、


「早まった判断」を下す

という意味がそこには
あるんですよね。


これは
とある本で見たことでもあったのですが、


偏見という言葉は、
英語でかくと

「prejudice」

実は
この単語は
ラテン語の

「prejudge」

(早まった判断を下す)

という意味から来ているそうな。



ということは、
何か物事を「こうだ」と
決め付けてしまうことは

僕たちにとって

単に物事の事情もよく見ず知らずに
早まった判断を下してしまっていることが

多いということらしいのです。



僕はそれを知ってから、

何事を見るのにも、

まずは決め付けから
入ることはしなくなりました。


そして、

色々なものを見て
実際に自分で感じてみたものの中で


自分にとって
大切にしたいという
ものを

自分なりに大切にすること。



それと同時に、
それは自分の意見であって
それが

全てではないということを

大切にしようとも
思えました。





と、


今回の高校生にふれて

僕はまたなんだか
素敵な出逢いができたなぁと

感じていたのです。




そんな流れの中で。。





僕は

その山形の高校の近くにある
とある神社によったのです。



かといって

僕としても特にそこに
寄ろうとしていたわけではないんですが、

一緒に同行してくださった
スタッフの方が


「ハタさん、即身仏って知っていますか?」


というわけです。




僕にとって初めて聞く言葉でしたが、
なにやら
その即身仏がそのお寺には
奉ってあるそうな。


僕自身、

そういうことには
とても興味があるので
是非ともいきましょうということになり、


講演の前の日に寄る事に
なったのです。



その日は
不思議なことに


僕が自宅を出るときから
全てのタイミングが
ばっちしでした。

ごみを出そうとしたら
収集車がきたり

電車に乗ろうとしたら
ほとんど待たずに
スムーズに全て乗り換えが出来たり。


「あ、これは絶対に何かあるな」


と感じていたわけです。



今では

もうこの即身仏の話は
僕にとって講演会では必ず話すぐらいの
ネタにもなっているのですが 笑


その即身仏
という存在は僕にとって
とても大きな衝撃を与えてくれる
出逢いにもなりました。




そのお寺に行き、
玄関のチャイムを鳴らすと


ぱたぱたと
その寺の住職さんらしき
女性の方が出てこられました。


そして、
その即身仏を奉ってある
お部屋に通されます。


そして、
その部屋に通されたとき、


僕は今まで感じたことのない
部屋の空気の流れを感じました。



温かいような

でも、
やわらかいような。


なんとも言葉にならない
雰囲気でした。


そして、
その中央には

二体の即身仏が奉ってありました。


この即身仏、というものは、
どういうものかというと、


元々は空海大師の教えの元、
修行を積んでいた
お弟子さんたちがいました。


そのお弟子さんたちに
空海大師はこのように
述べたらしいのです。


「死んでから世の中の
 人々の為の仏になるのでは
 遅いのだと。
 
 生きているこの現世でも
 修行を積み、
 そして生きる体を通して
 その後の余生を費やし
 自らが仏となることが
 大切なのだと。」


つまり、

自分の体を死後、
人々の悩みや苦行を取り除く為の
仏となるために


自らの体を
腐らないように
現世でも修行を積み、

その死後、
自分の姿、体をそのまま
後世に残すということを
したこと。

それが
即身仏という存在でした。

いうなれば、

その高い徳をつまれた
方々のミイラなのです。



そして、
そのためにはなにをしたかというと、

自らの体を腐らせない為に
まずは
山にこもり、


木食(もくじき)修行という
木の実だけを食べることを
繰り返すわけです。


そして、

その湯で出できた
温泉につかることを繰り返すことで

体のバクテリアを取り除き、
より腐らない体を作る。

そして、
その後、生きたまま
地中に入り、


空気だけの穴を通して
鈴の音を鳴らしながら
お経を唱え、断食を
するというもの。


その中で
鈴の音が止んだとき、
亡くなったものと確認されて、


また地中から3年後掘り起こし、
現在の
即身仏として

奉られることに
なったそうです。



ある意味、

もしも体がその途中で
腐ってしまったら
その修行は失敗に終るという
ことだったらしいそうな。。


それだけを聞いたとき、
なんとも
言葉では言い表せない
気持ちになったのですが、


そのお寺には

なぜか

二体の即身仏があったのです。

「なんでだと思います?」

とお寺の住職さまが
きくわけです。


「これは、実は
このお寺の一代目の住職様が
即身仏になられた後、

その5代目の住職様が
その姿をご覧になり、
自らも即身仏になられた

というわけなんですよ。」



と。

全国には
現在、16体の即身仏が
確認されているようですが、

こうやって
二体並んで奉られているのは
全国でもここだけだと
いいます。


そして、
そこにはこんな札が書いて
置いてありました。

簡単に説明すると、


「自分達の体に対して
願いをかけてください。

その願いを
叶える為に、
私たちは人々のための
希望の杖となりましょう。」



という

ことだったのです。



なんだか

すごいことだと思いませんか?


いや、

すごいという言葉では
もはや言い表せないものですよね。


しかし、と
その住職さまは
おっしゃいます。

「皆さん、色々な願いをかけに
このお寺にいらっしゃるのですが、

願いが叶う方と
叶わない方がいるんです。

それはなぜかということを
考えてきました。

すると、一つの共通点が
見えてくるんです。


皆さん、願いが叶わない人は

自分の苦しみや痛みから
開放してくださいという
願いを持っている人達ばかりだったんです。

しかし、
自分の痛みや悩みというものは、
自分で受け止めてゆくことでしか
出口も答えも見つからないんですよ。

と実は、
即身仏のお姿そのものが

私たちにその姿を通して
教えてくれているように

私は思えるんです。」



確かに

即身仏という存在は、
自らがその痛みと向かい合って

そして、

その体で受け止めた先に
出来たもの。



そう思うと、
自分の痛みや悩みを
どこかや誰かに
求めたとしても

それは答えには繋がらない。

最後は
自分でそれを
受け止めて、その先に
見いだすことでしか
答えって
見つけてゆけないものでもあると

僕も思うのです。



そして、

この住職さまは
こんなことも続けておっしゃったのです。


「このお寺には
こんな言い伝えがあります。

上流にある岩を動かすと
下流の流れが変わるのは
わかりますよね。

しかし、
このお寺の言い伝えで

下流の岩を動かすことで
上流の流れが変わる

という言葉があるんです。」


僕はこれを聞いたとき、

なるほどな、と思いました。



それはどういうことか。

つまり、こういうことだと
思うのです。



もしも。

上流にあるものを
過去として捉えた時、

今を下流の流れとして
捉えた時、


昔起こってしまった

出来事の事実は変えようが無くても、


自分の今の受けとめ方を
変えてゆけることで、


実は

その昔に起こった
出来事の意味を変えられる、

ということ。


確かに
世の中には
意味の必要のない出来事も
沢山あるように思えます。

心に無償の痛みを持っている人で
あるのであれば、
尚更です。

しかし、
その受け止め方を
変えることでしか、
人はこの今を乗り越えてゆけないことも
一つの
事実でもあるような気がします。



物事というものは、
長い目で見ることでしか、
本当の意味はわからないものです。

自分にとって
とても辛かったことが、
あるとき、

実は自分にとても
必要だったと感じることもあれば、

意味のないこととして
頑張っていたことが、
後で役に立つこともたくさんある。


その受け止め方や
意味の感じ方は実は

自分の心で決められるものであり、

そして、
その中で感じられたものが、

その事実の本当の答えに変わる

ということだと
僕は思うのです。






そのお寺には

毎年のように
悩みを持った大人たちだけではなく

子ども達が
たくさん押し寄せるそうです。


まるでかけごみ寺のように。



しかし、
その住職さまはおっしゃるのです。

「今の子ども達は
昔の子ども達よりも
精神性が高いから、
それをただコントロールできないだけ
なんですよ。

だから、
話をじっくりきくと
そういう子たち程、
実は真実をついて話をするんです」




世の中の流れは
昔に比べて変わったのは
事実です。

でも、
その中でも

世の中がおかしいと
嘆くことよりも、

むしろ
新しい変化の中で
よりよき方向に進む為に

僕たちの時代が

新しい状況に入りつつあることを
どこかで認識しておくことも

また

大切なのかもしれません。



変わらないものを持ちつつも、

人は変わってゆくこと。


変わることを
受け入れられることも

心の強さであるのならば、


その変化に
柔軟に対応できる心を
ちゃんともってゆける

そんな人間にも
なってゆきたいものですね。



僕自身、
そんな思いを持ちながらも


目の前の二体の
即身仏にお祈りを捧げました。


どうか
少しでも皆が笑顔で幸せに日々を
送ってゆけますように。



僕にとって、
この出会いは
生涯忘れることのできない



素晴らしい出会いになりました。









出逢いって色々な形が
ありますけれど、

それは
人との出会いだけでは
ないんですよね。


人はいつも出会いを
通して

学んで、そして、
自分の心を成長させて

また新しい自分を形成してゆく。



今僕がここに入れるのも、
まさに

そんな皆さんとの出会いが
あったからこそ、

そこで
教えてくださったみなさんが
いてくれたからこそだと

そんな風に
時を重ねるたびに
思うのです。


旅に出ると
必ず

そこには出会いがあって、

感動があって、


物語が生まれて。



今回も

たまたま山形に伺うことを
講演を通して
いただけたのですが、

そのような機会は
もしかしたら

何かに人はいつも
導かれて、
誰かと出会っているのかも、
しれませんね。


せっかくのこの
限りある今を

沢山の出会いと一緒に
旅をしてゆけたら

これほど
素晴らしいことはありません。



どうか皆さんにとって、

よき出会い、
よき思い出が

たくさん創れますように。






さて、

この9月

皆さんにとって素敵な”出会い”は、

ありましたか?























とまぁ、

そんなせわしく流れた9月だったんですが、笑

10月もハタさん、色々とあったりするんです。




まず一番初めにですね、

10月の7日(土)にはですね、
「明日はきっと、大丈夫。」
の二弾目となるサイン会が

渋谷のセンター街入り口の

大盛堂書店さんにてさせていただくことに
なりました^^


こちらは
団長さんの司会進行の元、
行ってくださるサイン会になります。

もともと、
渋谷のハチ公前が
僕にとっての
始まりの地でしたので、

そういった意味では
今回のサイン会は
凱旋サイン会でもあります。笑

どうぞ皆さん、
この機会に是非
遊びにいらして下さいね!


ーーーーーーーーーーーーーーーーー

『明日はきっと、大丈夫。』
ハタタケル第二回 サイン会

大盛堂書店 3階
イベントフロア
開場 18時30分

終了は21時予定ですよ〜!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー




また、

この同日の7日なのですが、

この日から始まる

映画
「旅の贈り物」

が全国の各映画館にて
上映開始になります〜!


何故、
この話をさせていただくかというとですね、


この映画に僕が出ている...

わけではありませんが 笑


この映画とタイアップをして
僕がこの映画との
コラボレーション企画として

「旅の贈り物」ハタタケル書き下ろし
オリジナルポストカードを

各劇場で発売されることに
なったからなんです〜^^


これは
今までの僕のポストカードとは違って、

この映画をみて
僕が直接書き下ろした
この機会だけの
オリジナルポストカードになっています。

この映画の内容は
見てからのお楽しみ♪

もしも
どんな内容かを知りたいかたは
こちらを見てくださいね



旅の贈り物 オフィシャルhp

http://www.tabi-000.jp/




なかなかべたな所もありますが 笑
そこがまたよかったりして。

僕としても
とても共感できる映画です。


どうぞ皆さん、
劇場に足を運んでみてくださいね〜!

僕のポストカードも
お楽しみに♪
ナント10枚セットで
発売開始ですよ〜!!





さらにさらに、


随分と7日に重なりましたが、

この10月7日(土)、


もう一つ、
僕にとって新しいものがスタートします。




それが、
hpのインフォでも発表させて頂きましたが、

僕とYUNAさんとのラジオ番組が
始まることになりました〜♪


この番組は
いつも皆さんに好評頂いている
Heart to Heartのラジオ版の
ような内容でもあるのですが、

もともとは
僕だけのラジオ番組の
企画が上がっていたんです。

でも、お話を頂いてゆくうちに
これはYUNAさんと一緒にやっていった方が
きっと素晴らしいものができると
感じました。


そして、

ラジオに関しては、
どうしても僕は
深夜のラジオ番組枠で
やりたかったのです。


なぜかというとですね、

深夜という時間だからこそ、
色々と
人は悩んだり考えたりします。


しかし、

今まで色々な方の
悩みを聞いてきましたが、

このすごい所は
悩みを話してくれた人の
話というものは、

実は


色々な人に共通して持っている
悩みでもあって、

その話を聞くことで
人はそこから元気や勇気をたくさんもらえることが
あるのです。

僕はそれを感じてから、
ラジオという特性が
きっと生かせると思いました。

そして、
一番、皆が色々なことを
ゆっくり考えられるときに
ラジオを通して

温かい心を伝えられたらと
思い、

今回のラジオ番組を持てる
経緯をいただけることになったのです。


僕の地元ということもあり、
今回は 
FM 長野さんからの
スタートになりましたが、

そのうち、
全国のみなさんが聞けるように
僕たちもがんばってゆきますので、
どうぞ楽しみにして
応援して下さいね^^

また、
長野県にお住まいの方は
どうぞこちらも
楽しみにして
お聞きください♪


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

毎週 土曜日 深夜0時30分スタート

YUNA&ハタタケル
『明日はきっと、大丈夫。』

詳細はこちらへどうぞ^^

http://www.fmnagano.co.jp/whatfmn/info/index.html

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

また、こちらでは
皆さんからのリクエストや悩み相談を
色々と受け付けていますので、

ラジオの聞けない方もどうぞ
僕たちへのメッセージをどしどし
送ってくださいね^^



あ。。

ちなみに、
なんでタイトルが
『明日はきっと、大丈夫』に
なったかというと

皆さん、分かりますよね?


もちろん、このタイトルが
番組にもあっていたから
というのもあったのですが 笑



また、

その他にも
今月来月、そして、
12月に向けて色々とあります。

僕も頑張ってゆきますので、

どうぞ皆さん、
楽しみにしていて下さいね〜^^




















あぁ〜、
今月はなんだかとても
せわしかったなぁ。。

目も回る感じで
ずっとどたばたしている間に

9月はあっという間に
過ぎ去ってしまいました。。 笑


なんだか
なかなかアトリエに
出れなくなってきていて
申し訳ないんですが、

実は知っている人は知っている
かもしれないけれど、

実は一年前ぐらいから
アトリエになかなか
出れなくなってくると思うんです


皆に伝えてきました。

それは
皆さんに
夢や心を大切にしてくださいね
と、説いているように、

僕自身もまた、
それを大切にしてゆこうと
その成長している自身の
心や姿をみんなに通すことで初めて

その意味や言葉を
心から伝えられるように
思うからでもあるのですが、


ただ、

アトリエに関しては、

これからは逆に、

月に1日か2日は
必ず出るようにと

あらかじめ月初めには
予定をスケジュールに載せて
組んでゆくことが
できそうです。


日数はどうしても
減ってしまうのですが、

その分、
皆が喜んでもらえるように
僕ももっと頑張ってゆきますし、

また
アトリエに来てもらえる日を
前もって一ヶ月前ほどに
決めていければと
思いますので、

皆さんの予定も組みやすくなるとも
思います^^


また
みんなの素敵な笑顔に
触れられる日を
これからも楽しみにしていますので、

アトリエやイベントにも皆さん

遊びにいらして下さいね!















あぁ、




早いもので、

今年もあとナント
3ヶ月!



あっという間ですね。




皆さん、
今年も素敵な年になるように
頑張ってゆきましょうね♪





それでは、


皆さん、

今月はここまで。




これから秋の夜長と共に

季節の変わりやすい時期ですので、

体調には十分気をつけて

素敵な秋を過ごしてくださいね^^



そして、


皆さん、

いつも本当にありがとう^^


いつも
見守って楽しみにしてくれている

皆さんに

僕も沢山の元気を貰っていますよ^^



そんな皆さんに
また

もっと
喜んでもらえる
笑顔になってもらえる、

そんな自分になってゆけるように



たくさんの

たくさんの

心と

感謝をこめて。。





皆さん、



いつもホントに








ありがとう^^






















































































































































































いつも季節が変わるたび










時の流れの早さと






年の流れる早さに








ふと












心で



ため息が漏れる。






















それは、




切なさのいみなのか





時を重ねられることへの


ふとした





喜びなのか。








ときどきその意味が、






わからなくなる。






































この世の中を見渡せば







無情なことばかりな


ように思えても、






無情だと思っていたのは、



実は






自分が抱いていた

心だと


気付けたとき、







本当の真実は

どんなに時を経ても


変わらない心のあり方の中に

あるのだと、




僕は知るようになった。














「いつも変わらぬ心のままで」



いられたら




どれだけこの世界は平和なことだろう。





「いつも変わらぬ心のままで」



誰かにもうちょっと優しくなれたのなら、





どれだけこの人生はあたたかくなることだろう。












僕たちは

そんな心を

しっかりとこの胸に持ちながらも




また

世の中のしがらみと葛藤の中で




自分であることの意味を



模索している。






































自分ひとりでは

埋められない心のすきまが



愛という

思いで


埋まるすきまで

あることを知れたとするのならば、





僕たちは




自分の為よりも




誰かの為に




もうちょっと
心を傾けることが



できるのかな。




もうちょっと

声を伝えることも



できるのだろうかな。






ただ



今日もあなたが


あなたらしく




笑顔で笑えるようにと






思ってくれている人がいる。




それだけで


人はどれだけ


救われることかを

知っているように。















今日も


あなたと共に




朝をむかえて




また


今日も




あなたと共に







夜をむかえて。






その中にあるものは


当たり前の中に



育まれる心であるけれども、





その当たり前のなかにこそ



僕たちは
きっと



大切な何かを


見つけていることを


忘れずにいたい。









今日も

あなたが

いてくれる。




今日も


あなたが



いてくれる。




ただ


それだけが


ありがたくて






また


今日も



僕は








明日に向って歩こうと






思えるんだよ。







そう、











いつも変わらぬ、






こころのままで。
(2006.09.30)
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