2007年05月の日記

青空の下、あなたが誰かを思い出す時のように。














街に目を凝らすと



所々に咲き誇るアジサイたち。





もう季節も春から夏に変わりつつあり、


すっかり雨も多くなったような気がします。






沖縄は5月の中旬には

既に

梅雨に入っているとかいないとか。




これで、
もう明日には6月と思うと




また今年も折り返し地点になってしまったなぁと



みんな
実感するわけですな。






でも、

今年は僕にとって
とても濃い気がする。


まだ半年しか経っていないのに

一年以上の月日を重ねたような気持ちになるのは


季節のせいなのかなぁ。






まぁ。。。

ちょっとそんなことを考える




今月のハタタケルです^^






皆さん、

いかがお過ごしでしたか?







5月病とはよく言ったもので

季節の変わり目って



どうもエンジンがかけにくいらしい。




それは

寒かった日々から

ほんのり温まり出す時期であるからでもあり、





そんなときは


ちょいっとうたた寝をしてしまっても


しかたないなぁと

考えるわけですよ。




そんなこんなで

今日もうたた寝したい気分に捕われている
僕なわけです。




さ、さぼってなんかいませんよ。


サボってません!



ほんとに。




....ぐぅ。





あ、今

雷鳴った。



すっかり夏到来ですな〜。






では、こんな調子で



今回もさくっと話を変えて 笑







今月も月記に入りましょ〜か!




































最近、






といっても
結構前からですが、




僕はちょっとした毎日の時間の中に


自分と向かい合う時間を



必ずといっていいほど




とっています。







そのウエイトは



10分でも

30分でも


1時間でも


2時間でもいい。




自分とひたすら”向かいあう”





...というわけです。




その理由はいたって簡単。




自分と向かいあうことが



僕にとって


なくてはならない



人生をよりよく自分の足で

踏まえてゆく



手段であるからです。






もちろん、


皆さん、日々

自分の知らないところで




自分と向かい合っています。






嫌な気持ちに
押しつぶされそうになったり


いい気持ちに
呑まれそうになってみたり


不安やいいようもない苦しさに
捕われそうになっていたり



はたまた、



心地よい気分の中で
自分を浸らせてみたり




その形は

その日その日で
変わってくるものです。




それは

一つの




自分と「向かい合っている」





という状態です。








しかし、



僕が向かい合うという時間は





ちょっとそれとは


違います。







それは、

徹底的に「自分ひとりの時間に浸る」




ということです。






何をするわけでもなく、




ただ目を閉じて



自分と向かい合う。





俗に世間一般的に言う



「瞑想」
(メディテーション)




っていう

ものに近いわけですね。






とはいうものの、


僕はその状態を


瞑想だとは思っていませんが...。





それが


僕にとっては



「自分との対話」


という表現なわけです。












さて、




では
この自分との対話ですが、



これをしたところで


どうなるか。




普段、

こういうことに慣れていない方には




これは
辛いだけかもしれません。






なぜなら、





自分と向かいあうという作業は


周りから見たら

徹底的に自分を「孤灯」な状態に



置く作業だからです。





あ、かといって僕は


決して何かの修行を
自分に課している


わけではないんですが 笑






なぜ僕がこのようなことを

行っているかというと




単に自分が


「心地よい」。






それだけだからです。




しかし、


この心地よいという感覚は

ただ単に


「自分に都合がいい」



というものとは違います。




この心地よさという中には



もっと
深いものが入っているような気がします。











人はなぜ、


突然
不安に襲われたり、


孤独を感じたりするのか






皆さん、

考えたことがありますか?







僕は昔、
これがよくわからなくて





散々に悩みました。







そして、





結局
苦しいものを苦しいものとして




受け止める以外に


自分の答えを見つけ出せる手段が
ありませんでした。




だから



その状態を引きづったまま



後はひたすら


時間が過ぎるのを待つだけ。








どんなにあがいても



その状態からは抜け出せません。






ひどいときには



全く問題解決にもならないのにも


関わらず、





そんな自分の視点や
意識を



外にずらすことによって




どうでもいいことを



行なったりしていたものです。








しかし、

こういうことをしている限り、




自分が求めていた答えには





たどり着けることはないんだなぁと




ふと
実感したとき、






僕は

自分の痛みや辛さから


逃げようとすることはやめました。






そして、




何かに没頭「させる」ことで


自分がその気持ちから


紛らわせようとすることもやめました。






なぜなら



その答えは



やっぱり
自分の中にあったからです。





そして






その答えを外に求める限り、




自分が欲する答えから



遠ざかっていることに




気が付いたからでもありました。










僕はこの



自分のどうしようもない




いいようもない


何の理由もない



孤独や


不安


辛さ



悲しさを感じることを





「魂の飢え」







言っています。







しかし、




人間は一度や二度



どんな人であれ、





これを感じたことがあるはずです。





しかし、



なぜ

これが起こるのかが



昔、
私にはよくわかりませんでした。










自分の環境や生活に



何かしらで満たされているのにも


関わらず、




何かが足りないように思う。




何かが違う。








そう想ってしまうわけです。













今まで色々な人を見てきて


僕が思うには、






これは

生活が

満たされていそうな人ほど





そのような傾向があるようです。








つまり、


ただ何かを不自由なく

与えられて育ってきた人や





そこにある本質だけではなく

形を自分の中で取り繕うことを


頑張って成して来た人





決してそうであることが


いけないわけでは

ありません。






ただ、


結果としてだけみると




その欠けている

「何か」のために



悩まれている方が


そのような人の中に


多くなったように


見えるからです。








では、


それは

一体何なのか。








それは





僕は決してないものねだりではないと



思うのです。











では、




まずは僕は自分のことを考えました。







そして


思いました。







僕は



自分が

その「何か」を



感じていることに



まずは




「正直になろう」



と。









そうやってゆくと



自分が自分に対して





つまり、






自分が心や






もっというなれば、




心のもっともっと奥深い部分で



感じている



「何か」



その何かにたいして




自分は正直に行動してみようと



思ったのです。



















そうしてゆくうちに



今日の


僕ができました。









では


先ほどの自分と向かい合う



ということへの



お話に戻りますが、




僕は




何と向かい合っているかというと




もう少し詳しく言うと




「自分と」ではなく、




自分の中にある




この深い部分の



「心の声」







言い方を変えると



「魂」




だと思っています。







人は何かを満たされたいと



思うと



同時に、




「何物にも
 満たされないもの」を



つい


感じてしまうときが在ります。






それはどんなものでも



なにをもってしても




埋められない




「何か」


です。







もしも



自分の魂や心が剥き出しになって


生きている人であればあるほど、



その傾向は強いことと思われますが、





その満たされないものって


なんだろうって



思ったとき、






一つ実感したものが在ります。









それは、



「誰か」や

「何か」との



”つながり”を




人はいつも


どこかで求めているような

気がしたのです。











つまり、




いつも何かと



”つながっていたい”という

気持ち。







自分が”一人ではない”ということを


確認できる



そんな気持ちなわけです。










今の人たちの傾向の一つに


携帯電話というものがありますが、



この携帯電話は



人の心理を

よく現しています。





つまり、

いつもどこでも

連絡がとれる




というのは、







いつもどこでも

繋がっていたい





という現れ

でもあります。








そう、


人は基本的に



淋しがり屋なんです。





が、しかし、


それは


「弱い」こととは違います。



ここがポイントです。



人はどんなに淋しがりやでも



それが


弱さだということには

ならないのだと


僕は思っています。



なぜか。




それは



さっき人は


「基本的に寂しがり屋」



だと言いましたが、




これは


”本質的に寂しがり屋"




であるからです。







人は


もともと魂や心というものを

持っていますが、





それらは



全て

「一つ」の




大きな「魂の塊」




みたいな所から




来ていると


僕は思っています。







だからこそ、



本来ある(魂の)「状態」



そこから離れてしまっている


状態そのものが、





”寂しく”あるわけです。





魂が元にいたところに


戻ろうとする限り、




必ず



つながりをどこかで求め始めます。











それこそが




一人ひとりの



人の持っている





「魂」という


形だと




僕は想うのです。









なんかこういうことを書いたりしていると



とても


おどろおどろしいもののように


見えるかもしれませんが 笑





しかし


みんな普段気が付かないところで




こういったことを

目にしたり、



または


何気なく



聞いたりしているものです。








例えば、






「人は皆どこか深いところで繋がっている」







なんていう言葉を



聞いたことがありませんか?








僕は昔、

学生の頃か



それをどこかの本か何かで



みたのですが、






その時、




「そうなのかなぁ。」





ってぐらいに思っていました。





いや、


そのぐらいにしか


思えませんでした。






でも、




それを聞いたりみたりしたのは



一度ではなく


様々な色々な所で





それから年を重ねてゆくたびに




目にするようになったわけです。












が、




その意味が、



「頭」では理解できるようには



なった言葉ではあったのですが







ただ、


それを




心の中で、


「実感として」理解するには





至りません。












だって、




もしもどこかで

繋がっているとしたら、






辛いときや苦しいときも





人間は




その繋がりを

思い出せるはずでしょう?






例え繋がっているとしても



僕達がそれを



実感できなければ



それは結局


独り善がりなだけのことであるし、





そして、





それが本当だとしても




自分の「思考」を納得させることはできても






自分の


「心の深いところ」までは





確信を抱く所までは





たどり着けないのです。







そして





今だからこそでも


あるのですが、






そうやって
言葉を書いていた人たちや


言っていた人たちであっても、






それを



「本当に」


理解している人たちが



どれだけいるのだろうと




そんな風に思うわけです。











しかし、




この言葉は得てして




とても




的を得ていることも




最近、



感じるようにもなりました。














「人はどこかで繋がっている」




という言葉。






それは、


僕がわからなかったのは




「人と人」とが


全てどこかで繋がっている。




ということにおいてでした。






しかし、


この本質はもっと別なところにありそうです。






僕達が何故

淋しさや不安、



そして、


自分を信じることが

辛くなったり、




いきなり

どうしようもない

孤独に苛まれたり、





そして、




いいようもない

虚無感に




捕われてしまうのか。






それは、



外的な要因だけではなく、




本当に深い部分の自分の中に


その要因があるように思えます。






つまり




それが、


「自分との対話」なわけです。










僕が


自分と向かい合って




何をしているか。







それは




自分の中にある色々なものに


出来るだけ

「素直になろう」と

耳を傾けているだけです。







つまり、


自分の内に篭ることで



自分が「発している」声に


敏感になろうとしています。






そして、


自分が「発している声」に

できる限り耳を向けて

あげようとしているのです。











例えば、





自分に対してや

環境に対して




「自分」が一番ストレスを



感じるときって



一体どういうときでしょう。










それは



自分の心とは反することを



「現実の自分」が


行なっているときです。






これは



知らないところで自分を保護する為に



それに気付かないような

自分を作ろうとします。





しかし、




これを大きくしてゆくと


結局、

そのひずみが大きくなり、




自分の中でのわけのわからない葛藤や



不安、孤独に捕われるわけです。






ただ、



ここで間違って欲しくないのは



決して

僕は自分に「我儘になりなさい」と


言っているわけではないんです。




自分を甘やかして下さい



という言葉とも違います。








自分が求めている

「何か」に対して



正直になって目を向けてあげられる


その「勇気」を


大切にして欲しい



ということなのです。









それがわかったところで

どうなの?



と、

思うところもあるかもしれません。





しかし、



この「わかったところで」


ということが


大切なのだと僕は思います。







つまり、



自分が

わけもわからずに苦しんでいるのと



自分の

「わけがわかった上で」苦しんでいるのと



では





その意味合いが大きく違ってくるからです。




そして、




自分の中で「認識」出来た部分、


つまり



「思考」ではなく、


「心の深いところ」で



自分の声を理解できた部分において






現実はすぐに変えることはできないに


しても




自分の思っている悩みや


心の飢えに対して





それは



あなたにとっての



大きな前進をしたことになります。










もちろん、





中にはこれを見ない振りをして


過ごす方もいらっしゃると


思います。





そんなに


正直には自分は生きられないと



いう方もいらっしゃると
思います。





むしろ、

今の世の中



自分をなるべく
見ないようにして生きている方の方が



もしかしたら


大半なのかもしれません。







しかし、


僕は思うのですが、






確かに


自分を見ないようにして生きようとすることは



時として


生きてゆくためには必要な

手段でもあると思うのです。




が、


これは

同時に




それは出口の見えない出口に


自分を無理やり押し込んでいることにも


なってしまうように





思うんです。








それは、




当時


昔の僕がそうだったように。










しかし、







僕が言っていることは


決して


難しいことをしてください



ということではなく、



いたって簡単なことです。








つまり、






自分と日々、


向かい合う時間を



沢山持ってあげましょう


ということです。







自分と向かい合う



ということは




日々、自分が溜め込んでいる


色々なものを昇華する


という作業でも在ります。







メディテーションの話をしたとき、


「私は無の状態になることが
 できないんですけれど、
 どうやったらいいんでしょう。」


という方がよく

いらっしゃいますが、






何も瞑想とは

「無」になりましょう



ということを言っているのではないと


僕は思います。





大切なのは

無になることではなく、



自分と


自分の中にある様々な感情や声


魂と「対話」をすることです。





その最後に「無」という

平穏無事な世界が訪れるという


形になるのが


理想的ですが、





その時点では


あなたはもう悟りを開いている段階なので



そこまでしなくても
いいと思います 笑






悟りというのは


一種の

解脱です。




解脱、というのは、


簡単に言えば、




無我の境地。



我を捨て、

人間であることから


開放されましょう



ということ。








確かに


人間であることから


抜け出せて





より高貴に



そして、


より強くて


優しい



何にも囚われない

魂を持てれば



それに越したことはありません。




それは


本当に素晴らしいことでもあると



思います。






ただ、しかし、






僕は


人間であるのに



人間であることを



全て無くそうとする必要は



ないようにも思えます。







だって、



人間は人間として生まれて




人間らしく生きるところに




色々な葛藤があって、





そして、



色々なことを考えたり



悩んだりするからこそ



その人間に生まれてきたことへの


意味や役割があるのであって、





皆が皆、



俗世界から離れることが





必ずしも

いいことではないのではないかと






そんな風に思うからでもあります。








それよりも、




僕にとって

大切に思うことは






人間であることを

大切にしながらも





より

自分の中にある大切な



「何か」を




つまり






そこにおける
精神


思いやりや
温かさ

安らぎ
感謝
愛おしさ
喜び...




などを





「頭」ではなく




この


「胸」で



「心」で




もっというなれば



「心の奥の底の底の底」の



部分で




それを感じながら


日々を生きてゆける




人であれたらいいですね、





ということだけなのです。






それは


決して人間離れしましょう



ということとは




ちょっと違いますよね 笑







つまり、


人が「幸せ」と


感じることは


その自分の気持ちの持ちよう








捉え方やものの見方



という言葉がありますが、





これは




もっとそれに付け足すのであれば、




こういう精神状態が

日々
自分の中で育まれているのであれば、




自然と



周りがこのように見える。




ということです。







つまり、





これが



人が

「幸せ」と



本質的にいえること。





そして、



自分が


自分の声を聞いて


それを実行し



そして、


何かしらを



「誰か」や

「何か」を通して



自分が


”生かされている”


”必要とされている”







感じられたとき。









そういうときに初めて、




本当の意味での




幸せって





人は感じることができるのではないかなぁと





そんな風に思います。














そして





その形は


大きい小さいではなく、





人それぞれの形があります。






でも、




それが



大切なんですよね。





だからこそ、







どうか





あなたなりの幸せを見つけてください。




という一言に尽きます。





そして、




そのためにも




自分と向かいあい、




その自分が何をあなたに




伝えようとしているのか。





それに耳を傾けてあげる時間を



一日ほんの少しでいいから





気が向いたときにでも





もってあげてくださいな




ということなのです。












なんだか




ちょっと難しいような話にも



みえますが、






すごくすごく

シンプルなこと。




そして、



僕自身もまた、


その”シンプル”なことを



シンプルに





大切にしたいなぁと





日々の中に自分と向かい合う時間を




必ず持っています。





どんなに忙しくても。






そして、




それがとても







心地よいのです。






だってそれは




自分が欲している何かを





「理解」できることだから。












どんなに心が疲れて




真っ暗に染まろうとしても




その中にある


ちょっとした



何かしらの「光」や「灯火」を





向かい合うことで



ほんの少しでも



見出せたとしたら。




これは



とても幸せなことですよね。








そして、






また


それが最後にまた


何かに






感謝を感じられる





そんな心を取り戻せることでもあり、



そして、



それが



”色々なもの”との 



「つながり」を感じられる




ということなのだと




思います。



















どうかあなたの中に






木漏れ日のような




温かい優しさが


いつの日も





差し込んでいますように。









心より願っています。











































さて、





こんな今月の月記でしたが、







なんだか最近の月記、



ちょっと深いですか??






もしも難しくなってしまっていたようでしたら


ごめんなさい。







でも、



ちょっとしたきっかけになればと

思っているので



何かしらの糧にしてくださいね^^





















さ〜て、



そんなこんなでしたが、







では

ここで今月のインフォです!







まずは




早速



早くも明日(2007年6月1日)のことなのですが、



明日


講演会を19時より


支縁塾さんで行ないます。



今回は


僕自身がインドにて経験してきた

様々なことや


考え方


そして、



よりもっと深い「生きる」ことへの

本質に触れた話をしてゆければと


そんな風に思っています。




ちょっとスピリチュアル的な話も
含め



インドでの写真を色々と持ってゆく

予定ですので、


どうぞ楽しみにしていてください。




また色々と考えたり

人生の見方に対して

よりよく変わってゆける




そんなきっかけに変わってもらえたらなぁと




そんなことを思っています^^





当日も飛び込みもオッケーですので、


会社や学校の後にでも


気軽に遊びに来てね!



詳細はこちらっ!



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インドの聖地を巡って旅をしてきた
ハタタケルが、特別講演を行います!


今回は、インドで撮った写真や
そこで得られた体験、また、
その地での『学び』を含めて
皆様にお話をしたいと思います。

「人が今を生きる意味」や
「あなたが生きる目的」など、

これからの人生を歩いてゆく上で
今までの日常の中では気がつかなかった
新しい発見や視点を見つられる

”きっかけ”に
変わる時間になってくれると
思います。

どうぞお楽しみに。

   

◆詳細

【日 時】:2007年6月1日(金)

19:00〜21:00

【場 所】
:志縁塾セミナールーム『ふらっと』
 都営地下鉄・浅草線 宝町 徒歩1分 A6出口
 営団地下鉄・銀座線 京橋 徒歩3分 4番出口
 JR東京駅(八重洲口)  徒歩10分
 <住所:東京都中央区京橋2−11−5
 パインセントラルビル2F>

問い合わせ連絡先 
03-5159-0711

当日参加も可能です。

 
【参加費】:2,500円(一般)/

 2,000円(NPO会員)


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そして。










今月は実は

皆さんに重要発表があります。










それは何か。










それはですねぇ、、





かねてより


ずっと考えていたことなのですが、





今回ようやく一つ


形にしてみようかと
思ったことがありました。






それはですね、






もともと

色々な人の悩みや話をきいてきたとき、


行なってきたことなのですが、





その僕の

手段の一つとして




「手相」というものがありました。




そして、


それは相談を聞いただけではなく、


2、3年前から
様々なところで



かなり多くの人に

私自身が行なってきたことなので、



もしかしたら


僕が手相を行なっていることを

よく知っている方も多いかと思いますが、





実際に


「手相鑑定だけの時間を持って欲しい」


という方の声が



今年に入ってから
とても


多くなりました。






始めは

それを断っていたのですが、



逆にそういう形
だからこそ


相談にのって貰いやすい

という方も


出てきました。







それで

色々と考えてみたのですが、



そこまで求めてくださる方が
いらっしゃるのであれば



今回がタイミングかなと


思ったので、





「本格的」に


手相鑑定だけの時間を



アトリエにて


開こうと思います。






そして、


それは手相だけではありません。


実は


色々な相談にも載ってきたことの中に


様々な形を僕自身

(自分のことを含めてですが)




今まで行なってきたことがありました。



それは



「姓名判断」



「気学」(九星、方位)


また、


「霊気」


と呼ばれる人の気を改善させる
手法




これら

僕が出来ることの全てを生かして



その人自身にとって

プラスになる個人的なお話を


もってゆきたいと
思います。




ただ、

前もって
皆さんに間違って欲しくないのですが、


これらはあくまで


その人が本来元々持っている


データー基づいて話をすることであり、


「統計学」であることを



忘れないでいて欲しいのです。




そして、



これらは


皆さんにとって人生をよりいい方向に


導く為の一つの”きっかけ”であり



その”きっかけ”であること以外の


それ以上でもなければ


それ以下でもありません。



ただ、

僕が皆にしてあげられることの


僕が従来やってきたことへの

その入り口の一つとして、





今回、「手相」という方法の


窓口をもう一つ、


公に
皆さんの元に

広げたに過ぎません。







ですので、



何か相談を持ちたい方や


迷っている方、

悩んでいる方、


今の現状、

自分を知りたい方は



是非、いらして下さい。






そして、



これにあわせてですが、


今回からアトリエの
スケジュールに関しましては



このようにするように

致しました。





平日の週で

一日だけ必ず

「手相鑑定だけ」の日を

とります。



その日は

スケジュールの方に

「手相鑑定」



書き込んでおきます。


今のところ、


時間は15時〜19時、20時の間。


この間は

申し訳ないのですが、


手相鑑定としての日になりますので、


手相鑑定をしてほしい人以外は

アトリエには
入れないことをご了承ください。



そして、

時間は必ず

一人につき
「30分」までと

します。


鑑定につきましては

来られた人から順番にしますので、

予約とかはありません。


もしも
予約という形が必要になってくるときには


その時点でお知らせいたしますので


どうかご了承くださいね。





きっと皆さんにとって

人生をよりよく
新しい見方ができるようになれる


そんな
大きなきっかけにも

変わってくれると思います。



もしも

ご希望の方は

平日のアトリエの空いている時間に

お気軽にいらして下さいね。





また、




従来のアトリエに関しましては


今まで通り
土日のお休みのどちらかを

開放致します。



この時間帯はいつもですが、
13時から18時までです。



また、


平日でも
アトリエとしてだけ
あけられそうなときは



手相鑑定と「書き込まず」に


スケジュールに


載せておきます。






この間は
今まで通りと同じですので、


プレゼント用や
自分用の
言葉を書いたり、
話をしたりと


皆と一緒に
色々なことを交わせる時間に
なれたらいいなと思っています。





またスケジュール等は

どうしても僕の予定で左右されてしまうのですが、


その度、
Hpのスケジュールにて
お知らせいたしますので、


皆さん、
どうぞよろしくお願いいたします。



どうぞ
楽しみにしていて下さいね^^







また

秋口に向けて

色々と僕の方でも動いています。



7月1日には

ハートもあるしね^^



こちらも前回以上の
内容をみんなの下にお届けできるように


僕達も頑張っているので


是非楽しみにして遊びに来てください。


場所も新しくなって
素晴らしいところだからね。


チケットまだの方は
お早めにネ!


情報はこちらっ


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『Heart to Heart』
2007年7月1日(日)
恵比寿 天窓.switch(http://www.otonami.com/ebisu/map/ )
OPEN 11:00 / START 12:00
チケット:
\3,000-(D代別¥500-)
チケット予約:
恵比寿天窓.switch tel.03-5795-1887
営業日の16:00-22:00に受付

予約受付開始:5月13日(日)16:00-
※今回はチケット販売はありません、
チケット予約のみとなります。
お求めの方はお早めにどうぞ。

開催当日の7月1日(日)10:30からエントランスで
チケット引き換えを開始します。

また、同じ場所で10:30からグッズ販売、
ハートギャラリー(作品展示)を
予定しています。

新しい空間での新しいハートをお楽しみに。

ご来場お待ちしております。


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皆、是非お楽しみに♪




















さっきまで


カチャカチャと

月記を綴っていたら


いつの間にか



雷と雨が止んでました。



こういう時の
雨や雷って



時に


ちょっとした自然の音楽に


なるんだよなぁ。



雨の音と


雷の音


嫌いな人もいるかもしれないけれど 笑



時には


窓に寄りかかって

雨の音に


自分を委ねてみるのも




ええんでないの??





...とハタさんちょっと


お薦めです。笑




昔から

雨の音が好きだったんだよなぁ。



なんかこう



包まれるっていうか



浸染みるっていうか....






これからの季節、


雨が嫌なだけではなくて


ちょっと


雨とお友達になれるような




そんな過ごし方が出来るといいね〜^^







ではでは、





今日はそんなこんなで



また来月!





来月はどんな感じになっているかなぁ〜






また


みんなと一緒に



心を語れることを


楽しみにして。。。










みんな、



いつも本当に、







ありがとう。。

























































































































































雷が鳴る頃に





僕は


遠くの人を





思う。














この雷が鳴る時に





 

何を感じて








何を憶えて










何をしていて










何を考えているのか


















雷は



そんなことを




まるで僕に考えさせるように






問いかけの問題だけを








置いてゆく。

















でも




その瞬間がなんともまた








嬉しいんだ。






























































あなたが






闇を照らす太陽を






心に抱いているとき、














きっと




この世界は




何を見てもまぶしく



そして、





綺麗に見えると思う。












そして、







その輝きが







きっと







見知らぬ誰かを




救ってくれていると







思う。











それは



あなたが





だれよりも




その痛みを知っている人だからだと












僕は思うんだ。




































また今日も雨が降り出した。













真っ暗な中






この世の全てに


降り注ぐように。









でも、





きっと





その雨もいつか止むときがくる。










あなたが



誰かの中に




光を見つけられるのであれば、







そんなあなたもまた







自分の中にやがて





光り輝く



大きくて優しい灯火を






抱き始めるから。











そして、








そんなあなたのことを


いつも見守っているよ。

















心の晴れた



青空の下。












いつもあなたが
誰かを










思い出す時のように。
(2007.05.31)
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