2007年12月の日記

暮れのころのうた 今宵もあなたへの想いを鐘にのせて。

















もう、この月記を書く時期になってしまったかぁ。。




確か、つい昨日ぐらいに
年末の月記を書いたような
そんな気持ちがしたんだけれどなぁ。。

そんなことを思っていて

結局、また年末の月記を書くことになりました。

うぅーーん。。。
早い。

でも、改めて
考えてみると
去年の今ごろに比べて
随分と時間は経っていて

そして、
自分の変化も十二分にあって。

それを一つひとつ、
さっき紙にまとめて
書いてみたんだけれど

この一年でも相当
環境が違っていることに気が付く。


でも、そう分かっていても
とても一年経ったとは思えないぐらいに
去年のことを感じるのは

多分、あまり時間の長さに捕われることなく

この今を一つひとつ
自分なりに一生懸命生きているから
なんだろうと

そんなことを思いました。


それは
とっても素敵なことだし、
そして、

そんな自分を好きだといえることを
大切に思えることでいいんじゃないかな、と

そんなことを感じました。



皆さん、よい年の瀬をお過ごしですか?

こんばんわ、ハタタケルです^^


もう後、数時間で
2007年も終わりなんて
あまり想像がつかないですよね。


でも、確実に2007年は
後ちょっとで終ります。


さっき、僕が紙にまとめてみた
ということを

書きましたが、



何をまとめたか、というと、


一年前の自分と

今の自分の



あったことと

変わったこと


自分の環境がどうだったか、



という項目を簡単に書いてみたんです。



すると、色々なことが
よく分かる。



たとえば、

去年の2006年の
12月31日の時点でのこと。

そして、
今の2007年の
12月31日の時点でのこと。


その中で変わったものって
結構あるんだけれど

一番大きいのは

アトリエが2006年にはあったけれど
今年はその代わり「ハタにゅうす」が始まっていること

ですかね。

これは僕にとって
本当に大きな変化と、

そして、

そこに”成長”があったような
気がします。


それだけじゃない。

僕の中で

色々と大きく環境が変わっていること。
そして、
受け取っていることが
大きく変わっていること。

今年だけで

インドや香港、モンゴルなど
色々と海外を見始めていることや

食の変化も
大きな違いがあったりする。


それはきっと
僕の求める「何か」が大きく
変わっているんだろうなぁと

そんなことをふと

自分の事ながらに実感するんですよね。


それを感じると、

たった一年

あっという間に過ぎて
思い出すと、昨日のように
思えることも

されど一年

この一年でどれだけの長さで
多くのものを受け取り
多くのものを手放し
多くのものを吸収したのかが

よくわかるものです。


そう思うと、「時間」

というものは、誰もが皆
平等に与えられているものであったとしても

それをどう、有効活用するか

というものは
皆、最後は自分次第にかかってくるものなんだなぁと
そう
実感せざるを得ないものです。

それは
自分がいい時間の使い方をしている
ということではなく、

無駄な時間を使っている
ということでもなく

あくまで、その
「時間」に対しての意識を
どれだけ
持ちつづける、ということが

自分の人生のあるべき方向を
決めているということを

僕も一人の人間として
常にちゃんと
自覚てゆかなければ
いけないことである。


ということを

教えてくれているようでも
ある気がするんです。



だから、

過ぎて気が付いてみれば
「あっという間」
だった、ということは

誰にでもいえることであっても

「あっという間」だった

で終らせる今にするのではなく、



その中にある

「濃い」何かを

いくつ持てているのかが

人生をどれだけ輝かせるのか
という要素にも変わっていることでも
あるのだと思います。


もちろん、人は生きているだけで
色々な経験をしているものですから
何も得ていない、ということは
まずどんな人にもないもの。

でも、

それを

「得ているのか」「得ていないのか」
の差を決めるのは

結局は、


そんな自分の
時間における意識の中の
「気付き」や「視点」の違いだけだったりする。


僕達は
そういうことに考える時間も
時には必要になるんですよね。



ただがむしゃらに何かを
頑張ることだけではなく、

時には立ち止まって
自分の周りにある景色を見つめてみる、
楽しんで眺めてみる

そんな余裕も。



全ては”バランス”であるということを
年々、歳を重ねるに連れて
よく感じるようになりました。



世界の全ては
どれが正しい、間違っているということを
創るのは
とても難しい。


あえて言うのであれば、
どんな「答え」も

どちらも「正しいもの」であれば
「間違っているもの」でもある、

というのが

全ての正解だったりしますよね。


それを
どう決めるか、というのは

誰かに押し付けるものではないし、

そして、

誰かから貰うことでもなく


最後は自分の日々の中で
様々なことを学びながらも
自分なりの「答え」というものを
探っていくのが

人生だと思うからです。



だからこそ、
そんなときというもの、

「バランス」が最後には
モノをいうんだろうなぁと
思うんです。



強さだけではダメ

弱さをわかる心も必要。



傷つかないことがいいことではない

傷つくことの痛みをしる
気づきには必要。


柔軟性も必要だけれど

時には
強く持つ信念も必要...



こんな

矛盾にも似た

「バランス」を持つことを
大切に、といっていても、

それをみることに
慎重になりすぎるのではなく、


時にはバランスを欠くような
大胆さも必要。。




そんなことを一つひとつ感じてみると、
常々、人というのは

とても難しい世界で生きているものなんだなぁと

思ってしまいます。



そう、

「やじろべー」の
真中を探るように

どちらが重過ぎても
転んでしまうんですよね。


ただ、
人間の素晴らしいところは


その
転んだ後に

「学ぶ」ということが出来る、

ということ。



その学びがしっかりとできれば

また一つ新しい段階、問題、
その人のステージに
ステップアップしてゆける

ということになる。


この世界の仕組みを
分かって、自分を実験台にしてみれるぐらいの
余裕が大切だったりしますけれど、

そんないつも
完璧になれないのも事実。


だから

僕達は不器用だけれど、
一生懸命、という言葉が
付きまとってくることの中には

人としてのそんな
不器用さの中の素晴らしさ

「あなた」だからこその
素敵さ、というものが
垣間見れると


僕は思わずその人を抱しめてしまいたいぐらい

「人間ってすごいな。」と
思ってしまうんです。


もちろん、

今この月記を読んでくれている
「あなた」もまたきっと
そんな素敵なあなたがちゃんとどこかに

あることを
僕は知っています^^




そういわれてみたとき、
思ったことがあります。


それは、
この一年の中でも
随分とまた出会いや
周りにいる人たちが変わってきた
ということもあります。

自分のことを測るには
周りの人をみるのが
一番分かりやすい、と

どこかの本に書いてありましたが、
僕はそれはとても

一利あることであると思います。


それがいいか、悪いか、
ではなく、

それが一つの「自分」という存在を
客観的に見るための

要素だとしたら
これほど、
周りにいてくれる人たちが
ありがたいことはないからです。


それは自分にとっての
新しい気づきをもう一度
与えてくれるように思うからです。


僕の周りにいてくれる人たちを
客観的に見てみても
とても面白いことがよく見えます。


全く1年前も、2年前も
お互いの状況は大きくかわっていても、


二人の関係性は
何も変わっていない人たち。


状況は変わっていないように見えても、

二人の関係性が
ちょっとずつ変わってきている
人たち。


人はどのように変わっているのか、
というのは
自分ではわかりにくいことが
ありますが

(もちろん、こんなことを言っている
僕もですが 笑)


誰かに言ってもらえることで
わかることや気が付くことがあったりします。


それは
僕が回りの人たちを見ていても
思うことでもあったりします。


中にはまだ

自分の立場や環境、状況を
完全に理解できていない人もいれば

自分のやるべきことや立ち位置を
しっかりとわきまえていて
そこの線引きを出来ている人たち

自分のことで一杯で
今は精一杯な人たちもいます。


僕は決して誰かをジャッジしようとか
そういうことではなく、

その人たち一人ひとりが
みんな自分なりに
どうやって折り合いをつけようかと
努力して頑張っている、

ということに

心からのエールと、
そして、心から愛おしさをもって
見守っていてあげたい

という心から湧き出る
何かしらの”温かさ”を感じるんですね。


それは、
こういっている、


「自分自身」にもいえることです。



実はさっきあげた3つのことは
僕が完璧に出来ていることではなく、

誰もが持っている
要素であるように

僕自身もまた、それを日々
見ながら頑張っている一人の人間でもある
ということ。


そして、
だからこそ、

そんな自分に対しても
とても一人の人間として

エールを送ってあげることと、
心からの愛おしさをもって
見守っている

そんな自分が「自分」の中に
いるんですよね^^


そう思ったとき、
僕はとても心強さと
そして、何かにぶつかっても
それを乗り越えてゆける

という思いをそこから
もらったりもしているように思います。


そして、

最近の僕がちょっと
変わったな、と思ったことは


自分にとっての「YES」「NO」を
出す速さが
とても早くなっていることです。


何かを問い掛けられたとき、

大体、1〜2秒で
その答えが瞬時に出ます。

でも、

その中での「グレーゾーン」という
「YES」でも「NO」でもない
というところがないかといったら

そうでもない。


そういうところも
あることもありますが、

昔に比べてそれが
「今の自分」なりに
少なくなってきた


ということが多くなったということですね。


これはなんでなんだろうと
考えてみたんですが、

この答えは簡単でした。


「自分」を
昔に比べて
よく理解し始めたからでした。


そして、

ここでいう「自分」とは

「我(表層)」の方ではなく、

「魂(本質)」の方。



つまり、
頭で

”考えている”方ではなく、


ここ(胸)で

”感じる”方の


ことですね。



ちょっとこういう話になると
難しくて理解できにくいことも
あるんですが

(なんでかこういう話の
 流れでなってしまった 笑)


年末だから
ちょっとこういうのもいいですかね。(´∇`)


せっかくなんで
ちょっと最後は難しい
つっこんだ話にしようと思います。


(が、これはあくまで、1つの意見。

「こんな人もいるんだ」程度に見といてね。
 
違う世界にはいっちゃってませんよ〜笑)







僕が最近、思うにですが、
いや、思うというよりも

確信的に感じることなんですが、


人ってただ
生きているわけではなく、

必ず何かの魂をもって
この肉体に宿っていると
僕は思います。

そして、
その魂って
実はとてもやっかいものでして、

肉体に魂が
宿っているけれど、

「魂」の持っているものと、
自分の「心(私情、感情)」の持っているものは
違うものが多かったりするということです。


なんでかというと、
僕達は

ただ自分の求めるままを
生きればいいわけではなく、

時には
自分の感情や我を持たないと

この世界では
自分を成り立たせることが
難しいことが多いからですね。


つまり、

人は一人で生きているわけではなく、
皆、
コミュニティをもっていきている。


だから、
魂だけで生きているわけではないからこそ、

そこには

「人間」として
肉体をもらって生きてゆかなければいけない
という
難しさが存在するのですね。


それは紐を解いてゆくと、

自己のアイデンティティの確立にも
直結します。

自分の持っている性格や
考え方、というものは

こういった

元にある「魂」と

この人間の世界の中で
取り繕って形成してきた
(そうせざるを得なかった)

「心」というものの

違いが存在することが

当たり前なわけです。




が、

僕が思うに、
僕達がときどきどこかで

「矛盾」を感じたり、
「空しさ」を感じたりするのは



この『魂』

(本当に自分が求めている本質の声。
生まれてきた意味。






この自分の生きている
今の「存在(心、アイデンティティ)」

(本質的なものではなくて
 この世界で取り繕わなければいけないもの)


とのギャップがそこに
存在するから、

だと思います。



そして、それがわからない人は
理由が見つからないから、

とりあえず

自分の心が一時的にも


”満たされそうなもの”や

”簡単に手に入りやすそう”なもので



取り繕おうとするんですが、

それがカラマワルほど、
自分の魂と心のギャップが強くなることで

苦しくなってゆくことが
多くなるような気がします。



これ、

一見すると
とっても怪しい世界へようこそ、

という感じなのかもしれませんが、


もしも
そういうものだ、という位置付けを
持てたとしたら

この違いというものを
理解するのは腑に落ちることが多くなります。


それをみんな、
どこかで必ず何かしらで

「感じている」はずだからです。


が、

それが難しいのは
そこに行動が伴えるか、どうか

最後はそこだけなんですよね。


それは、
知ったほうがいいのか
知らないほうがいいのか

見ないでいきてゆければ
それが幸せなのか、

それとも、
それに気が付いて行動することが
幸せなのか...


それは皆それぞれの
事情がありますから

わかりません。


ただ、僕はそのさきにあるものですが、

その「魂」という本質のものが
もしもあるとしたら


その一人ひとりが持っている
「魂」は

自分が生まれてくる前に
何か色々な約束事や
自分の人生は


「こう行きよう。」
「こうしよう。」
「この存在に出会おう。」


ということを
どこかで約束してきている
はずです。


そして、

その自分との約束を一つでも多く
生きている中で思い出して

そして
それを全うしてゆくことが


自分の人生の
求めていた「答え」を紐解く
一つの解決策になったりするのだと



僕は思います。


だから、
最近の僕はとても
シンプルなんです。笑


それは誰かに教わったわけでも
何かの本をみて
そう思ったからではなく、

自分がそうできたとき、
そうしたとき、
自分がとても
いい意味で「救われること」が
多いからです。


これは「楽をする」こととは
違って、
全く逆のものですが、

ただ、
そこに気がつけて
自分がシンプルに行動できたとき、
その「YES」「NO」が
よくわかることによって
最終的には

自分と周りの人と
その人が持っている
本質的なものに辿り着くための

ちょっとしたお手伝いにも
実は変わっていることに気がつける
ように思います。


.....これ、客観的に
ただこの行為だけみれば
それはただの「我まま」に見えるかもしれませんが 笑

「我儘」が
「我(魂)がまま」

に変わっていく本質を
しっかりと
理解している人は

それを合えてためらわずに
行なっている人が多いように思います。


それが、本当の意味での

「自分を持つ」という


ことの
大切な行為だからです。


そんな僕がこうやって
色々なことに気が付いてきているのは

僕がずっと続けていますが
自分の中の内観する「自分」との
対話をたくさんしているからでもあります。


それは端から見ると
かなり怪しいのですが、笑


いうなれば
今ちまたでよく言われている
メディテーション(瞑想)ですね。

(ヨガ(ヨーガ:神との一体化といいますが。)もその一環でしょう。)

瞑想とは
本来、自分の持っている
本質的なものとの
向かい合いをする行為、

であると僕は思うのですが、


そこには

自分との
対話(理解)を深める

ということがとても大切になってくるように
思うんです。


それには
とても時間が必要だし、
そして、

一度メディテーションをしたからといって

すぐにわかることでは
ありません。

ある程度、何度も内観し、

答えて考えて
繰り返して、

自分の中の「胸の中で感じる何か」を
どう捉えるか

ある意味「訓練」にも似た
日々の向かいあいが

とても大切なように思います。


なぜならば
魂はさっきも書きましたが、

自分の
エゴや我に
常に覆われて
この世界を生きているから

とても複雑なところの
一番奥に隠れているものだからですね。



そうしなければ
魂が傷ついてしまうような
状況が多かったり、

この世界では
簡単に生きていけないことが
多いから、

「自分(我)」というフィールドや
壁を魂の周りに
形成して

そして、自分を保護することが
この世界で生きてゆく上では
とても大切になってきてしまうことが

多いからです。


それを人は俗に言う

「大人になる」という
表現を使っていますが

それは子供を見ると
よくわかります。


子供はこの世界に生まれてからの
経験が少ないから

自分を保護する方法を
しりません。

だから、生まれたての子供は
自分に100%正直なはずです。

しかし、

大人になるに連れて
そうは言っていられなくなる。

だからこそ、

こういう膜が自分の魂の周りを覆って
それをわかりにくくして

しまうんでしょうね。


その膜を取って

自分との対話のときだけ
扉を作ってあげる
道を作ってあげることが

さっきのいった
メディテーション(内観対話)の
目的なような気がします。


そして、
そこで気づけたものが
結果として

どうあなたが
向かい合って
とらえて

そして、
それを信じて
行動できるか

というものは

最後は自分の努力や
行動意外では

なかなか
実感することができないのが
現状でも在ります。


でも、その
内観によって
自分のことがよくわかるようになると

必ず
楽になることが
多くなると思います。

それがさっきいった
自分の救い

「(本当に魂が生まれてくる前に決めていたことや
 魂(自分の本質)が一生懸命自分に伝えていることや
 しゃべりたいことをきいてもらえた、
 という安心感)」

をそこで得られるように
思います。





.....いつも月記ってさ、
自分がそのときそのとき
思ったことを

つらつらと書いているだけなんだけれどさ、

なんだか今回の月記は
とっても怪しくなってしまいました。
宗教とかじゃないからね。笑


でも、僕はこれって
とても大切なことのように思えます。

なぜなら、
皆が皆、そうやって
自分というものを持って生きているからこそ、

こういったものに
よく耳を傾けてみることが
出来たとしたら

もっと楽に
シンプルになることが

多くなると思うからです。

今、あなたが悩んでいることが
実は
そんな難しいことではなく、

その対話だけで
随分とすくわれることが

たくさんあるからだと思います。


もちろん、
対話をしたからといって

全て思い通りにいくことばかりでは
ないでしょう。


自分には自分の
もうどうしようもない状況や
環境、
取り繕っている世界が

あるとしたら
それを変えることは
できないこともおおいかもしれません。



でも、
僕が大切にして欲しい、と思うことは

それを「自分が知れた」だけでも
随分と違ってみえることが
多いと思うんです。



わけがわからずに悩むことと、

わけがわかっていて
悩むこととでは大きく違うもの。



そして、
悩んでいたことは

「本当に求めていたこと」ではなく、

「自分のエゴや私欲が勝手に固執を促して
 本当に求めていた人やものから遠ざけていた

(”自分本位”の私情がこもるものは
本質だと思い間違いがちになることが
多かったりしますよね。
ここはちょっと難しいラインの所ですが。)」

なんてことも
多々あったりします。


だからこそ、
そんなみんなと「自分」との
対話をどうか

大切にしてほしいなぁと
そんなことを思うんですねぇ。



「向かい合う」

とは

「向かい会う」

ことでもあれば、

「向かい愛う」

ことでもあります。


それは

自分というものは

一人ではなく、


そんな

さっきの話の中にある

「本質(魂)」と
「自我(心)」

といった
二つが自分の中に
存在する、ということを

まず知ることが大切なような
気がします。


そして、
それに気がつけたとしたら

今度は
それをひとつの

「存在」として
「認識」し、

「会」ってみる

ということ。


そして、

それをもう一つ超えて
相手を存在することを
認識できたら
今度は
そこに

「愛」をもって接してみる

というプロセスを創ってみると

もっとわかりやすいことが
たくさんあるように思います。


こうやって考えてみるとさ、

僕達は
こんな人間社会の中で

たくさんの人たちとの
コミュニケーションの中で
生きているけれど、

実は
もっと一番身近に
一番初めに

コミュニケーションすべき
人がいたりしたんですよね。

それは

この世界の
小さな小さな縮図が

自分の内面に
既に存在する

ということ。


そして、

その内面に存在する
自分とのコミュニケーションが
うまくとれたとしたら


きっと

この世界で色々な人たちと
コミュニケーションすることもまた

もっと簡単になったりするように


そんな風に思います。




ごちゃごちゃとまぁ、

好き勝手なことを

たくさん書いてしまいましたが 笑


でも、この中のどれか一つでも

何か

これを見てくれている
方にとって


考えられたり、

今の自分にフォーカスできたり

また、


本当の意味での求めていた
発見や

答えにたどり着ける


ちょっとした
お手伝いができればいいな、と

思います。





でも、こうやって
色々と書いてきたけれど、



本当であれば、
もしかしたら


そういったことも
気が付かないで

この今を一生懸命
自分なりに愉しく生きてゆける

ことが出来る人がいたら


それが一番
しあわせなようなきもします。



それは

僕もこの月記で
何度も書いていることですが、

全てを知ることが

必ずしも
幸せになることだけとは
限らないから。


このような複雑な
世の中だけれど、

それを複雑とせず
シンプルに今を笑って
皆が生きてゆける

強さやシンプルさがあれば

それが一番でもあるからですよね。


でも、


逆にそれを知って
それを乗り越えてゆけた人は

きっと

本当の意味で
あなたが求めている
「幸せ」という

意味にたどり着けることが

きっと早くなる、ということでもある。





みんながどうか
少しでも幸せであり、


心から今を笑える

そんな自分自身に出逢ってゆけますように。


僕もまた
心より応援していますよ^^





























さてさて〜〜


今回はそんな感じで

今年最後の年末らしい(?)

怪しい月記になりましたが


皆さん、いかがでしたでしょうか。


でもまぁ、ハタさん、決して難しく
考えてるわけじゃないのよー( ∩_∩)ハハハッ

いつもこんなん→ /(´▽`)エ、ソレッテナンダッケ?

ですから。笑















ではでは、今月のインフォに行きましょうか!





今月はですねぇ、

というか、来月はですねぇ、



お待たせしました!!


1月20日に

”ハタにゅうす”のNO 2が
いよいよ発刊開始になります(´∇`)♪




今回はですねぇ、

皆さんの前回のハタにゅうすのご意見を
色々と頂きましたので

今回はそれを
かなり反映しています 笑


....たしかにちょっと
細かかったよね。

見にくかったよね。 笑


でもまぁ、、
一番初めは
ちょっと色々と書かないと
いけないことも
多かったからなぁ。


ということで、今回のハタにゅうすは

かなり僕なりに時間と心をもっと
込めて

とっても”シンプル”に創ってあるので
楽しみにして待っていてね^^


それと、
スタッフの方に
僕からの質問メールをよく
いただくようでして。。

その簡単なQ&Aを
HPの「ハタにゅうすの申込みはこちら」の
部屋に載せてあります^^


何かわからないことがありましたら
こちらの方を
ご覧になってみて下さいネ♪

そして、
それ以外で何かわからないことが
あるということでしたら
その際には

お問い合わせくださいネ^^


ハタさんも日々、
頑張っていますよぅ。



そうそう、それと
このハタにゅうすなのですが、

一番初め

2ヶ月に一度

ということで始めようと思ったのですが、
色々と考えた結果、

3ヶ月に一度で統一しようということに
なりました^^


これは四季にそった形で


1/20 お正月(冬)、
4/20 春、
7/20 夏、
11月上旬 秋


という形での発行の方が
一番綺麗になりそうな
感じがしまして、

みんなもまた、
3ヶ月に一度であれば
届くのがより
楽しみにしてもらえるんじゃないかなーと
そんな風に思うからでも在ります(´∇`)

なので、
こちらも楽しみに待っていてね♪



でもさ
このハタにゅうす


こうやってみんなとつながりあえて

みんなで一緒に笑顔になれる

ことができて...



それが一番です。



是非、みんな、うまく
このハタにゅうすを活用して

そして、

またたくさんの笑顔を
作っていってネ^^




ハタさん頑張りますよ〜♪





また、
12月にでた新刊でしたが

皆さん、いかがでしたでしょうか。



お題として
皆が誰かに、自分に


感謝の気持ちを

伝えられたらという思いで


一つ一つ綴りました^^


路上での
あの本もね、

本来はあの本の1.5倍ぐらいに
おっきいんだけれど
(中もちょっと違ったりする)

でも
従来の形に忠実にそって
できたものです^^


是非、こちらも活用してもらえたら
うれしいなぁ。

あ、ファミマで見つけた人、

とってもラッキーですね^^

おめでとう♪








また来年も色々と待っているから

みんな、ハタにゅうす共々

お楽しみに(´▽`)v








ということで、

今年はここまで♪




またあとちょっとで2008年。






みんながどうか最後

素敵な年越しとなりますように。



たくさんのありがとうと

心をこめて。。













みんな、いつも本当に、

どうもありがとう♪




そして、


また2008年もよろしくネ(´▽`)!!!












































































































































































































みんなと一緒に
新しい星を迎えるとき

























みんなと一緒に

たくさんの声が聞こえる。










































あるときは



悲しみだったり









あるときは


喜びだったり













またあるときは


涙であったり












あるときは














笑顔であったり。




























人間って



なんでこんなにも















難しかったりもするんだろうね。


















でも、











僕はそんな人間だからこそ










感じられる








一瞬一瞬すべてを














とても

































イトオシク思えることがあるんだ。











































あなたがあなたなりに
















この時代を生き














この世界に生まれ
















そして























人生を全うしようと








頑張っている。
























誰かに比べられるものではなく














あなたが











あなたを”生きている”。


















その姿は












時として








大きな何かに隠れてしまうことも









あるけれど






















それでも











僕たちは












また誰かと手をとりあって









生きてゆける。






















そこに本当の







人間の











あなたの















強さが在ると思うから。




















































あなたが
今宵




今年も



暮れのころ 










たくさんの笑顔で



新しい新年を
迎えることが出来ますように。













今まで新しい年を

迎えてきた誰もが



そう願い、












誰かを祈ったように






















僕たちはきっと











そうやって















自分だけではなく


















自分の周りの人たちを


祈れることができることのなかに



























自分の幸せも一緒に













創って行ける。
































そう、
















あなたがいてくれて












初めて幸せになれる。





























僕は今日もそんな想いを












あなたに届けるよ。






























今宵、あなたへの





かけがえのない想いを




















鐘に音に乗せてね。
(2007.12.31)
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