2006年12月の日記

あなたは希望という光












あぁ。。。


もう明日には年を越すわけで。。




考えてみると

あぁ。。。



なんだかんだでもう30日なわけで。。





時間ってあるようで

実は
自分で作らなければ
実在しないものじゃないかと


そんな風に最近は思うのですよ。
 



と、いうことは。



時間は与えられているものではなくて、

自分で活用してこそ
初めて意味になるものであって。



時間という概念は、

もしかしたら勝手に人間が
創り上げた想念で

本当はそういうことは関係ないようにも思えてきてしまう


そんなひねくれた年頃(?笑)のハタさんなのですが


皆さん

いかがお過ごしでしょうか。




こんにちは、

ハタタケルです。




先月の月記にも書いたかもしれませんが、

最近のクリスマスってなんだか

クリスマスらしい雰囲気も
味わえないまま

あっという間に過ぎてしまい




あれよこれよと
気がつくと

もうお正月なのですね。




道端でお店を構えている露店とかを

たまに見かけると


もうすでに門松や鏡餅を
わんさかと売っている様子をみては

その流れの早さを肌で感じてしまうものです。


なんだかちょっと寂しいよな〜


そんな感じがしますねぇ。








さて、

皆さん、今年のクリスマスはどんな感じで

過ごされましたか?



僕はですね〜

24日の0時に
YUNAさんたちとミサに行きました。

ミサは近くの教会で、結構本格的にです。


決してキリスト教の洗礼を受けにいったわけでは
ないのですが、笑

僕としては初めてのミサで
とても新鮮な気持ちと
神妙な気持ちで色々なことを感じました。


元来、クリスマスというものは
ジーザスを祝うための日であって、

そのためのお祭りであることを
僕たちは忘れがちになってしまうことも
あるのですが、


そういう意味では
僕がこの機会にミサにいって
自分の今年一年のことを
振り返り、

そして、


感謝のことばをあらためて心にするには
とてもよい場をいただきました。


難しいことは僕は

必要ないと想うのです。



ただ

シンプルに。


ただただ


単純に。



今、
目の前にある大切なものを大切にし


そして、

今、この胸の中にある平和を
守ってゆける自分になってゆければ。


それでいいのですよ。



ただ、いかんせん

その「シンプル」が

とても、難しい。



だから人は

より現実に対して厳しくなったり


自分をたくさんの知識や考え方で
守ったりするわけですが、

元を辿ればなんのことはない。



ここにあるやさしいきもち

あたたかいきもちを

みんなが大切にしたい、


それだけなんですよね。




そういう

人としての原点のきもちを
顧みてみたときに


僕たちは
何かに対しても

もう一度優しくなってゆけるような

そんな気がします。



人生というものは

自分の意志がなければ成り立たないものであっても


考えすぎても、成り立たないもの。


実に人間の物語とは
面白いものですね。


客観的に見たら


神様がそんな一人ひとりの人生を


役割として演じさせているような


そんな気持ちにもなってしまいます。笑







さてさて、



長い前置きでしたが、


そんなこんなで今年最後の月記ですが、

皆さんいかがでしょう。



今年は皆さんにとって

なにか
かけがえのないものを得られる年になりましたか?


それとも、

自分にとって反省が多い年でしたか?

(それもまた得られたことになりますが。)



僕から見たら

この今年一年はとっても目ぐるしく

あっという間に
過ぎ去ってしまった



そんな一年でした。

むしろ振り返る暇もない程です。。 笑


そう想うと

この今一瞬一瞬を
大切にすることでしか
人生を大切になんてできるはずがないのだなぁ

と、感じるものです。



そんな
忙しい毎日を送っていると
人は皆そうなのですが、

そこにおかれている
「自分」のことを案外忘れてしまいがちになります。

それは、

「なぜ自分が今の自分になっているのか」

という

自分の経緯と
立ち位置であったりします。



「この仕事がすきだったから」

「今の自分に満足していなかったから」

「自分の理想を追い求めてゆきたいから」



人が日々の行動を作ってゆく”元”には

このようなそれぞれの意思があるものなのですが、


日々の忙しい中に身を置かれてしまうと
どうしても

自分が自分なりに大切にしていたことが
どこかにいって見えなくなって
しまっているような

そんな気持ちにもなりかねないものです。



そういうとき、

自分は「こうなんだ」

といえるものを大切に出来るとするのであれば、


それは
自分の強い「意志」と

しっかりとした「世界」をもっていなければ

それは時にゆらいでしまうものでもあるもの。



だからこそ、

人は

「悩み」「迷う」ということを

与えられるような気がします。




悩んだり、迷ったり
しなければ、

本当に”自分”にとって大切なものはなんだろう
ということに

人は気が付けないからです。



むしろ、

それがプロセスとして捉えられるのであれば、

迷ったり悩んだりすることも
全て含めての

「人生の基盤」を創っているわけですね。



なので、

忙しい中でも
ちょこっと日々とそこに流れている
自分を客観的に見てみると、

それが自分にとって果たして

正しい道なのか
そうでないのか

はたまた

今はまだ判断できないのかが


分かるようになります。




答えを出すという時期は

答えを出そうとしなくても

心で知ってゆくものであったりするように、


何を「今」の自分が
自分の人生に求めているのかを
考えてみると

そのときだからこそ
見つけられる
世界があることを

僕は知ってきました。



そして、


それに素直に順応できるように

まずは自分を磨くことを

大切にしてゆくことをしようとも。







自分を磨くということは

決して

誰かに教えられてするものではないのです。



しかし、

そのやり方ではなく、
お手本となる人を見ることが

何よりもの
自分の磨き方を教えてくれる存在になるものです。


一番自分が理想と出来る形を持っているのが
ビジョンであり、

そして、
あなたが理想とする人であったとしたら、


一番手っ取り早いのが、
その人と
自分を重ね合わせてみることでしょう。


しかし、

自分には自分にしかない色があるように
違う人には違う人にしかできない色があります。


ここで重ね合わせるということは、

それを比べるということ

ではなく、



では、
その人がなぜ、「自分らしく心から笑えているのだろう」
ということを

考えてみて

それを自分に置き換えてみることが

自分が幸せになってゆく上で
とても大切なことなんでしょうね。


そこに

自分なりの幸せになり方のちょっとした
”ヒント”が隠れているように

僕は想うのです。



それを見つけられる、
ということは

心の中の平和を作ってゆこうとできることでも
あるからです。


先日も読んでいた本に
こんなことが書かれていました。



「世界の戦争を無くそうとしたら、
 戦争へのデモを行なうのではなく、
 自分の周りの人との争いを無くそうと出来ること。

 自分をよりもっと成長させ、
 自分が幸せになってゆきたいのであれば
 周りを変えようとするのではなく
 自分と接するみんなを幸せにしようとすること。」



僕たちは何かの問題が起こったとき、

その要因を
外に求めがちです。

何がいけないわけではないのですが、

もしも

誰かを否定することでしか
自分を肯定できないとしたら

それはとても悲しいことです。


なぜなら、

何が正しくて
何が間違っているのか

を考えることが
問題の解決になるのではなく、


むしろ、

そこに捕われて
自分を正当化しようとしまうことほど、

労力の要ることはないからです。



それよりも、

何が正しかろうが間違っていようが、

自分にとって問題なのは
そこではなく、


「何を大切にしてゆきたくて、

何に捕われないようにできるか」を

考えられた方が

人生を渡る上でもっとより

人は幸せなってゆけるように

そんな風に僕は想うからです。



例えば、

自分にとって
嫌なことが起こったとします。


しかし、

そこで嫌な気持ちになったのは、

果たして
嫌なことが起こったからなのでしょうか。

もしも、ここで
ちょっと視点をかえてみて、

嫌なことが起こったとしても、

それに「捕われなければ」
それは嫌なことにはならないもの。

というよりも、

嫌な感情に自分を「支配されなくてもいいもの」です。


結局、

考えてみると、
状況がその嫌な気持ちを作る
”要因”であったとしても

嫌な気持ちを作っている
”原因”ではない

ということ。


それを作ってしまっているのは
最後には
自分自身になってしまっている


ということをしれると


すごく心が楽になるものです。



ただ、

それをどんなときにも行なうのは

よほど、
精神性が高くないとできないように
想われるかもしれませんが 笑


結局は

”自分がどうしたいのか”

なんだと想うのです。


いくら出来事にイライラしていても、

結局損をしているのは

その出来事や
それを与えたものや誰かではなく、

自分自身であることに


気が付けたとしたら

その気持ちや出来事に捕われるよりも

もっと賢い選択が
あるような気がするからなんですね。



僕が色々とこのようなことを
いっているのは

何も人格者になろうとすることではなく、

「自分」が幸せになる為には
どうしたらいいんだろう

ということを
考えてゆけるからこその考え方ではないかなぁ

なんて想うからなんです。






でも、


人は自分がどんなに幸せになろうとして
自分だけのことをいくら考えてみても

幸せになれないのは、

それは
幸せとは自分ひとりでは作れないものである
という法則がそこにはあるから。



しかし、


逆をいえば、

幸せとは
そんな自分が周りに与えたものが返って来る
ものだということをしっていれば

自分の幸せは自然と与えられてゆくもの。


そう考えた時に、

とても考えることはシンプルになると想うのです。



このバランスはとっても
微妙なものでもあるのでしょうが、笑

しかし、

僕は自分の心が穏かであればあるほど、

みんなが
幸せにもなれると想います。

少なくとも、

それを大切にしたいと想う人たちには
大切にされることでしょう。



そして、


その自分の穏かさを作っているのは

周りや環境ではなく、
自分自身で他ならないということを
知ると、

自分に必要なものや大切なものが
自然とやってくるから

人生はふしぎなものなんですね。






よく
色々な人の話をきいているときに想うのですが、

自分が幸せになれないという
思いを持っている人は

自分が昔
間違えてしまった選択や

後悔を


今の自分が幸せになれない理由に挙げる人が
多いように想います。




「もしもあのとき、こうしていれば。」

「自分がこうだったら、
 きっとこうにはなっていなかった。」



色々と皆さん

様々に自分のことや
その理由を一生懸命考えます。


そして、

その中で
その出来事を、
自分を「幸せになれない理由」に
仕立てあげてしてしまっています。


しかし、

これはとてももったいないことだと
僕は想います。


なぜなら
たとえもしも、

あのとき、「こうしていなかった」


としても、



結局、今の自分になっていたからだと
想うからです。

それは

「あのときこうしていれば幸せになれた」


という意味を勘違いしているからです。

それよりも
もっと問題は近くにあるもの。


それは、
なぜ今、そういうことを考えられるかが
ポイントなのですね。

つまり、

「あのときこうしていれば」
であったのであれば、


では、

「じゃあ」
「なぜ」
 
が、その先にはないからなんですね。

問題が起こっているとしたら

それは

問題を起こす為に
自分の現状を作っているわけではないのです。

むしろ、

自分が幸せになる為に
必要な

「なぜ」という理由と

「じゃあ」というその先にある
自分を変えようとする意思を


与えてくれているきっかけにも
なっているもの。


その思いが大きければ大きいほど、

それは
その人にとって人生にわたる
大きな学びと財産にも

かわってゆける。


そういったことを考えてみると、
「問題」とは

それに気が付くための定義であって、
そこが結果ではないからなんですね。


そう気が付けた時、
僕はとても腑に落ちました。

そして、
自分の捕らえ方を変えるようにしました。

捕われているのは
感情であるように、

もっと良い意味で
捉わられる「場所」を変えてみようと。



そうしたとき、

少しずつですが、自分の心に
余裕と現状を見つめなおせる
気持ちが生まれていったのです。




人間ってはじめから
幸せな人なんてこの世界にいるんだろうか


なんて

そんなことを

昔よく考えていました。



もしもはじめから幸せな人がいたとしたら、

それはよっぽどラッキーな人か
アンラッキーな人か

どちらかだろうなぁ

なんていうことも。



それは、


幸せは幸せと気付けるには
痛みや悲しみが必要なように、

はじめから与えられている幸せを
幸せと知っている人は

本当の幸せを知らない人でもあり、


そして、

知らないからこそ、
幸せなのかもしれないと。


世の中には
知らない方が良いことや
気づかない方が良いことって
きっと沢山あると想うのですが、

色々と気が付く為には

僕たちは
様々な視点で勉強しなければ
わからないことって
沢山あるように思えます。


たくさんの闇に捕われている人は
闇の中にある
光のまぶしさを知るからこそ、
光を求めてゆけるように


どんなに辛いときがあっても
それは
最後には自分がどのような選択を持って
今を捕らえられるかにかかってくるものなのだろうと

想うのです。



過ぎてしまったことや
もうどうしようもできないこともまた、

それはそれで
受け止めることしか
できないものですが、

しかし、

受け止めたものが大きいことほど、
それは

その人にとって後で
かつてない成長にも変わるものです。


全てがよいことばかり
という人生は
ないかもしれませんが、

全てがわるいことばかりが
人生ということも
また
同じようにありえないものです。


悲しみや
憎しみ、
辛さや
大変さ

その一つひとつに
捕われると心が苦しくなるのは

そこにある感情そのものが
自分を苦しめているものであるから。

そんなとき、
僕たちが与えられているものが
あるとすれば

それが

誰かを愛せる気持ちであったり、
優しい心に感謝できる気持ちであったり、

そして、
温かい気持ちを分け合えるあたたかさであったり。


そういうものに
もしも目をむけることが
ちょっとでもできたとしたら

僕たちは
もうすこし

世の中を幸せに渡ってゆけるのかも、

しれませんね。







今の時代、
色々なことが情報として
流れます。

あまりにも暗いニュースが多いと

その事件がくるしいのか、
それを見ている自分がくるしいのか

それがふとわからなくなりそうに
想うのです。


そう想ってから
(もう結構前のことですが)
僕はテレビをみることをやめ

必要な情報があるのであれば、

それをそのときにネットや記事で
自分で選択してみるようになりました。


世の中のことを知らないことと、
知らない間に
流されてしまっていることとは
同じようで違うものです。


ある意味、

今の世の中のことを
自分が知っていないと
不安なように思えるかもしれませんが、

僕は逆だと想います。


つまり、
世の中のことを知ろうとするあまり、
それに捕われすぎて
一方的に与えられる情報の中に
身を置きすぎてしまって、

本来の人間としての
大切にすべき
人としての「心」という感情を
見失ってしまうようにも

思えるのです。


それでは本末転倒なことが
たくさんあります。


僕たちが大切にすべきことは
そういった

「情報」だけではなく、

自分の人としての
「心との兼ね合い」であることを

いつの日も
忘れないでいたいものです。




また今年も明けて、
来年、新しい年がやってきます

そんな中で僕たちは
また
さまざまな時代の流れに翻弄されてゆくこともあるでしょう。

自分も見失いがちになってしまうことも
やはりあるかもしれません。

しかし、

僕たちの幸せや道は
与えられるものではなく、

自分で選択し、そして、
築いてゆけるものである

ということ。

自分の中にはちゃんと
見守ってくれている存在がある

ということを

もしも心のどこかで知っていけたとしたら

きっとそこには
また違った未来が待っているように
思えます。


僕達がより
一つひとつの心や気持ちを
大切にしあえるように

そして、

皆がまた
幸せになってゆけるように


この今を大切にしてゆくことが出来たら

素敵ですね。



そんな思いを込めて

今年最後の月記を今
僕は綴っています。



皆さんにとって
今年、きっと色々なことが
あったと想います。


思い出すと
胸が温かくなるようなこともあれば、
胸が苦しくなってしまうことも

たくさんあるでしょう。


でも、それはもう
過ぎたことであって、

これからの自分が築いてゆくものでは
ありません。


苦しさは
自分の幸せになる為の糧に

そして、
温かさは
自分がより皆と笑い会える為の種に

一つひとつを
この胸の中で大切にして

そして
また
来年を渡ってゆきましょうね。


僕もまた、
皆が少しでも笑顔になって喜んでもらえるものを
一緒につくり、
成長してゆけるように

日々を慢心することなく
頑張ってゆこうと想います。





....なんだか今月の月記は
真面目な感じになっちゃったね 笑


でも、

まぁ。。

年末だからこういう感じもまた
よしにして下さいね^^


あはは(´∇`)





さーてさて、


今月の
インフォですが、

丁度12月6日辺りにでた
僕の新刊

「ねぇねぇ、ほっとすること見つけたよ。」
「あなたと「ほっと」をいつまでも。」

について。


どうでしょう??

皆さん。

これ見てくれましたか??^^



そして、

この秘密分かりました?笑


この本、

実はですねぇ。。
(もう既に知っている方も多いかと想いますが。)


つながっているんですよ!!笑

しかも、

中も外も一つひとつがっ。


これはですね、

実は
同じ場面において

時間軸をずらして
構成を考えています。


つまり、

一人でいたことは
二人でいれることにつながってゆくこと


であり、


たとえ
二人になったとしても
一人で感じられた思いが大切なことでもあり。。


僕は
そのどちらも欠けてはいけないものだと
想っています。

つまり、

二つで一冊の本というのは

二つあって始めて完成する本。


言い換えると、
これは「二冊」でなければ
創ることが出来なかった世界でも

あるんですねぇ。


なので、

この僕の本、

一冊を見てくれている人がいたとしたら

是非、もう一冊も読んでみてください。

しかも、

『同時』にめくって!!笑


そうすると、
きっと感動が倍になるでしょう。。(´∇`)にやにや


ホントはね、
これ僕が明かすよりも
皆さんに気付いてもらえたものの方が
きっとうれしいだろうから

敢えてその本には

そういうことは
書いてないのですよ。



むしろ、

気がつく人はすぐにきがついたはず。

ハタタケルの世界を知ってくれている人は
きっと、
僕であればちょっと
ひねくれて作ってることを知ってくれてる
はずなので 笑

色々な視点で物事を見ると
また発見があると想いますよ。


なので、
また新年早々、じっくりと
その中にある様々な秘密を
探してみてくださいね^^

僕が今
いったことは
あくまでその秘密の一欠けらの
ヒントにしかすぎませんからwハハハ



また、

今、僕の年賀状がファミリーマートにて
発売中です。

年賀状印刷はもうそろそろ
終る頃でしょうが。。

まだ
パックの年賀状はこれからだと想います。

今回はですね、
三枚全部バラバラのデザインで
使っています。

それは、
皆さんに色々な用途をもって
使ってもらえたらと想ったからです^^

しかも、
今回の七福神は
ちょっと今までのハタタケルの世界では
無かったものだと想うので
可愛く使ってあげて下さいね^^

中にはしおりがおまけでついていますが
これは本とセットで使ってね 笑



そんなこんなで

今年も締めとして
ちょっとした皆さんへのクリスマスも兼ねた
プレゼントになれば
いいなぁと

そんな風に想います。

という感じで、

また来年からも色々とあります。笑

皆さん、
どうぞお楽しみにしていてね^^









今回はそういうことで、

ちょっと早く月記を載せましたが。。



実は今年は

ハタさん、日本ではなく
海外で年末を迎えてみようと想いまして。。笑


それも、

ただいくだけではなく、
自分の感性を磨く為の機会としての
意味もこめて。


こう言った一つひとつのことを
自分のものに取り入れて
吸収しようと出来ることが

僕にはとても大切なようです。


なので、

またこれからも皆さん、
楽しみにして見守っていてくださいね^^

そして、

そんな皆さんと一緒に
来年もその先もずっと
成長してゆけること。

それが僕にとっての何よりもの
喜びであり、
幸せでもあります。


皆さんがいつの日も
そういった中で
幸せになってもらえるための
きっかけを

一緒に創っていってもらえたら
これほど幸いなことはありません。


また皆さん、
来年もどうぞよろしくね^^


そして、
皆さん、いつも本当にありがとう♪


この今の僕があるのも、
いつも皆さんが
温かい心を下さっているから。

そして、

そんな温かい心と同時に
たくさんの声を届けてくださっているから。

僕はだからこそ
また頑張ろうと思えます。

そんな皆さんがいてくれること
皆さんと一緒に歩いてゆけることが

とてもありがたいことなんです。


どうか皆さん、
たくさんの笑顔を創ってゆきましょうね^^



それでは皆さん、


また来月、
2007年の新しい年に
またお会いしましょう!



皆さん、
いつも本当に、ありがとう。


たくさんの想いと、

その感謝の心を


こころよりこめて。。






























































































新年のめぐりのなかで



僕たちが

育むきもち

















大切にしたいこと





捨ててしまいたいこと







覚えておきたいこと







無くしてしまいたいこと。。











誰もが抱いている



過去という

記録を


無くすことなど

誰にもできないというのに






僕たちは

いつも





そんな気持ちを持ちながらも







この今を

懸命に



重ねている。
















僕達が




新しく明日を迎えることが



今を変えるための

手段であるとしたら、



変わらないことなど
ないことをしることもまた



僕たちが幸せになる為には

必要なこと。









変わらないものがあるとしたら、


変わりながら

変わらないものを大切にしてゆける人に



なってゆければいい。






それを出来る人は


真に


心を持っている人。






そして、



それを

知るために、


人は今日もまた



たくさんの葛藤の中でこの今を



歩いているのだから。






















新しく朝日が昇るとき



僕たちもまた



新しく自分を迎える。






決して何が変わるわけでは

ないかもしれないけれど、



少なくとも

僕たちは




この今を生き、


そして、



この今を
自分なりのペースで


歩けていることだけは




大切にしたい。











この今がいつか


希望にかわるとするならば、






僕たちが


日々を重ねてゆくことは


きっと



その希望への
種まきをしていること。







そして、




あなたの中にいてくれる


希望という名の神様が



いつの日も



あなたに希望の光を


与えてくれるように











僕はまた



今日という日を踏まえて



あなたへの祈りの言葉として



この今を重ねてゆくよ。













今日もぼくは


あなたと共に在る。










その心に感謝のおもいと






その魂を







このことばにこめて。









今ここにいてくれて


ありがとう。







そして、




心より




新しい年をおめでとう。













あなたが欠けても

この世界は周ったとしても





あなたがいてくれてこそ


この世界が今も周っている。








そんなあなたは


いつの日も、


希望という名の






一筋の光なのだから。
(2006.12.30)
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