2007年07月の日記

光がみんなを包むとき、光は空へと還る。


























耳を澄ますと



どこか遠くでヒグラシの声が聞こえて



もうすぐ今日も一日が終ろうとしていることに

気が付く。







この都会にも



こんな鳥の声が聞こえるんだなぁと



つい、その声に


身を委ねてしまいたくなる。









毎日がただ何気なく流れてゆくことや

ゆっくりした時間の中で


今を過ごしてゆくこと。



時として


それが嬉しくもあることもあれば


少し淋しさを感じることもあり



時代の中で生きた人々や、

自分と向き合って何かを作って
きた人とはきっと


そういった部分も含めて今を生きることを
楽しんでいたのだろうなぁと


そんなことを

流れる夕陽を見つめて
思っていました。





さてさて、皆さん、


いかがお過ごしですか?




こんにちは、ハタタケルです^^



最近、色々と変化している時期に
来ているようで


妙に色々なことが変わり始めているようです。



それは僕だけではなく、

周りの人たちが皆、何かしらで


変化をしている。



しかも、急激に。




多分、
そういう流れなのでしょうが、


時代が変わってゆくような

そんな動きやうねりすら感じています。




みんなの周りでは
何か変わったこととかは

ありませんか?


でも、


そういった一つひとつを含めて
いい年を重ねてゆきたいものですねぇ^^








っと、


さてさて、




僕のブログを見てくださっている方は

ご存知かと思いますが、


先日、富士山に登頂してきました!






なぜ富士山に登ったのかというと

簡単にいうと、

まぁ....


多分、ご縁でしかありませんでした。笑




もともと、僕はあまり富士山に登る気持ちは
初めのうちは
なかったのです。


でも、その流れにまかせていたら
あれよあれよと富士山に登ることになって
いってしまいました。


僕はこういうことが結構、
多いです。


でも、
富士山に登ってから
僕の中でたくさん色々なことが見え始めました。


たぶん、行ったら行ったらで
一番楽しむことを分かっていたのも
僕でした 笑




ということで!


今日はほやほやの

富士山紀行の話を皆さんにお届けしちゃいたいと

思います♪


せっかくなので

皆にも感じたことを


おすそわけしないとね。


結構すごかったんだよ〜

これがまた...。

















もともと、

僕は長野県出身ということもあり、

昔から色々と山は登っていました。



子供の頃、

学校で行ったこともありますし、

友達だけでキャンプに行った
こともあります。


そして、


大人になってからも
屋久島や何やらにでかけたとき

一人で目の前の山を制覇したことが

ありますが、




僕の場合、山に来ると大抵

元気になります。


どうも昔からのなじみなのかどうなのか。



僕にとっては

素直に山からたくさんのエネルギーを
受け取ってゆけるような


山は
そんなパワースポットのようで


特に今回の富士山の場合も


僕にとってみても
ちょっと特別なところでした。








毎回、

山を登ってゆく度に思うことなのですが、


山登りは人生を歩いてゆくことと

本当に
よく似ているということです。







一人で山を登るときというものは


その都度に思いますが、




それは正に


”自分との戦い”




です。




自分と嫌でも向かい合うことになりますし、

自分の色々なことを浮き彫りにさせます。


自分との対話や

自分の中での様々な日常への思いが



ふつふつと思い浮かんでは


消えてゆくわけです。





今、

月記を書いているときにふと
思い出しましたが、





屋久島の山の一つに


「太忠岳」


という霊山があります。





屋久島は元々霊山が多いわけですが、

その中でも地元の人たちが
昔から霊山として奉り、

何かあるたびに頂上に行き、

その頂上の祠にお祈りをしに行く

という伝統があるのです。(今でもね)



んで、


そんな霊山が太忠岳を含めて

屋久島には

大体7つぐらい存在するのですが、


僕はこれもたまたまご縁があって

そのうちの一つの太忠岳に一人で一昨年あたりに
登ったのですよ。




そのときは結構
勢いで登ったところがあって、


今でもよく憶えていますが、
登る前、

ポケットをみたら

一箱のチョコボールと、

かむかむレモンというお菓子しか

ありません。


全くの準備、ゼロ状態です。笑

(もしかしたら昔の月記で書いたかも。)


でも、

僕は軽い気持ちで
登っていきました。


あまりにも無謀でした。



登る、といっても
その太忠岳は、ほとんど獣道です。

行きの頂上までに大体、4〜5時間、

下山に大体、3時間半から4時間と言われていました。



誰一人、人に会わないのです。


行きも帰りも。



会うのは、あえていえば



鹿と猿だけ 笑



そのぐらい、結構佳境でした。


(みんなも機会があったら是非
 登ってみてね。準備してからネ 笑)



で、その時、

山に登っているとき色々なことを考えました。



もしもこれで
遭難したら誰にもわからない。


助けてくれる人もいないし、


道に迷ったらどうするのか。



な〜んてことを


一人フカフカと
そんなことを考え登りながらも


途中から雨も大粒に降ってきます。



しかし、



僕はそういう不安を抱えている反面、



とても嬉しくなりました。



いや、

愉しくなってきたのかな。



なぜだか全くというほど、

淋しくならないのです。


むしろ

わくわくする気持ちがたくさんでてきます。




そして、自分と向かいあう、
ということを
本当に出来ることというのは

こういうときだからこそでもあること。



僕の中に芽生えた冒険心を

育てながらも、

一つひとつ踏みしめて

登ってゆきます。






山登りは自分と向かい合う

とてもストイックな世界。



なんだかんだ言いながらも、

途中、


安易な気持ちで登ったことを軽く
後悔したときもありましたが、笑



逃げることもできないし、
かといって
中途半端にもできません。


自分を言い聞かせて
そして、
自分を奮い立たせて


頂上を目指してゆきます。





そして、


ようやく頂上にたどり着いてあたりを見回した時、

僕は今までにない感動を憶えました。




自分で乗り越えて、

踏みしめてきたからこそ、



得られたもの。





それは

僕にとっていつの間にか
人生を歩く上で大切なことを



たくさん教えてくれていたのです。



それは今でも


僕の中にしっかりと

息づいているように想います。







そして、


山の頂上に上ったとき、

その場で色紙にスケッチをし、


(太忠岳の上には
 物凄い大きな一枚岩の自然塔がそびえ立っていますよ。
 感動物です。)



頂上のどこかにあるといわれる
村の集落の人たちの

祠を見つけ出しました。



この祠を見つけたときの感覚も
ちょっとした

秘密探しです。


かなり入り組んだところにあったので

きっとただ登った人達には
分からない場所に建てられていましたが、



そこには

昔からのお金やお酒が
置かれてありました。



そして、

僕はそこでお参りをし、



ヘロヘロになりながらも下山をし、

もう下に着いた頃は

真っ暗でした。


あたりには車一台、止まっていませんでした。



僕は近くを流れる


川に飛び込んで、

水に浮かびました。
(真似はしないでくださいね 笑)


ちなみに、屋久島の水はどこでも
飲めます。


素晴らしい透明度なんです。






それから

僕は陸に上がって


よく一人で帰ってこれたな、と
思ったことと同時に 

少し、自分をまたひとつ
大きくなれたような、

好きになれたような






そんな気がしました。








それを富士山に登ったとき、

久しぶりに思い出したのです。








ただ、


今回の登頂の今までと違うところは、

まず一人ではなく、

団体ツアーで行ったこと。



そして


僕の仲間達といったことでした。




一人で登ってきた登頂と
今回、何が違ったかというと、


ここで試されるのは

自分だけではなく、


そこでの人間関係や何かあったときの

お互いの乗り越え方、

力の合わせ方です。





皆にはみんなのペースがしっかりあるので

それにあわせて登ることも
求められます。

でも、

今まで一人で登ることも経験していた
僕でしたが、



僕にとって全く苦になりませんでした。



むしろそこにあったのは

また違った意味での達成感でもありました。




もともと、


富士山は霊山として

日本を含め、
世界でも昔から

とても有名な山です。



日本人だけではなく、外国の方々も

そこにはたくさんいらっしゃっていましたが、


外国の方ほど、
普通、

そのあたりにショッピングに行くような
格好で登っていました。(すごい....笑)





ただ、それ以上に、
僕がすごいなと思ったのは


これだけ多くの人たちが昔から
富士山に登ってきたのは
ただ山に登る、という感覚とは

海外の人を含めても
全く違うのだな、ということでした。




そこには国境もなければ

人種もないのです。


つまり、全てを気軽に



受け入れてゆくだけの窓口の広さが

富士山には

ありました。




一見すると当たり前なことなのですが、

これは決して当たり前には
なれません。


だって、

山はラフな格好で登ろうとは


あまり想わないではないですか。




でも、


富士山だから、

逆にみんな気軽に来て登るのかと
想ったとき

(ただ単にそういう人たちはみんな
 何も考えていなかった可能性も大ですが 笑)



やはり富士山としての


知名度や存在の大きさをふと


勝手に、感じてみたわけです。














特に山に登るたびに思うのですが、

山は人の心をとても素直にさせます。




日常や都会の中では

みんな、心に壁を創って今を生きてしまう
ところがありますが、


山はそれら全ての人の心の壁を

素直に外してしまうような




そんな
不思議な力があります。



だから

会う人会う人、みんな
国境を問わずに挨拶をし、


そして、笑い会えるのです。





僕は今回もそれを感じたとき、

自分の中でも忘れかけていた感覚を

もう一度再確認できました。



それは路上での感覚とちょっと


似ていました。








これだけ長い歴史の中で

この富士を登ってきた
たくさんの数え切れない人たちがいて、


僕は「たまたま」今日、登っている。




人生の出会いもそうですが、

全てはみんな、めぐり合わせとご縁です。




その人自身が持っているものもあれば、

やってくるものもある。




でも、

このご縁が人生を決めてゆくといっても
過言ではないように


それは人との出逢いだけではなく、

このような山との出逢いや
何かの出来事の出逢いにも



同じことがいえるものかもしれません。






そして、



途中、

みんなで休み休み登りながら
8合目付近まで到着しました。



富士山に行って思ったのですが、

富士山って携帯電話の電波がちゃんと
入るのね。笑



ブログでもみんなにも一緒に
登っている感覚を味わってもらえたらなぁと

いう気持ちで


更新をしていたのですが、


電波があるかないかは
登ってみなければわからないところでした。





...が、



頂上に行けば行くほど、
電波は立ちます。


しかも、バリ3。



素晴らしき富士山でした。




まぁ、

これにも実は理由があるらしく、
電波は障害物がないところほど、

高く届くそうです。




なので、

富士山のように周りに障害物がないような
ものほど、
高く登れば登るほど、

電波が届きやすくなるそうな。


その理由もちょっと納得です。



(屋久島の太忠岳ではかなり圏外でしたが。)





それで、僕達は山小屋で一泊をしました。


















山小屋に入ると

たくさんの人たちがもう既に
そこにいます。



そして、


僕はあたりを見回して

すぐに目に入ったものがありました。




それは、


そこに祭ってある神様です。



しかし、皆さん、


そこに誰一人として

気にしていない。


というよりも

その存在すら

気がついていないようです。





そして、


皆さんが山小屋から出て行った後、

僕はその神様の前で手を30分ぐらい



手を合わせていました。



僕は特に信仰や宗教を持っているわけでは

ないんです。



ただ、

みんなにも大切にしてほしいと
思うものが在ります。


それは、

そこに神様や何かが
「存在する」ということへの

目線を向けてあげて欲しいという


気持ち。





この神様、

実はこの山小屋を作られた内の
一人でした。


聞くと、

山小屋は、最近出来たものではなく、
昔、明治時代、この富士山に
道を切り開いてきた方が何人か
いらっしゃって、

その山小屋のことを


「元祖室(がんそむろ)」と
呼び名がつけられたそうです。


今ではその元祖室は
山小屋として、


ただ、登頂をするための
人たちが泊まる場としての

名しか残っていないようですが、


その名前にはもっと
深いものがあります。


つまり、

この小屋は、昔、富士山を霊山として
切り開く為の役割を与えられた人たちが
人生を賭して、

その場を作り上げた、

というもの。



つまり、


そこには

自分ではなく、


「これからこの富士を登る為に必要とする
後世の人たちのため」に



自らをその杖として

提供した場所でもあるようです。





詳しい説明は受けませんでしたが、
それを僕は感じました。



しかし、残念なことに、

その山小屋で働いている人たちも
その神様が何故ここにいるのかを

あまり知っていないのです。



でも、

僕はこの祭壇の目の前で
じっと手を合わせていたら

不思議なことに、体がとても軽くなりました。


何を思ったわけではなく、

ただ、ここを創ってくださった方に
感謝の気持ちを伝えたかったのですが、



みんな、山に登るとそうなのですが、

何かしらの高山病にかかるようです。


僕も例外ではなく、
軽く頭痛を感じましたが、


手を合わせているうちに
それすらもそのうちに

無くなりました。



意識の問題とはまた違うところの
部分でもあったとは思うのですが、

それを感じたとき、

改めてありがたさを憶えたのです。




結構、皆さん

この世界にあるものは

目に見えるものしか、
目を向けられないことが

多いと思います。


もしも


目に見えないものに目を向けようとするときは

きっと大抵は

何かをお願いするとき
でしょう。



でも、


そうであるときも

そうでないときも、



そういう「何か」が

今のこの場や

この世界を創ってくれている


ということを

意識として少しでも

気付けたとき、

感じようと出来た時、


決して
何かをしなければいけないということは

ありませんが、




思わず

僕達は自然と手を合わせることを

大切にできるような気がするのです。





大切なのは、
何かを信じることよりも、

何かを尊むことができること。



何かを感じて、
そこに何かしらの感謝を感じられる



そんな心であるような気がするのです。





何かを信じるということは
時には大切なことも沢山あるのですが、


闇雲に
信じるがあまり、

盲目的になったり
周りが見えなくなってしまったりすると


これでは
本当に大切なことの意味が

変わっていってしまうようにも

思えます。






だからこそ、


ただ、


自分が生きていられる、
ということに

自然に感謝できる気持ちを



そっと

周りの何かや


周りの存在に


大切にしてもらえたらなぁと




想うんです。
















そして、






朝3時。




頂上に向けて
登り始めたわけです。




あたりは真っ暗です。



しかし、

下界は一面、小さく灯る灯かりの
粒がたくさん広がっています。




そして、


上を見上げると、
今までに見たことがないような

満天の星空。







今まで僕もたくさんの星空を見てきました。


長野県という場もあったのですが、

どちらかというと
空に近い場所で住んでいましたし、


世界中の各地でも


その星空を見てきました。









しかし、

この富士山で見上げた星空は
僕が今まで見てきたそれとは

また、違っていました。




いたるところで

流星がみれて、



いたるところに

星の小さな粒の輝きが



そこら中に見えるのです。




辺りが真っ暗ということも
あったのでしょうし、

それだけ標高も高く、

空気も澄んでいたということも
あったのでしょうが、


本来の星空とは

こういうものなのかということを

初めて、「実感」した感じがありました。


そして、

あたりは真っ暗で
心細い懐中電灯一つだけなのに




全く淋しくも怖くもありません。




何かに包まれているような
感覚。


やはり、



一人ではないことを
教えてくれているような




そんな感覚なんです。











少し空が

遠くの方で明るくなってきましたが、



その感覚は

不思議なものでした。






そして、

そろそろ夜が明けるころに差し掛かりました。



もともと、


25日の日から
梅雨があけ、
富士山も雨が降るわけでもなく、


かといって

暑すぎるほど青天なわけでもなく


本当にほどよい気候と天気で
登ることができました。



そして、


今も星空が見えるほど、
雲がありません。




しかし、



ここは富士山です。

天気の変動が
物凄く激しいものが
山です。




夜が段々明け始めた時、


いきなり


大きな雲が大空を一瞬にして
覆い尽くしたのです。




みんな少し

ため息をついていましたが、

僕はそう思いませんでした。


なぜだかわからないのですが、


絶対にご来光が見れることの
確信がありました。



僕達は実は

そのツアーでも朝遅く
上り始めたほうでした。


早い人は僕達よりも

1時間も早く登り始めています。


しかし、

僕達が登り始めて
雲がかかったとき、

頂上の方は雲がかかっていたのですが、



急にまた、下の方から
雲が引いていきました。


すると、

ものの2、3分も経たないうちに


また目の前の雲が


「ばっ」と

澄み通ったんです。




そして、

目を開くと。。







そこには

ご来光のあかりが

遠くの遠くの地平線に





広がり始めていました。










そして、
それから約3時間。


全く曇ることもなく、

雨が降ることもなく、


太陽の光が全てに降り注ぎました。
































みんな、



地上4000M近くから見下ろした景色って

どんな感じかわかる?







例えるならば、



花火や入道雲を

下からではなく

登ってくるのを上から見つめる感覚。




雲の上の上から

下に広がる山々にかかる雲を

眺めてゆく感覚。




目の前に真っ白い

雪原ではなく
雲原が広がって


今にも飛び乗って

そこを歩けそうな



そんな感覚




なんです。







僕達が生きている世界って
こんなに広いんだ。


そして、

こんなちっぽけな自分が

こんな大きな世界に生きて、


生かされていて...。




この見える世界の全てにも

また同じたくさんの命の
灯火があるんだ。






そう考えた時、

感じた時





僕はなんともいいようもない気持ちに捕われました。








そして、

そのご来光の光を一部始終、
見つめていたとき、

僕が今まで感動したことのない

感動が内からこみあげてきたのが
わかりました。


悲しくもないのに

淋しくもないのに


なんだか内から

涙がこぼれるんです。










聞くと、

ご来光が見れること

実は本当に難しいということです。



3回も4回も登った人でも
見れたことがないという人もたくさんいて、



中には

頂上まで
登れないことなんて
富士山にはザラだということです。





その理由は様々。


天候の理由もあり、


道が閉鎖されていたということもあり、


体調の面や思わぬハプニングやなにやら....




みんなそれぞれの理由がありました。




でも、

今回の登頂でこのような御来光がみれたことは

もう本当にご縁としか

いえないな、と


思いました。















僕は





僕たちは




こんなにも素晴らしい太陽や光を
毎日、毎日
見ているはずなのに、



その巡りの中で生きているはずなのに





本当には

その素晴らしさを知らないで
生きているんだ。



と。








そして、



その時思いました。








「この世界の本当に”すばらしい”ものは、

 どんなものも、
 自分ひとりでは何一つとして

 所有はできやしない。」







本当のすばらしさ、とは


自分が一人で抱えられるものではないんですね。






むしろ、

すばらしさというものは、


みんなと共にわけあえて、
共有できるからこそ、


本当の”すばらしさ”を感じることが出来る
ことになる、こと。







この感覚は
何かやどれかに

固執していては

分かりにくいものでした。







しかし、



それを超えるような感覚を
感じた時、

感じられる経験をしてしまったとき、


人生は
考えていた以上に


様々なことを
与えてくれて、そして、

色々なことを教えてくれました。









人生において、

想像性というものは


本当に大切だと思いました。



同じものを見ていても

人それぞれの感覚というものは

全く違います。




ただ、

何が正しいということもなければ、

何かを見たとき、

これを
感じなければいけない、


ということも何一つとして
ありません。








けれど、



その想像が豊かで、かつ、
よい影響が広がれば広がるほど、


その経験と想像は
自分の存在する価値や意味を

大きく変えていってくれる可能性がある。





なぜなら、それは

一人だけではなく、


それを感じた人と一緒に




周りの皆もまた
感じてゆけるためのものを




伝えてゆけるようにもなれる。






その想像が温かく豊かであればあるほど、

人生を彩ることがきっとできる。







それは

少し大げさにも聞こえるかもしれませんが、



自分自身や周りの人たちも含めて


今を生きる上での幸せの価値を
決めることにも


関わってくるように








そんな風に思うんですね。






考え方を良い方に
捉えようとすると人は

ストレスを抱えます。


そこには
無理が出てくるからですね。


しかし、

良い方に捉えようとすることよりも、



そこにある

「ありがたい」と少しでも
思えることに

目を向ける場や数が多くなればなるほど、



つまり、




そこに「気付けること」や

「気付こう」とできる
意識が広がれば広がるほど、


人生は限りない
広がりをみせるような

気がします。









そのために

色々な経験をしてみること。





そして、






経験をすることが
日常的に中々できるような
環境にいないとしたら





その中で
その経験をした人から
色々なものをもらうことや




自分の日常の中で
”感じる”という機会を




増やそうと意識してみることなのだと



思います。



















僕にとってこのご来光の
瞬間から、

富士山頂上に至るまでの
時間は






永遠にも変わるぐらい
僕の人生に影響を及ぼしてくれた






瞬間にもなりました。






























太陽は、わけ隔てなく

その光をどんなところにも降り注ぎます。






何かを拒むのではなく、

何かを否定するのでもなく、

選り好みをするのでもなく、





その「全て」に、
光を与えます。








僕はこれをみたとき、

まだまだ自分の小ささを感じました。





そして、

この太陽のように
自分を大切にしよう。


今これからの自分を振り返ってゆこうと


改めて思いました。






























こんな経験をするかなんて
思ってもみないで

登っていたと思うと、帰ってきたとき



少しびっくりでして...











しかも、


山を下りて、バスに乗った瞬間。








....土砂降り 笑










あまりにも出来すぎた

今回の経験。



僕を大きく育ててくれたようです。






初の富士山登頂。



僕にとって

新しいre-birthになる






そんな経験でした。































みんなは

山に登るという経験、




あまりしたことがないかもしれません。











山に登ることって

やっぱり男の僕から見ても

大変です。








体力も使うわ、

精神力も問われるわ、








なんでこんなくるしいことを

わざわざ苦しい場所に来て

しなければいけないのかなんて





考えちゃうこともあったりも
なかったりもします。











が、








山はそれ以上に
色々と自分に付着しているものを



確実に
そげ落としてくれます。








一歩一歩、



その大地を踏みしめることで。






特にこの富士山はその

浄化の力がとても、強い。








ご来光の光や、

そこにいらっしゃる何かの力とかも

色々とあるかもしれませんが、




それだけたくさんの人のエネルギーを

受け止め、返還できるだけの

パワーが富士山にはどうも


あるようです。








だからこそ、富士山は

”富士山”として




有名なのかもしれませんが。








そして、



人生の色々なことを教えてくれます。











一人で登れば、

自分と向かい合うことを。

人生を乗り越える意味を。








二人やみんなで登れば、

力を合わせることの意味を。

お互いの絆を深めることを。








中には

小さい子供や家族みんなで

登っている子たちもたくさんいて



しかも


皆、小さい女の子なのに、


家族5人で頂上で


「写真を撮って貰えますか?」と

言われたときは

びっくりしました。







みんな、疲れていましたが、

一人ひとりをみたとき、

「あぁ、この子達にはわからないぐらい
 絆がしっかりと深まったんだなぁ」

と思いました。









家族が出来る、ということは

まさに






子供を抱えて

山を登ることなんだろうなと




それをみたとき


感じたものです。






しかし、




それは一人や二人では

また分からない喜びや感覚もきっと

あるのでしょう。












そういう

一人ひとりのみんなの

思いの目線にあわせてみたとき、










山登りはただ

山を登る、ということだけでは語り尽くせないものが在ります。















山の頂きに登るとき、

その頂きを見つめて登ることよりも、


目の前の一歩を見つめて
踏みしめて歩けた方が

早く、頂きにつけるもの。









競争ではなく、

自分のペースで、

自分達のペースで

道を重ねてゆけることが


その人のゴールになれるもの。














道を一本、上り詰めることは
ものすごく大変なこと。


でも、登りきったとき、

そこにはその人にしかわからない


世界があるもの。















これらは山登りに言えることですが、






実は





これらは全て人生にも、


いえること。











おじいちゃんも
おばあちゃんも





こどもも
おとなも





女の子も

男の子も







みんな
みーんなが様々なことを

感じられた、







富士山。







今ここでこの月記を読んでくれている

みんなも

機会があれば是非

富士山登頂を

試してみてください。





きっと色々なことを


感じて帰ってこれると


想いますよ^^







まぁ....

ただ、

僕も、しばらくはもう
山登りはいいですけれど...



おかげで次の日は

体中、筋肉痛でひどいものでしたが

次の日に来ただけでも

よかった 笑





でも、

用意はしっかりと。


そして、


富士山に登るべき人は



しっかりと富士山に呼ばれますので
ご安心を 笑








それもまた、

人生の大切な、一つのご縁、









ですよね。


















今回の富士山のお話。




みんなにとっても


考えさせられること、






感じられること、






何かありましたか?









そうであったら


本当に僕も幸いです^^



















































さて、


そんな具合で進んだ今年の7月でしたが



皆さん、



もうすぐ、アトリエが

終りますね。





日に日に、時間が迫れば迫るほど、


僕も心を新たに


色々なことを準備させられます。




まだ、正直、実感はわかないのですが、


アトリエのいつもの席に座って

そして、

出入り口をぼーっと眺めていると



いろいろな人たちがここから


入ってきて、

そして、たくさんの出逢い、ご縁を
頂いたことを


ふと

思い出します。






ここにきてから
約3年半。


本当に色々なことがあったなぁ。


そして、


アトリエもまた


僕を成長させるために


たくさんの機会を与えてくれました。



そして、


今感じることは



アトリエが与えてくれたことが

始まりであり、



そのお役目を終えてくれた

ことへの

卒業であり、




僕自身、踏まえても


やはり感謝の言葉でしか



その気持ちを繕うことはできません。




だからこそ


僕もまた、もっと成長してゆかなければ

いけないなぁ、


とも。







人は何か背負うものができたとき、


自分だけではない何か

大きな力が伴ってゆくように思います。


それを一言でいうと


「想い」なのかもしれません。



たくさんのものを背負う分、

その気持ちや
労力は大変なものがあることでしょう。




でも、

言い方を変えると


その想いがあるからこそ、


生きてゆけること、


道を作ってゆけること、

なんでしょうね。











人は皆、

何かしらで、


何かから卒業をし、


別れを経て、


そして



その想いを受け継いでゆきます。




生きること、

ということは

まさにそういうことなのだと


最近は思います。











日にちも、後残すところ4日。


8月1日(水)、3日(金)、4日(土)、5日(日)

になりました。



是非、最後のアトリエに

皆さん、遊びにいらして下さいね。


そして、


今までこの場所を貸してくれて



僕を

みんなを



育ててくれた
アトリエに



たくさんの「ありがとう」を


伝えてあげてください^^



僕もまた、


最後まで

このアトリエと共に



そして、


皆と一緒にたくさんの思いを


変わらずに共有してゆくことを





誰よりも大切にしてゆきたいと





そんな風に感じています。








それと、


追加でですが、


8月8日の日が


本当の意味でのアトリエの最後の日に

なります。



この日、


アトリエを撤去しなければいけない

日でもあるのですが、



みんなで片付けをしたいと
思います。



片付けというものは

アトリエを綺麗にすることだけではなく


アトリエに描いてある”絵”を


みんなで元の真っ白い状態に


戻してあげられたらな、と


思うんです。



もしも、みんなの手で一緒に

アトリエを返してあげられたら

きっとアトリエも嬉しいことでしょうし^^




僕もまた

その日は午後一から色々と

準備をしてゆきたいと思いますので


是非、みんなも
ご都合がつく方、遊びにいらしてください。



多分、かなり夜遅くまでわいわいと
やっていると思います 笑


これもまた、
最後だしね。











ということで、



皆さん、

どうぞアトリエをどうぞよろしくね^^




そして、




またこれからも色々なことが


新しく始まってゆきます。





Hpも今現在、色々な事情があって

実はインフォメーション等が
更新ができていないのですが、

(その代わりブログで更新してゆきますから
 安心してね^^)


Hpも新しくしようと思っていますし、



新聞のことに関しても

今色々と考えてもいます。




そして、


これからの僕の活動も、


きっともっと皆さんの下に

届きやすくなってゆくと思います。





それは振り返ったときにしか
みんなにも
わかりにくいことかもしれませんが、

みんなにとっても


僕にとってもまた



これは


大きな成長になってゆけると



僕は確信しています^^






なので、

またこれからもどうぞ楽しみにして



そして、


また共に色々なことを


感じて、

経験して


たくさんの笑顔を


創ってゆきましょうね。






僕もまた、


皆がほんの少しでも


喜んでもらえるように



笑顔になれるきっかけを

少しでも多く



届けられるように





日々を皆と一緒に

頑張ってゆきますから^^










そして、また


皆とたくさんの「これから」を
共有してゆけることを



心より楽しみにしています。

















ではでは、


皆さん、今月の月記はここまで!



また来月の月記になる頃には

色々と変わっていることがたくさんあるんだろうなぁ。。




それもまた

楽しみにして、お伝えしますね^^









皆さん、



いつも本当に本当に、
ありがとう。










僕が僕であれること



それは


みんながみんならしく、
心から笑えること。



それを教えてくれたのは



今、目の前にいてくれる


みんなでした。










そして、


またこれからも



その思いと一緒に


重ねて頑張ってゆきましょうね^^









みんな、本当に、




ありがとう。

















































































































































真っ暗な空に







僕は一筋の光を見つけた。







































その光は遠くで光ると















やがて



ゆっくりと

僕の近くにやってきて


























僕の体を包み込んだ。













































その光は






とてもまぶしくて







とてもやさしくて









色々なことを教えてくれた。























僕がここにいる意味










僕がここで学ぶこと










僕が笑顔であれること











僕が幸せを感じること

















痛み



悲しみ



大変さ




有り難さ....











その光は



様々な感情や思いを






一つひとつ








僕に伝えると










また








遠くの空で




輝き始めた。



















































始めの光を見つけたときから









もうすぐ7年の月日が経つ。


















様々な光と出逢い








様々ことにぶつかって










そして、






様々なことを貰ってきた。













人がなぜ


この今を生きてゆけるのかを




考えたとき









僕には難しいことは


わからないんだ。









でも、







一つだけ僕が



頭ではなく、




胸の中で感じることが出来るのは








出会いが通して教えてくれたものは





知識や経験なんかではなく








僕がここに存在する意味であったこと。











そして、





その感情が教えてくれたものが




僕が「生きる」という答えそのものだった。












僕は今でも



遠くの光にふれて




そのたびにたくさんのものを



貰っている。















たくさんのものを共有し、





たくさんのものを





一緒に感じてる。










きっと、これからも



その光はやってくるだろう。





そして、



この光たちと一緒に



この人生を歩んでゆくことが
僕の人生であることも



僕は、胸のどこかで知っている。












僕は目の前に光る




たくさんの光たちを見上げて





その一つひとつを

見つめた。




















たくさんの光たち。








それは、







今ここにいてくれる






「あなた」という存在









でした。
(2007.07.31)
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